解説
にっぺせんせーです。
今回、『応安新式』について調べてみたところ、『連歌新式追加並新式今案等』のほうがより精度が高いということが分かりましたので、そちらについて調べました。
解説はお待ちください。
ネット上に存在しなかったので、取り急ぎ、原文を公開しました。
ではでは
現代語訳
現代語訳その1
連歌新式追加並新式今案等
[舊本行書体]
その1:韻
一韻字事。
物名[朝夕之字同之。他准之。]興詞字不嫌之。物名與物名可嫌打越。[時雨。夕暮など留る事近代不嫌之。]詞字。つゝ。けり。かな。らん。して。[如此類可嫌打越。他准之。]かなの字。近代発句之外。願ひかなとて。或は一用之。此外は不可用之。願ひがな。懐紙を加へて可用之。
その一。韻字について。
『物名(「朝」「夕」の字がセット。その他もこれに準じる)』や、『興詞(こうし)』は重なっても問題ない。ただし、『物名』同士が続けて出るのは避けること。ただ、時雨や夕暮れなどで句を止めるのは、近頃は問題とされていない。
詞字について。つつ・けり・かな・らん・して、その他この類は避けること。
かなという字について。近頃は、発句以外では、『願ひかな(願望の「かな」)』に限って一度だけ使用が認められている。発句以外では使ってはならない。ただ、この「願ひがな(願望の「かな」を用いる技法)」は、懐紙では使用して良い。
興詞(こうし)とは、歌の冒頭で後の情景を引き立てるのに使う形式的な表現手法です。
願ひかなとは、「~したい」という願望を表現で使われる「かな」のことです。
その2:情景の重複
一輪廻事。
薫といふ句に焦ると付て。又紅葉を付べからす。船にて是を付べし。こがると云字かはる故也。煙と云句に雲を付て。打越に雷電不可然。雪に富士を付て。又氷室不可然。[他准之。]夢と云句に面影と付て。月花を付る事。俤物といひて。近代不付之。更無其理。曽以不可嫌之。
その二。輪廻(同じイメージや意味といった連想の重なり)について。
例えば、薫(かおる)という句に焦る(こがる)を付けた場合、さらに紅葉は付けてはならない。この場合、船を付けると良い。こがるが漕ぐの意味に変化があるからである。
いずれに共通しているのは、秋や香り、暖色といった類似したイメージが続くのでNG。ただ、「船」であれば、連想が変わるのでOKということです。
煙という句に雲を付けた場合、その次の句に雷や稲妻は良くない。また、雪に富士を付けた場合、さらに氷室を出すのはよくない。他の場合も同様である。
夢という句に面影と付けて、さらに月や花を付けることについては、これは『俤物(おもかげもの)』といって、近頃は付けないようになされているが、その決まりの根拠が全くわからないため、必ずしも避ける必要はない。
その3:離れた句での情景の重複
一遠輪廻事。
假令と云句に。風とも。霞共付て。又不可付之。雖隔数句。一座に可嫌之。[他准之。]花に付る風霞の類。近来強不及沙汰歟。[用此儀。]若猶可新式歟。又竹と云句に世と付て。又夜字不付之。如此之類又遠輸廻なり。
その三。遠輪廻(輪廻が少し離れた句で起きること)について。
例えば、仮令(たとえ)という句に風や霞を付けて、さらにまたそれらを付けるのはよくない。数句を隔てていたとしても、その連歌の座では避けるべきである。他の句もこれに準ずる。
しかし、この遠輪廻に当てはまる場合の花に付ける風や霞のような類は、近ごろは厳しく問題視されていないようだ。もしそうであるならば、それは新式と言えるかもしれない。
また、竹という句に世と付けて、さらに夜という字を付けないルールがあるが、このような類も同じく、遠輪廻である。
その4:本歌取り
一本歌事。
三句にわたるべからず。[本説物語同之。]但逃歌あらば不可嫌之。凡新古今已来作者不可用之。[至続後撰集可用本歌之由又無定。]本歌。堀川院百首作者迄を可取。雖為近代作者。証歌には可用之。堀川院両度百首作者迄。縦雖入近代集可為本歌之例。但人のあまねくしらざる歌をば。付合にこのむべからず。依事可引用証歌也。
後普光園殿御筆。
源氏物語者。大部の物なれば。三句すべし。但同所は二句計すべき也。[雖有此説不庶幾也。用古事之条。重畳可有斟酌云ゝ。況於同物語乎。]
その四。本歌取りについて。
「本歌取り」は三句に渡ってはならない。これは、説話や物語の場合も同様である。ただし、「逃げ歌」(前句の主題や言葉から離れ、別の話題に転換する行為。「逃げ」とも)であれば、問題にならない。
おおよそ、『新古今和歌集(1177)』以降の作者の歌は、本歌取りしてはならないとされているが、『続後撰和歌集(1248)』あたりまでの歌を本歌として良いかどうかについては、定説はない。
逆に、本歌として認められる条件について。本歌は、『堀川院百首(1105)』の作者あたりまでを採るべきである。証歌(新しい歌を詠む時、その背景や正統性を示すために引用する歌)に関しては、比較的新しい時代の作者であっても用いてよい。
また、『堀川院両度百首(成立不明)』の作者までであれば、たとえ近代の歌集に収録されていても、本歌として扱ってよい例とする。ただし、人々に広く知られていない歌は、「付け合い」に用いるべきではない。必要に応じて、証歌として引用すること。
「付け合い」とは、既に出た句に対して、それに応じる句を付けることをいいます。すでに出ている句を「前句(まえく)」、それに付ける句を「付け句」といいます。例えば、五・七・五の句に、七・七を付けるといった状況が挙げられます。
本文を読むに、忌避される条件はあるとはいえ、付け句に本歌を用いることは認められているようですね。
後普光園殿(二条良基の号。つまり、本書が著された時にはすでに死んでいる)の著書には以下のようにある。
『『源氏物語』は、部数の多い物語なので、三句まで本歌として用いてよい。ただし、同じ場面から取る場合は、二句までにするべきである。』と。
このような説があるわけだが、必ずしも従う必要はない。古い事例を用いる際は、重ねすぎないように斟酌(しんしゃく。汲み取る、手加減する)すれば良いのである。まして、同一の物語からの引用であればなおさらである。
その5:体と用
一雑物体用事。
假令春と云句に弓と付て。又ひく。返る。をすなど付べからず。是用なる故地。本末とは付べし。是体なる故也。打越に体あらば本末又不可然也。長と云句に縄と付て。又短など是を不付。是体なる故也。くる。ひくなどは可付之。是用也。
その五。さまざまな物の「体」と「用」の使い分けについて。
例えば、春という句に弓と付けた場合、さらに引く・返る・押すなどを付けてはならない。これらは「用」にあたるからである。本や末を付けるのはよい。これは「体」にあたるからである。
すでに「体」が出ている場合、さらに本や末を付けるのは、やはり良くない。
また、長という句に縄を付けた場合、さらに短などを付けてはならない。これは「体」にあたるからである。くる(繰る)・ひく(引く)などは付けてよい。これは「用」にあたるからである。
「体」は、性質・状態・対比
「用」は、動作・働き
を意味します。
ここでは、同じ種類を連続で用いるなと言っているのです。
OK:体→用
NG:用→用
その6:1度だけ使用可
一一座一句物。[纔擧。一隅。尤物。都為一座一句物云ゝ。自余准之。]
若菜。款冬。躑蠋。杜若。牡丹。橘。女郎花。檜原。櫨。[如此植物。]鶯。喚子鳥。貌鳥。[春也。]郭公。蛍。蝉。日晚。松虫。鈴虫。蚕虫。熊。虎。龍。猪。[如此動物。]鬼。[於生類嫌之。虫之有旧説。云ゝ。神之儀不可測強不可及其沙汰歌。]。女。[如此之類物。]昔。古。夕暮。昨日。夕立。急雨。雨。[但近年為二句之物。]碪嵐[近年為二句物。]木枯。朝月。夕月。隠家。外面。なるこ。ひた。樞。閨。[如此類。]松虫。鈴虫。蚕虫。[如新式者。各為一座一句之物。然而近年只虫一。此外松虫。鈴虫等号名虫。又一用之。所詮如新式者。虫之外松虫。鈴虫等。各替懐紙可用之。此外。蚕。促織等替面又可用之。]春雨。小雨。[村雨之類也。]雨そゝき。雨夜。[雨之外一有之。]馬。[駒。同事也。意馬。隙行駒者。此外なり。但馬之外。駒。用来之。鶴。たづの類也。]遅日。[此外に。永日あるべからず。]春寒。[さえかへるなどゝ詞をかへても。只一也。]秋寒。[やゝさむき。夜寒などいづれにてもたゞ一也。]砌。[不可為居所。]床。[鳥獣の床は又あるべし。]
その六。一座一句物(一座(その連歌の場)において、一度だけ使える句)について。
例えば、纔挙(さいきょ。僅かに挙げること)・一隅(いちぐう。おかれた現状。目立たない所)・尤物(ゆうぶつ。美人)などは、すべて一座一句物である。その他もこれに準ずる。
若菜・款冬(かんとう。ふきの異名)・つつじ・杜若(かきつばた)・牡丹・橘・女郎花・檜原(ひのはら)・櫨(はぜ)などのような植物。
ウグイス・喚子鳥(よぶこどり。カッコウ)・貌鳥(かおどり。美しい春の鳥の総称)。いずれも春の鳥である。
郭公・蛍・蝉・日暮れ・松虫・鈴虫・蚕虫・熊・虎・龍・猪などのような動物。
鬼は、生き物として扱うのは避けること。鬼を虫として扱うという古い説もあるが、神などは扱いが測りがたく、むやみに歌論に取り上げるべきではない。女も、この類の語である。
昔・古・夕暮・昨日・夕立・急雨・雨なども一句物である。ただし近年では、雨は二句物として扱われることもある。砧嵐(きぬたあらし。寂寥感を表現する情景描写)も近年では二句物とされる。
木枯・朝月・夕月・隠れ家・外面・鳴子・ひた・枢・閨なども一句物である。
松虫・鈴虫・蚕虫については、新式ではそれぞれ一座一句物とされるが、近年では単なる虫を一句物とし、松虫・鈴虫などの固有名は別に一句物として使うことがある。ただ、いずれも同じ意味のため、新式に従うなら、虫を使用した場合、松虫・鈴虫などはその座では使用せず、別の懐紙で使うべきである。この他、蚕や促織(コオロギ)なども同様である。
「虫」を使った座では、松虫・鈴虫といった固有の虫は使うな(=別の懐紙でやれ)ということです。
春雨・小雨などは村雨と同類である。雨そそぎ・雨の夜などは、雨とは別に一回使うことができる。
馬については、駒も同じ扱いである。ただし意馬(いば。煩悩や欲望によって心が落ち着かず、走り回る馬のように制御できない様子)や隙行く駒(ひまゆくこま。年月の早く過ぎ去ることのたとえ)などは別扱いである。ただし、古くは、馬と駒は別物として用いられてきた。鶴とたづも同様である。
遅日は、この他永日を用いてはならない。
春寒は、さえかえる(冴え返る)など言い換えても同じ扱いで、ただ一回のみである。
秋寒は、やや寒き・夜寒など、どれであっても同じで一回のみである。
砌(みぎり)は、居場所として扱ってはならない。床は、鳥や獣の寝床としてなら別物として扱ってよい。













