作者不明室町
御伽草子のひとつ。しがない男の出世物語。
こんにちは、とらちゃです。『物くさ太郎』面白くなってきましたね。
今回が最後となります。驚きの結末をどうぞご覧ください。
楽しく読むために
前回の現代語訳の要約です。
無事に都へ一人上り、思いのほか真面目に奉公する物くさ太郎は、ある日、故郷へ帰るタイミングを得ます。この時、身の上を考えて、帰郷に連れ添う妻が欲しくなりました。そして宿の主人のアドバイスに従って清水寺で良い女を探しに行き、一人の高貴そうな女に出会いました。田舎者ゆえに相手にされませんが、彼女との文才溢れる押し問答に勝ち、ついに屋敷の場所を教えてもらったのでした。あちらこちらで屋敷を探す物くさ太郎。その努力が実を結び、目的の場所にたどり着いたのでした。
前回の現代語訳はこちらです。こちらでは、『御伽草子』についての解説も行っています!
今回、記事中に挿絵を挿入しました。引用は下の通りです。
挿絵引用
稀書複製会 編『物くさ太郎 : 新板絵入』上,米山堂,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1192400
稀書複製会 編『物くさ太郎 : 新板絵入』下,米山堂,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1192405
現代語訳③
屋敷へ
この機会が最後だと思った女。この辺りのことはよく知っていたので、あちらの小路、こちらの辻など、あちらこちらを逃げ回りました。その様は春の風に散る花のごとし。
「おーい女よ。どこへ行くのだ。」
あちらの小路でつっと寄り詰め、こちらの辻で遭遇する。物くさ太郎は見逃す隙も無く追いかけました。
そうしているうちに、物くさ太郎はある所で女を見失います。来た道を戻って小路や辻の先々を見渡すも誰もいません。
歩いている人に尋ねるも「知らない。」と返されます。
清水のさっきまで立っていた所に戻って、[女はこちらに向かって立っていた。あちらを向いてこれこれと言っていた。一体どこへ行ったのだ。]と、女のことを想い焦がれ、悶え苦しみました。しかし、そんなことをしても意味はありません。
[そうだそうだ、思い出したことがあるぞ。唐橘の紫の門のところを尋ねてみろと言っていたな。]と思い出し、
紙ひと重ねを竹に挟み、ある侍所へ立ち寄りました。
「私は田舎者でございまして、探している家を忘れてしまいました。手掛かりは唐橘の紫の門ということです。『唐橘の紫の門が我が屋敷である。』相手はそう仰いました。そのような門はご存じでないですか。」
と尋ねると
「七条のはずれにある豊前守殿の屋敷に唐橘紫があったぞ。その小路へ行って尋ねると良い。」
と教えてくれました。
所は変わって七条のはずれ。尋ねてみると、まさしく言った通りの門がありました。もう妻となる女に会えたような心地がして嬉しいこと、この上ありません。
屋敷では、犬追物、笠懸、蹴鞠、音楽、囲碁や将棋、双六、今様や早歌など、皆が思い思いに遊びに興じています。
しかし、あちらこちらへ行って見渡しても先ほどの女は見当たりません。
[もしかしたら出てくるかもしれない]と思い、物くさ太郎は縁の下に隠れました。
一方の女はというと、彼女はこの屋敷では侍従の局と呼ばれており、家主の傍に仕えて夜が更けるまで仕事していました。
夜、仕事が終わって自分の居間に入り、広縁に出て、なでしこという下女を呼びました。
「まだ月は出ていませんね。もしあの男との遭遇がこれほどにまで暗い夜だったなら、命はかなったでしょう。」
「縁起でもございません。何の理由があってここまで来るでしょうか。言霊とは不思議なもので、そのことをお口にすると、かえって現実のものとなってしまいますよ。」
などと会話していました。これを聞いた縁の下の物くさ太郎。
[この声はあの女。やはりこの屋敷に我が妻はいたのだ。それにしても、縁は尽きないものだな。]
と嬉しく思い、縁の下から躍り出て、
「これはこれは女よ。あなたのために心を尽くし、骨を折ってきたのだぞ。」
と言って縁に上がって来ました。
再会
女はこの声を聞いて正気を失い、転げたり倒れたりしながら障子の中へ逃げます。
そして、しばらく途方に暮れていました。心は上の空、秋の夜に夢を見ているような心地がしていました。大空にいるようにぼんやりとした心地です。
しばらくして正気が戻った女は、
「ああ恐ろしい。なんという心の持ち主よ。ここまで尋ねてくる不可解さよ。私に言い寄る男は多いです。しかし、よりによってあれほど汚らしい者に思い慕われ、そして恋い慕われたとは。悲しいことです。」
と自分自身に語っては今の現状を嘆きました。
こうしているうちに警護の者がやって来て
「誰かいるのか。犬が吠えている。人気を感じているのだ。」
と言うものですから、屋敷は騒然となりました。
女は
[ああなんてことでしょう。あの者をうち殺すなど恐ろしく、そして罪深いことです。そうでなくても、女というのは五障三従に縛られた罪深い生き物であるというのに。]
と思い、涙を流し、
「今晩ばかりは私の心が苦しいです。あの男を一晩泊めて、明け方にうまく騙して追い返しなさい。ここに居させるよう」
と下女に小言を告げ、物くさ太郎に古い畳を敷いて与えました。
下女がやって来て、「明日の朝、人に見られずにさっさと帰りなさい。」と物くさ太郎に言い、
妻戸の傍まで向かっては、見慣れない高麗縁の畳を敷いて座りました。
[あちらこちら身を削りながら歩いたものだからくたびれた。ああ、何でもいいから早くくれないかなあ。何をくれるだろう。栗をくれたなら焼いて食べよう。柿や梨、餅だったらすぐに食べよう。酒だったら十四、五、いや、十八杯飲もう。何でもいい、早くくれよう。]
などと色々心の中で考えて待っていたところに、下女は栗、柿、梨を籠に入れて持ってきてくれました。塩と小刀も添えてありました。
これを見た物くさ太郎、
[ああ情けない、女に似つかわしくないではないか。多くの木の実を箱や檀紙に入れてくれてもよいだろうに。牛馬にえさを与えるようにひとまとめにして渡すとは。あまりにも見苦しい。しかし、何かしら理由があってこうするのだろう。木の実をひとまとめにしたのは、俺とひとつになりたいという思いが込められているのだろう。栗をくれたのは、繰り言をするなという意味か。梨は『私に男はいません。』の意味か。柿と塩はなんだろう。まあ、いずれにせよ柿と塩になぞらえた歌を詠まねばな。]
そう思った物くさ太郎、詠む。
津の国の 難波の浦の かきなれば うみわたらねど 塩はつきけり
海沿いの国にある難波の浦。そこでとれた牡蠣なので、この牡蠣は海を渡っていないだろう。それ故に熟していないというのに、塩が添えてあるではないか。あなたと逢瀬を遂げるのに期が熟していなかったが、今が潮時ということだろうな。
女はこれを聞き、[ああ優美な心を持っているな。泥の中の蓮、藁苞(わらづと)の中の金とはこのことを言うのだろうか。]と思い、「これを受け取れ。」と言って物くさ太郎に紙十重ね「のみ」を差し出しました。
物くさ太郎、これは何事かと思いましたが、『筆ではなく、直接声で返歌せよ。』という意味だと察して詠みます。
ちはやふる かみを使ひに たびたるは われを社と 思ふかや君
この紙は神の使者でしょうか。そう思ってくれたのであれば、私を神社とでもお思いですか、女よ。
「私の負けです。共に付いてまいりなさい。」と言って、小袖をひと襲(かさね)、大口袴、直垂、烏帽子、刀を用意し、
「これを身につけて私のもとへいらっしゃい。」と物くさ太郎に伝えました。
琴
物くさ太郎ひぢかすは[めでたい!めでたい!]と大いに喜び、与えてくれた着物に着替えました。信濃の時から着ていた着物は竹の杖に巻きつけます。
[小袖は今夜だけ貸してくれるのだろう。明日はこれを着て帰るのだからな。犬やら子犬やら食いちぎるなよ、盗人やら取るなよ。]
と念じて縁の下に投げ入れるのでした。
ところで、大口袴や直垂の着方を物くさ太郎は知りません。首にあてたり肩にかけたり。煩わしくしているところを下女が取り繕ってくれました。
下女は、最後に烏帽子を被せようとしましたが、物くさ太郎の髪を見て驚きます。塵や埃、シラミなどが付いていたのです。いつ手入れをして、いつ髪をとかしたのか分からないほどでした。
そんな身なりでもなんとか拵えて、問題の髪は烏帽子に押し込んで完成。下女のなでしこが手を引いて、あちらこちらへと連れ回しました。
故郷信濃国にいた時、山や岩、石の上は歩きなれていましたが、このように油が施された板の上は歩きなれていません。あちらで滑り、こちらで滑り。
なでしこは、そんなみっともない行動を繰り返す物くさ太郎をなんとか障子の中へ押し込んで、去っていきました。
女のいる部屋に通された後、女の前まで進むことになりました。物くさ太郎は前に進もうとするとこれまた滑ってしまい、仰向けで倒れたのでした。
倒れた場所は女が宝にしているであろう琴の上でした。なんと運の悪いことでしょう。琴は木端微塵となってしまいました。
女はこれを見て「ああ、なんてことを。」と涙ぐんで一面に散った紅葉のように顔を真っ赤にして詠みます。
今日よりは わが慰みに 何かせん
この琴は私の心を慰めてくれるものでした。今日からは何をもって慰みとしましょうか。
物くさ太郎は未だ起き上がりません。[ああ情けない。]と思い、女のほうを見て続けます。
ことわりなれば ものも言はれず
割れた琴は、音を奏でることができません。そして私が悪い(=理)ので、何も言えません。
女は[まあ優美な心を持つ男だ。]と思い、
[ええい、なるようになりなさい。これも前世からの縁でしょう。このように思い慕われたのも、現世ではないところによる縁でしょう。このようなこともあるのですね。]
と考えるようになり、二人は二羽の鳥が羽を並べるように、仲睦まじく契りを交わしたのでした。
夜もすでに明けていたので、物くさ太郎は急いで帰ろうとしたところ、女房が告げます。
「どうしようもありませんね。このように私のもとに参上したのは、現世でないところでの縁なのでしょう。私のことを思うのであれば、ここに留まってください。私はこの屋敷の従者の身分でございます。しかし、従者の身分でありながら男を住まわせることの何が不都合でしょうか。いや不都合ではありません。」
「承りました。」
そうして、物くさ太郎はこの屋敷に住まうこととなったのでした。
備わった精神
その後は、女房は下女二人を物くさ太郎につけさせて夜も昼もの身の回りを拵えさせました。
七日間も蒸風呂にいれたので、七日が経過したころにはすっかり玉のように美しく身なりが整いました。
それからというのも日に日に美しい男となり、その様はまるで光源氏のようです。
物くさ太郎は美男と呼ばれるようになり、もともと和歌に優れていましたので、歌連歌の名主としても評判を得ました。女房も優れた人でしたので、物くさ太郎に礼儀や作法を教えました。
そのうち、物くさ太郎は直垂が着崩れしないよう上手く着こなすようになりました。袴の裾をまわし、烏帽子の被り方や鬢の形までも、どこをとっても公卿や殿上人よりも優れた様でした。
彼はそんな男に変わったのです。
ある時、屋敷の主人である豊前守殿が物くさ太郎の近況を耳にし、物くさ太郎に会うということで宮中から屋敷に参られました。
物くさ太郎を見て豊前守殿が言います。
「男よ、お主、美男であるな。名は何という。」と物くさ太郎にお尋ねになりました。
「物くさ太郎といいます。」
「その身に似合わない名前だな。」
ということで、物くさ太郎は『うたの左衛門』という名を賜りました。
このようにあれこれとしているうちに、物くさ太郎のことが内裏にまで伝わり、「急ぎ参上せよ」との宣旨を賜るまでになりました。
こともあろうに院からのご命令です。辞退するわけにもいかないので、物くさ太郎は帽額車に乗って御所に参上しました。
大極殿に呼ばれた物くさ太郎。「お主、本当に連歌の名手であるならば、歌を二首詠め。」と宣旨を賜りました。
ちょうどその時、梅の花の上にうぐいすが飛んできて、さえずりが聞こえてきました。
鶯の 濡れたる声の 聞ゆるは 梅の花笠 洩るや春雨
うぐいすの濡れたような透き通る声が聞こえてくるのは、梅の装飾の花笠から春雨が漏れるからでしょうか。花笠を用いた祭礼を行う宮中ゆえに聞こえてくるのでしょう。
と詠みました。
帝はこれを聞いて、「おまえの国でも梅というのか。」と言った。これは二首目のふりです。物くさ太郎はすぐさま詠みました。
信濃には 梅花といふも 梅の花 都のことはいかがあるらん
信濃では梅の花のことを梅花と言います。都ではどうでしょうか。
帝はこれを聞いてたいそう感動し、「お主の先祖を申せ。」と聞きますが、
「私は先祖もない者です。」と物くさ太郎か返しました。
それを聞いて院は、「では、信濃国の目代に調べさせよ。」と宣旨を出したのでした。
しばらくして信濃国の地頭からの報せがありました。薦に巻かれた巻物を取り寄せ、院自らご覧になりました。
この巻物を見ると、衝撃の出自が判明したのです。
物くさ太郎の出自
第53代、仁明天皇の第二皇子、深草天皇の御子で、二位の中将という人がおり、信濃へ流されたことがありました。
長い年月を経たある時、一人も世継ぎがいないことを嘆き、善光寺の阿弥陀如来に参詣して願いました。思し召しでしょうか。二位の中将は待望した一人の御子を授かりました。
しかし三年後、二位の中将とその妻は亡くなったのでした。たった一人のこの御子は齢三歳にして、両親に先立たれてしまったのです。
そして、庶民に混じって生活することとなり、このように卑しい身分となったのでした。
帝はこの巻物をご覧になって、
[天皇家から離れたとはいえ、これほどまで血筋が近い者だったとは。]とお思いになって、
物くさ太郎に「信濃の中将」を与え、甲斐、信濃両国の統治を任命しました。その後物くさ太郎は女房を連れて信濃へ帰り、あさひの郷という所に着きました。
あたらしの郷の地頭であった左衛門尉のぶよりは、忠義深い人だ、ということで、甲斐、信濃両国の総政所に任命されました。
また、彼を三年間養った百姓ら皆には所領が与えられ、物くさ太郎自身は筑摩の郷に屋敷を建てて六親眷属を住まわせました。
身分の上下に関係なく皆が物くさ太郎に親しみ仕えたため、国内は穏やかになりました。そして、仏法僧の三宝の加護を受けること百二十年、その間に多くの子孫に恵まれ、多くの財宝に囲まれた生活は十分に満足されるものとなりました。
物くさ太郎は長生きの神様として奉られることとなり、自身は「おたがの大明神」、女房は「あさいの権現」として親しまれ、後世を見守ったのでした。
物くさ太郎
この物くさ太郎の話は文徳天皇の御代の話であった。物くさ太郎は、前世に積んだ徳を現世で結ばせる神として顕現し、男女関係なく、「恋する者は、私に参れば、その思いを叶えてやろう。」という深い誓いを立てていた。
一般に、普通の人というのは、「仏本体が現れた。」と申すと腹を立てる。
しかし、仏が本体を現すと、人々を三熱(①熱風や熱砂に身を焼かれること、②悪風によって住居や衣服が奪われること、③金翅鳥に食われること)の苦しみから解放してくれ、それを仏は喜んでくれるのである。
人の心もこれに相違ないのだ。
面倒臭く思う、つまり心が歪んでいる状態であっても、身は真っすぐで揺るぎないものなのである。
一日一回、この物語を読んで人に読み聞かせることは、「多くの財宝に囲まれた、十分に満足される生活を送ることができ、幸福な心に身を委ねることができるだろう。」と誓願をしていることを意味する。
なんとすばらしいことか。言葉で言い表すのは、かえって愚かと思われるほどだ。
(終)