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大教宣布の詔とは?
『大教宣布の詔(たいきょうせんぷのみことのり)』は、明治3年(1870)1月3日に明治天皇が出した詔です。明治政府が、神道を中心とした新しい国家の精神的なあり方を示した重要な文書になっています。
起草や編集は、福羽美静(ふくばびせい)を中心とする、国学者、神道関係者が担当しました。
背景
明治維新によって成立した新政府の最大の課題は、天皇を中心とする国家体制をどのように作っていくかというものでした。
江戸時代には、幕府の指導のもと儒教を中心とした教育がなされていましたが、武士の世が終わった明治時代において、明治新政府は、天皇を中心とする国家を形成するべく、神道を国家の基盤として位置づけようとしました。
そのためには、天皇と神々とのつながりを強調していく必要があります。その方針の中、打ち出されたのが、この『大教宣布の詔』なのです。
内容
『大教宣布の詔』では、まず最初に、天照大神などの神々から天皇へと皇位が受け継がれてきたことを強調しています。
そして、古代には「祭政一致」、つまり、神道と政治が一体となっており、天皇による統治と道徳的な教えが人々に行き渡っていたと説明しています。
しかし、中世以降になると政治や道徳が衰え、その状態が長く続いていたとし、ここで武士の世を批判しました。
そして明治時代。時代が大きく変化し、あらゆる制度を新しくする時期が来たとして、神道に基づく教えを明らかにし、それを国民に広める必要があるとしました。
最後には、神道を普及すべく、新しく「宣教使」という役職の設立を明言しています。
うまく進まなかった布教運動
明治時代の初期にあたる1870年代は、神道の国民教化を進めるための制度が整えられ始めた時期で、神道を中心とした国民道徳の形成が目指されました。
ここで重要なのは、大教宣布の詔=「神道を国教にした」という単純な話ではないことです。
数年前まで武士の世の中だった70年代。突如誕生した明治政府は、神道を国家の祭祀や国民教化の中心に置こうとした一方で、当然、その反動として、実際の国民生活への影響をはじめ、キリスト教や仏教といった他宗との関係など、さまざまな問題を抱えていました。
発布の2年前である明治元年(1868)には、『神仏分離令』が出されていました。神社から仏教的要素を分離する政策で、地域によっては廃仏毀釈と呼ばれる仏像、寺院などへの破壊行為も発生したわけですが、明治政府も破壊行為にまで発展するとは思っていなかったようで、明治新政府いきなりの失策となりました。
このように、神道を中心とした国家形成は当初の構想どおりには進みませんでした。
『大教宣布の詔』の意義
そのような渦中に発表されたのが『大教宣布の詔』です。明治初期の、国家と宗教の再編という流れの中に位置づけられる出来事といえるのはお分かりいただけることでしょう。
他宗の排斥といった過激な行為による国教再編ではなく、神道の教えや道徳を国民に広く説き、天皇を中心とした国家にふさわしい国民意識を形成していくことで、国家と宗教の関係を再編しようとしたのが、『大教宣布の詔』の意義だったといえます。
神道そのものを国民に押し付けるのではなく、神道的な道徳観や天皇への忠誠などを「教え」として広めることによる、天皇を中心とした国家にふさわしい国民意識を形成を目指した。
現代語訳
朕恭惟 天神天祖 立極垂統 列皇相承 継之述之 祭政一致 億兆同心 治教明于上 風俗美于下 而中世以降 時有汚隆 道有顕晦矣 治教之不洽也久矣 今也天運循環 百度維新 宜明治教 以宣揚惟神大道也 因新命宣教使 以布教天下 汝群臣衆庶 其體斯旨
私は、天神や天祖が、立極を垂統せんとし、絶えることなく歴代天皇がこれを受け継ぎ、広めてきたことを深く尊んでいる。
立極 教え、政治の最高基準を定めること。古くは帝王が即位して統治の基準を立てる。
垂統 優れた伝統や事業を後世の子孫や後継者へ伝え残すこと。
古代では、祭祀(神道)と政治を一体化し、全ての国民の心を一つにしてきた。
上では政治や神道の教えが明らかにされ、下では人々の風俗が美しいものとなっていった。
しかし、中世以降になると、政治は汚隆(政治の盛えと衰え)を繰り返し、それに合わせて道徳も顕晦(けんかい。現れることと隠れること)を繰り返した。結果、政治や神道の教えが十分に行き渡らない状態となり、これが長く続いてきた。
行方をくらます。と言いますよね。実は、漢字では晦(くら)ます。と、書きます。
そして今。天の運行の循環の理により、幾度もの生まれ変わりを遂げ、ついに、政治と神道の教えを明らかにし、惟神の大道(かんながらのたいどう)を宣揚する時が来た。
惟神の大道 神の御心(みこころ)のままに生きる(かんながら)、日本古来の神道における宇宙の真理や根本的な道(たいどう)のこと。
そこで、新たに「宣教使」を任命し、天下への布教を任じた。
宣教使とは、明治時代初期に神道による国民教化を進めるため、明治政府が設置した官庁およびその職員のことです。
お前たち群臣も、衆庶(しゅじょう。一般の人々)も、この趣旨をよく理解し、実行せよ。
終わりに
『大教宣布の詔』は、単に神道を広めるために出された詔という話ではなく、明治政府が、天皇を中心とする新しい国家をつくるにあたって、どのような価値観を国民に普及させるべきのかという問題に対する、一つの答えでもありました。
神仏分離によって宗教のあり方を大きく変え、廃仏毀釈という混乱も経験した明治政府は、この『大教宣布の詔』を起点に、神道そのものを国民に押し付けるのではなく、神道的な道徳観や天皇への忠誠などを「教え」として広めることで、国民の意識をまとめようとしていきました。
こうした明治初期の試行錯誤の末に出した結論は、やがて国家神道と呼ばれる体制へとつながっていくことになるのです。
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