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【雨月物語を読む#8青頭巾】現代だからこそ響く、鬼僧を救った一つの歌

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プロフィール帳

『雨月物語』

時代:江戸

作者:上田秋成

概要:江戸後期に作られた怪談・怪異本

6

オススメ度

2

日B重要度

4

文量

3

読解難易度

 

解説&一覧

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【雨月物語】怪談と言ったらこれ!全話あらすじと解説まとめ プロフィール帳 『雨月物語』 時代:江戸 作者:上田秋成 概要:江戸後期に作られた怪談・怪異本 ...

第八『青頭巾』

昔、快庵禅師という大徳聖人がいらした。総角き(あげまき。童子の髪型。要するに、幼い時から、の意)の頃から教外(きょうがい。禅の教えの外。つまり、本質は全て理解したということ)の本質を明らかに(理解)し、常にその身を雲水に任せていた(諸国を行脚していた)。ある年、美濃国の竜泰寺で一夏まるまるを過ごしたのだが、

「秋には奥羽の方に住もう」

と思い立った。そして旅立ち、進みに進み、下野国に入った。

富田という里で日が落ちたので、裕福そうにみえる大きな屋敷に立ち寄り、一宿を求めようとした。すると、田畑から戻る男たちが、この黄昏に僧が立っているのを見て、ひどく怯えた様子で、

「山の鬼が来たぞ。皆出て来い!」

と大声で騒ぎ立てた。家の中も騒がしくなった。女や子供は泣き叫び、転びながら隅々に隠れて縮こまった。

その家の主人(のちの荘主)が山枴(やまおうこ。両端を斜めに削った棒)を手にして走り出てきて外を見ると、歳50歳に近い老僧が、頭に紺染めの頭巾を被り、身に破れた墨衣を纏い、背に包み物を負って立っていた。杖で手招きしながら、

「旦那。何事があってこのように用心なさるのです。わたしは諸国遍参の僧でございます。今夜だけ宿をお借りしたいと思い、誰か人を待っていただけです。それほど奇異に思われるとは。まさか、このような痩せ法師が強盗などしますまい。怪しみなさるな。」

と言った。主人は山枴を捨てて手を打って笑った。

「あいつらの目が節穴でしたので、客僧を驚かせてしまいました。一宿お貸ししましょう。これを供養として、罪滅ぼしいたします。」

と、非礼を詫びて奥の方へ迎え、快く饗応したのだった。

荘主(荘園を現場で管理している人。荘園領主の略称ではないことに注意。荘園領主は、荘園の支配権を持つ人を指す)は語る。

「先ほど連中があなたを見て、『鬼が来たぞ!』と恐れたのは、いわれ(理由)があるがのです。ここで不思議な話をしましょう。妖言(ようげん。あやしい、疑わしい話)ですが、他の人にも伝え語ってください。この里の上にある山に、一宇(いちう。一つ屋根の下。一軒。例:八紘一宇)の蘭若(僧院)があります。昔は小山氏(おやま。鎌倉時代に活躍し、南北朝時代に滅亡した武士団。下野国を領有していた。藤原秀郷の流れを汲む。関東八家のひとつ)の菩提寺で、代々大徳の僧が住んでおられました。今の阿闍梨(あじゃり。徳の高い僧を指す)は何某というお方の猶子(ゆうし。養子みたいなもの。養子と異なる点は、家督を継がない点)で、殊に学問が厚く、その修行の評判が高く評価されております。この国の人たちは香燭(こうしょく。香と灯明)を納めて帰依しておりました。私の屋敷にもしばしば参られ、少しのわけへだてもない関係でした。しかし、去年の春のことです。越の国(越前・越中・越後どれか不明)へ水丁(灌頂)の戒師として迎えられて、向こうに百日ほど逗留されていたのですが、その後、その国から十二、三歳の童子を連れてお戻りになったのです。自身の寝起きの世話(介護ではなく、弟子として迎えたということ)をさせていたのですが、見るに、この子らの美しい容姿を深く愛でているうちに、年来のこと(これまでやってきた日々の勤行)を怠りがちになっていたと思われます。今年の四月頃、その童子が病に臥せてしまったのですが、病が日々重くなっていくのをいたく悲まれ、国府から権威ある典薬(てんやく。宮内省に所属する律令下の官職)を呼ぶなどしていたのですが、その効果も無くついに死んでしまいました。心の壁を奪われ、髪飾りの花が嵐に吹き飛ばされた思いに、涙が枯れ叫ぶ声も出なくなるほどに泣きました。あまりにも嘆かれたものですから、焼いて土に葬ることもしないで、顔に顔をつけ、手に手をとって日々を過ごされいるうちに、ついに精神を病んでしまいました。生きていた頃と同じようにまぐわいを重ね、肉が腐りただれるのを惜しんでは、肉を吸い骨を舐め、なんと食い尽くしてしまったのです。寺中の人々は『院主(住職)は鬼になられたのだ。』といって、慌てて逃げ去ってしまいました。それからというもの、夜な夜な里に下りては人を驚殺(きょうさつ。非常に驚くこと)したり、墓を暴いてはまだ生々しい屍を食ったりといった有様で、実に鬼というのは昔話で聞きはしますが、現実のものとなってしまいました。とはいえ、どのようにしてこれを制圧すれば良いのでしょうか。ただただ、夕暮れ時になったら戸を固く閉ざすことしかできません。近頃は国中に知れ渡ってしまい、人の往来さえなくなってしまいました。そういう故あって、あなたを見誤ってしまったのです。」

快庵はこの話を聞いて答える。

「世の中には摩訶不思議なこともあるものですな。およそ人に生まれ、仏菩薩の教えが広大なことも知らずに、愚かなまま卑屈なままにこの世を終わる者というのは、その愛欲や邪念の業に囚われ、前世の姿となって憤怒を報いたり、鬼や蟒(おろち。蛇のこと)となって祟りをもたらす、という例は、古来から今に至るまで数え切れないほどです。また、人は生きながらにして鬼と化す場合もあります。楚王の寵愛を受けた女官は蛇となり、王含の母は夜叉となり、呉生の妻は蛾となりました(いずれも『捜神記(そうじんき)』による)。また、昔のある僧の話です。この僧が賤しい家を一晩借りた時のこと、その夜は風雨激しく、灯火さえ無い侘しさに寝つくことができませんでした。そんな夜更けに羊の鳴き声が聞こえてきました。頃刻(ころこく。しばらくの間)すると、何かが僧の寝息を伺い、しきりに匂いを嗅いできたのです。僧は怪しみ、枕元に置いていた禅杖を手にして強く打つと、それは大声で叫んでそこに倒れたのです。この音に気づいた家主の媼が灯をかざして見ると、若い女が倒れているではありませんか。主人の翁は泣きながら命を乞いました。しばらくして、僧はその家を出たのですが、後に用があって再びその里を通ぎました。この時、田の中に人が大勢集まって何かを見ていたので、僧は立ち寄って、『何事ですか。』と尋ねると、里人は『鬼と化した女を捕らえて、今、土に埋めたところです。』と語った。。。そう言われています。住職が鬼になったと仰いますが、これらは全て女で、男がこのようになった験し(鬼になる例)は聞きません。およそ、女というのは元来愚かなので、そうした浅ましい鬼と化すのですよ(『今昔物語集』巻第二十七による)。また、男でも、隋の煬帝(5世紀、小野妹子が持参した書簡の「日出ずる処の天子」に激怒した皇帝)の臣下の麻叔謀(ましゅくぼう)という者が、子供の肉を好んでいたので、ひそかに民衆の子供を誘拐して蒸して食っていた、という話があるようですが、これは浅ましい野蛮な心から起きたことであり、ご主人の語られたこととは異なります。それにしても、その僧が鬼になったのは過去の因縁でしょう。そもそも、日頃、行徳(ぎょうとく。修行で備わる徳)を積むことの有難さというのは、仏に仕える行為に対して志誠(しせい。真心)を尽すことですので、その童子を養わなければきっと良い法師になったでしょう。それなのに、ひとたび愛欲の迷路に入って、激しく燃え盛る無明の業火(無知が引き起こす、怒りや欲、妬みなどの煩悩が業となって、心や生活を焼き尽くす様子)から鬼と化したのは、単に真面目な性格がもたらしたものでしょう。『心を野放しにすれば妖魔となり、律すれば仏果を得る』とは、まさにこの法師のことです。もし、老衲(ろうのう。老僧が謙遜で使う一人称)がこの鬼を教化し、本来の心に戻すことができたなら、今夜の饗応のお返しとなりましょう。」

そう言って、尊い志を立てたのであった。荘主は頭を畳に擦り付け、

「貴殿がこの事を成し遂げられましたなら、この国の人は浄土に生まれ変わったような気持ちとなりましょう。」

と、涙を流して喜んだ。

山里のやどりには貝鐘(ほら貝と寺の鐘)も聞こえず、出ている20日余りの月(下弦の月)の光が、古戸の間から洩れていた。夜が更けていたのに気づいたので、荘主は快庵禅師に

「ではお休みなさいませ。」

と言って、寝室へ行ったのであった。

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