プロフィール帳

『奥の細道』

時代:江戸

作者:松尾芭蕉

概要:自然や歴史、人の営みの美しさを見出した、東北・北陸を巡る紀行文学

9

オススメ度

7

日探重要度

5

文量

5

読解難易度

 

登場する場所

番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。

21『末の松山』では、

44 野田の玉川の碑

45 末の松山

46 塩釜湾

47 曲木島(籬島)

が該当します。

原文

それより野田の玉川沖の石を尋ぬ

末の松山は寺を造て末松山といふ

松のあひあひ皆墓はらにてはねをかはし枝をつらぬる契の末も終はかくのごとき

と悲しさも増りて塩がまの浦に入相のかねを聞

五月雨の空聊はれて夕月夜幽に籬が島もほど近し

蜑の小舟こぎつれて肴わかつ声々に

つなでかなしも

とよみけん心もしられていとど哀也

其夜目盲法師の琵琶をならして奥浄るりと云ものをかたる

平家にもあらず舞にもあらずひなびたる調子うち上て枕ちかうかしましけれど

さすがに辺土の遺風忘れざるものから殊勝に覚らる

現代語訳

そこから、野田の玉川の沖の石を探し求めた。

とらちゃ
とらちゃ

二条院讃岐『我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし』

私の袖は潮が引いても見えない沖の石のようだ(潮が引いても海底が見えないほど涙で濡れている)。人には知られないとはいえ、乾く間もないよ。

見ての通り、この歌は、特別ここで詠まれた歌ではありませんので、ただの付会で歌遊びしただけです。

末の松山に建てられた寺は、末松山という。

松の木々は皆、墓地になっていた。

『松の木々が、「羽を交わす比翼の鳥のように、枝を連ねる連理の枝のように、そこに居続けよう。」と誓ったとしても、その行く末はこのようになるのだろうか。』

と思うと、悲しさが増した。

とらちゃ
とらちゃ

白楽天『長恨歌』の引用です。次の章をご覧ください。

塩釜の浦で、入相の鐘(夕方の鐘)を聞いた。

五月雨の空は少し晴れて、夕月夜(ゆうづくよ。夕方に見える月)は趣深かった。

とらちゃ
とらちゃ

『古今和歌集』在原業平
『君まさで 煙絶えにし 塩釜の うら寂しくも 見えわたるかな』

あなた(源融公)がいらっしゃらなくなって、塩を焼く煙が絶えてしまった塩釜の浦は、うら寂しく目に映ります。

煙は、火葬のあなた(源融公)がいらっしゃらなくなって、塩を焼く煙が絶えてしまった塩釜の浦は、なんと心寂しく一面に見渡されることよ。

籬ケ島もほど近い。漁夫が小舟を漕ぎ寄せて、魚を仕分けする声々に、『~つなでかなしも』と詠んだ人の心が偲ばれて、非常に趣深かった。

とらちゃ
とらちゃ

『古今和歌集』 巻二十 東歌

『陸奥の いづくはあれど 塩釜の 浦漕ぐ舟の 綱手かなしも』

陸奥には名所が多くあるが、とはいえやはり、塩釜の浦を漕ぐ舟が引く綱の風景は、心惹かれるものだ。

その夜、盲目の法師が琵琶を鳴らして、『奥浄瑠璃』というものを語ってくれた。

『平家物語』でもない、『幸若舞(こうわかまい。曲舞の一種)』でもない、鄙びた(ひなびた。古風で落ち着きのある様子)調子を取って声を挙げていた。

枕が近く騒がしかったが、それでも辺土(田舎)には、遺風(伝統や継承)が忘れられず残っていることに殊勝を覚えた(感心した)。

長恨歌の最後

歌の最後に以下のような句があります。

在天願作比翼鳥 在地願為連理枝

天では比翼の鳥になることを願い地上では、連理の枝になることを願う。

比翼連理ということわざはこれが由来です。夫婦の情愛が非常に深く、仲睦まじいことの例えです。

『長恨歌』は、玄宗皇帝と楊貴妃をテーマにしています。

以下が長恨歌の流れです。

  1. 安史の乱の最中、楊貴妃は馬嵬坡(ばかいは)で死を命じられる。
  2. 玄宗は都へ戻った後も楊貴妃を忘れられず、深い悲しみに暮れる。
  3. 道士(仙人のような人物)が楊貴妃の魂を探しに行く。
  4. 海上の仙界で楊貴妃の魂を発見する。
  5. 楊貴妃は玄宗への変わらぬ愛を語り、再会の証として形見を託す。
  6. 「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝となろう」と永遠の愛を誓う。

二人のように愛を誓ったとしても、その行く末は儚いものとなってしまいました。

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