作者不明室町
御伽草子のひとつ。しがない男の出世物語。
御伽草子とは?
御伽草子とは、室町時代から江戸時代にかけて発達した短編の絵入り物語です。神話や民話、教訓など、特定のジャンルや形式に囚われない全く新しい読みものとして登場しました。
現代でも、『日本昔話』を代表として多くが語り継がれています。
浦島太郎・一寸法師・酒吞童子・南総里見八犬伝 etc・・・
室町時代から江戸時代にかけて発達した短編の絵入り物語
今回、記事の最中に挿絵を挿入しました!引用は下の通りです。
挿絵引用
稀書複製会 編『物くさ太郎 : 新板絵入』上,米山堂,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1192400
稀書複製会 編『物くさ太郎 : 新板絵入』下,米山堂,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1192405
物くさ太郎のあらすじ
ところは信濃の国。物くさ太郎は大工でありながら全くもって面倒くさがり屋でした。
この強烈な個性を国守に気に入られ、里中の人が物くさ太郎を養うといった事態に。物くさ太郎はさらにぐうたらな生活をすることになりました。しばらくして後、領主から、『京で奉公する者を選出せよ。』との命令が来ます。物くさ太郎は、これまでの恩を感じていざ上洛することに。
面倒くさがりの彼は京にたどり着けるのか?無事上洛した先に、物くさ太郎を何が待ち受けるのか?
面倒くさがり屋の波乱旅を3部構成で、現代語訳していきます。
現代語訳①
物くさ太郎という人物
東山道のみちのくの末に信濃国がありました。信濃国は十の郡から成る国です。その一つ、筑摩郡にある「あたらしの郷」には不思議な男が一人住んでいました。名を「物くさ太郎ひぢかす」。なぜ「物くさ」と言うかというと、信濃国で一番の物くさ(=面倒くさがり屋)だからです。ただ、「物くさ」と言われながらも職業は大工。その腕は見事なもので、人々は彼を高く評価していました。
彼の造る家はというと、四面に築地を立て、三ヶ所に門を立て、東西南北に池を掘り、島を作り、松や杉を植え、島から陸地までの橋をかけては高欄まで備え、その高欄には擬宝珠まで付けては磨き上げているというもの。彼の名は世の人によく知れ渡っていました。そんな腕前を持っているので、彼は
[十二間の遠侍(=武家の詰所)、九間の渡り廊下、釣殿(=寝殿造りで、池に面して東西に設けられた建物)、細殿(=女房などの居室)、梅壺(=梅が植えてある建物)、桐壺、籬ヶ壺に至るまで、百種の花を植え、主殿は十二間造り、檜皮葺の屋根に錦を天井に張り、桁と梁を打つ。垂木の組み木には白銀や金を打ち、瓔珞の御簾を垂らし、馬屋、侍所に至るまで、立派な我が家を建てて身を立てたい。]
と心では思っていましたが、現実は色々事足りないので、ただ竹を四本立て、こもをかけた、みすぼらしい家に住んでいました。
雨の日も晴れの日も、普通の家とは違った暮らしをしていました。このように、自分の家の造りは不十分ですが、手足のあかぎれ、ノミ、シラミ、肘に付いた垢は十分。元手が無いため商売はしないし、農作物を作ることもないので食料はない。四、五日も起き上がらず、寝て過ごしていました。
救いの手
ある時、情けある人が愛敬の餅(結婚第三夜の祝いで用いられる餅)を五つ彼に与えてくれました。どんなにひもじい思いをしているのか、そう思って餅をくれたのです。物くさ太郎はたまたま得た食料なもんですから、五つのうち四つを一気に食べてしまい、残り一つは食べようか食べまいか悩みました。
[まだもう一つあると思って今食べないでいれば、後で腹が減った時の助けになる。逆にそう思わずに今さっさと食べてしまうと、ひもじい訳ではないが後で腹が減った時に助けにならない。そうだ。この一つをこの目で見守っていればそれだけで空腹感の助けになる。誰かが食料をくれるまではこのまま持っておこう。]
そう決めた物くさ太郎は、寝たまま餅を胸のあたりでもてあそんだり、鼻の脂を付けたりして遊んでいました。そうしているうちに彼は餅を落としてしまいました。餅は大通りにまで転がっています。物くさ太郎は周囲を見渡しては思いました。
[取りに行って戻ってくるのも面倒くさい。大通りだから、誰も通らないということはないだろう。いつまでかかっても良い。その時に拾ってもらおう。]と。
なんて面倒くさがり屋なんでしょう。
竹竿を使って餅に近寄る犬や鳥を追い払い続けること三日、大通りに人影は見られませんでした。人が通るのを待つこと三日目、普通の身分でない人が大通りにやってきました。その人はこの地域の地頭で、「あたらしの左衛門尉のぶより」という人でした。小鷹狩りのためにこの大通りを通ったらしく、目白の鷹を据えさせて、五十、六十騎の手勢が付き従っていました。
物くさ太郎はこれを見て、首を持ち上げて
「もしもし、お願い申し上げたい。そこに餅がございます。取っていただけませんか。」
と言いました。しかし、御一行は耳にも入れずに通り過ぎて行きました。物くさ太郎はこれを見て、
「餅すら取ってくれないなんて。あれほどの面倒くさがり屋がどうやって領地を治めることができようか。馬から降りて、取って渡すだけなんて容易いことなのに、世の中で面倒くさがり屋は自分だけだと思っていたけれども、あんなに大勢いたのだな。」と言っては、「なんて情けない殿様だ。」
と文句を呟き腹を立てたのでした。
兵部尉が荒々しい者であったならば、腹を立ててどのような仕打ちをしたことでしょう。そんな、人となりが分からない兵衛尉が物くさ太郎の文句を聞いて馬を引き止め、物ぐさ太郎に話しかけました。
「こやつのことか、噂に聞く物くさ太郎という者は。」
「左様でございます。世の中に二人といればですが、そうはございますまい。」
「そうか、お前はどのようにして過ごしているのか。」
「はい、私は人が物をくれる時は何でも食べます。くれない時は、四日でも五日でも、はたまた十日でもただ何もせずに時を過ごしています。」
このように、物ぐさ太郎は申し上げると、
「それは可哀想である。命を繋ぐようにせよ。我々が同じ樹の影に暮らしているのも、同じ河の水を汲むのも、他生の因縁というものであろう。この国は広いのに、お前も私も同じ地で生まれた。前世からの因縁だ。土地を耕して生活するがよい。」
と言ったのでした。
「恐れながら、土地を持ってません。」
「ならば土地を与えよう。」
「それは面倒くさいので、土地は欲しくありません。」
「では、商売をして暮らすとよい。」
「元手がございません。」
「ならば与えよう。」
「今さら、慣れないことや知らないことをやっても、なかなかやりにくいです。」
これでは埒が明きません。ここまで聞いた兵部尉はあることを決めました。
「変わり者だな。それでこそ、「物くさ太郎」だ。よし、そうであるならば、命が助かるようにしてやろう。」
そう言って従者に硯を持ってこさせ、制札に何かを書いて領地内に広めました。
『この物くさ太郎に毎日三合の飯を二度食わせ、酒を一度飲ませること。そうしなかった者はこの領地に住むことは許されない。』
そう書いてお触れ回ったのでした。
本当に、本当に、働かない者にこのような方法で手を差し伸べるのは、主君の仰せであるとはいえ道理に合わない。そう思いますがこのように書いてあるので、人々は、三年間、物くさ太郎を養ったのでした。
上洛
3年目の春の終わり。信濃国の国司「二条の大納言ありすゑ」という人が、このあたらしの郷から長夫(長期間夫役に携わる人)を割り当てることに決めました。
百姓らが寄り集まって、
「誰の家から誰を上洛させようか。長い間割り当てがなかったから、誰も経験したことがないぞ。いかがしよう。」
と嘆いていたところ、誰かが言いました。
「そうだ、物くさ太郎を長夫に仕立てて上洛させよう。不意に餅が大通りに転げていった時、奴は自分で取りに行かないで、地頭殿がお通りになった時に「取っていただきたい。」言ったくらいの面倒くさがり屋だ。」
それを聞いたある人は、
「そういう男だ。奴を上手く騙して長夫にすれば、我々にとって良いことだ。さあ、みな集まって。奴を騙してみよう。」
と言い、郷の偉い人が四、五人で物ぐさ太郎のもとに向かったのでした。
「やあ、物ぐさ太郎殿。あなたを尋ねたのも他にない。我々みな大事な公事に選ばれてしまいまして、あなたに助けていただきたいのです。」
「何事でございますか。」
「長夫というものに選ばれました。」
「それは幾ばくか期間の長い公事なのでしょうか。大ごとです。」
「いや、それほど長いものではありません。我々のような百姓の中から上洛させて都勤めをすることを長夫というのです。我々はこの三年間あなたを養ってきました。その情けにかけて代わりに上洛していただきたい。」
と言いました。しかし、
「私を養ったのはあなた方の意志ではさらさらないでしょう。地頭殿が仰せになったからそうしたのでしょう。」
と言い返されてしまいました。物ぐさ太郎から上洛する気は感じられません。またある人は続けます。
「一方では、あなたのためでもあるのですよ。男というのは、妻を娶ってから男としての精神が備わります。逆に妻は夫に連れ添うことで女としての精神が備わります。このような汚らしい粗末な小屋でただひとりで生活し続けるのではなく、男としての精神を備える準備をしませんか。なぜ精神を備える必要があるか、それには理由があります。男は三度の晴れの儀式を経ることで一人前になると言われているからです。①元服の時。②妻を娶った時。③官位についた時。それだけでなく、街道などを通ると一人前になるとも言われています。田舎の人は情けを知らないかもしれませんが、都の人は情けがあって、どのような人も嫌うことがありません。容姿の整った人であっても、配偶者の美醜に関わらず互いに頼りながら生活するのが世の常です。そういうわけで、上洛して心ある人と連れ添って男として一人前になろうではありませんか。」
そう色々教訓を語ると、これを聞いた物ぐさ太郎はついに
「それはその通りです。この世の道理だと思います。急ぎ上洛させてください。」
と言ってその体を持ち上げたのでした。出発しようとする様子を見て百姓どもは皆大喜び。銭を集めて物ぐさ太郎に渡し、上洛させたのでした。
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