プロフィール帳

『奥の細道』

時代:江戸

作者:松尾芭蕉

概要:自然や歴史、人の営みの美しさを見出した、東北・北陸を巡る紀行文学

9

オススメ度

7

日探重要度

5

文量

5

読解難易度

 

登場する場所

番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。

41『汐越の松・天龍寺・永平寺』では、

109 吉崎御坊跡

110 汐越の松碑

111 天龍寺

112 永平寺

が該当します。

原文

越前の境吉崎の入江を舟に棹して汐越の松を尋ぬ

終宵嵐に波をはこばせて月をたれたる汐越の松

西行

此一首にて数景尽たり

もし一弁を加るものは無用の指を立るがごとし

松岡天龍寺の長老古き因あれば尋ぬ

又金沢の北枝といふものかりそめに見送りて此処までしたひ来る

所々の風景過さず思ひつづけて折節あはれなる作意など聞ゆ `今既別に臨みて

物書て扇引さく余波哉

五十丁山に入て永平寺を礼す

道元禅師の御寺也

邦畿千里を避てかかる山陰に跡をのこし給ふも貴きゆゑ有とかや

現代語訳

越前との国境である吉崎。

とらちゃ
とらちゃ

現福井県あわら市の地名で、戦国時代、蓮如が北陸布教の拠点とした吉崎御坊があります。

そこの入江を舟で渡り、汐越の松(しおこしのまつ。現福井県あわら市浜坂。現存はしない。)を訪ねた。

西行

終宵(よもすがら) 嵐に波を はこばせて

月をたれたる 汐越の松

一晩中吹き荒れる嵐が波を運ぶ。

汐越の松にかかった雫に月が映って、雫が落ちると、月が零れるように見えるよ。

もし、一歌加えようものなら、それは余計な指摘である。

それほどに、この歌は汐越の松の美しさを完璧に表現しているのだ。

松岡(現福井県吉田郡永平寺町松岡。かつて松岡藩の城下町であった)の天竜寺の老住職(詳細不明)が古くからの知り合いなので、訪ねた。

金沢の刃研ぎ商である立花北枝という者が、「ちょっとだけ」と言って私を見送りに出て来たのだが、結局ここまでついてきてしまった。

とらちゃ
とらちゃ

立花北枝は、のちの蕉門十哲の一人になります。この時入門します。通称、研屋源四郎。

彼は、ここまで来る所々の風景を見過ごすことなく句を思いめぐらし、時折、素晴らしい作や視点を聞かせてくれた。

今、この天竜寺で師との別れの時に臨んで詠む。

物書て 扇引さく 余波(なごり)哉

所々で、句を書くために扇を引き裂いてきたことが名残惜しく思うよ。

引き裂くということはつまり、先生との別れでもあるのだから。

五十丁山(ごじゅっちょうやま)に入って、永平寺に礼拝した。ここに曹洞宗を開いた、かの道元禅師のお寺である。

とらちゃ
とらちゃ

永平寺を五十丁山というのは、山門から本堂までが五十丁(町)だったためです。

邦畿千里(ほうきせんり。都とその周辺の、王が直接治める土地。日本の場合畿内を指す)を避けて、山陰(やまかげ)にその生きた証を残されたのは、貴い理由があるとか。

とらちゃ
とらちゃ

山陰とは、山陰地方のことではなく、畿内を囲む山の裏(=山影)を指します。つまり、北陸です。

とらちゃ
とらちゃ

道元は当時の宋国に渡り、天童如浄という僧侶を師匠として仰いで修行しました。その如浄が、越州生まれであったため、日本の越州に開山したといいます。

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