奥の細道【マップ付き!分かりやすい現代語訳#22】塩釜
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登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
22『塩釜』では、
48 塩釜神社
が該当します。
原文
早朝塩がまの明神に詣
国守再興せられて宮柱ふとしく彩椽きらびやかに石の階九仭に重り朝日あけの玉がきをかかやかす
かかる道の果塵土の境まで神霊あらたにましますこそ吾国の風俗なれ
といと貴けれ
神前に古き宝灯有
かねの戸びらの面に
文治三年和泉三郎寄進
と有
五百年来の俤今目の前にうかびてそぞろに珍し
渠は勇義忠孝の士也
佳名今に至りてしたはずといふ事なし
誠人能道を勤義を守べし名もまた是にしたがふ
と云り
現代語訳
早朝、塩釜神社(奥州の一の宮)に参詣した。
当時の国守(伊達政宗)が再興なさったものである。
宮柱は太く、彩られた椽はきらびやかで、石段は九仞に重なり、朝日が朱の玉垣を輝かせている。
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「このような道の果て、塵土の境まで神霊はあらたかにおわしている。これぞ我が国の習俗だ。」
と、とても尊く思われた。
神前には、古い宝灯がある。鉄の扉の表面に、
『文治三年(1187)、和泉三郎寄進。』
とある。
とらちゃ
和泉三郎は、奥州藤原氏の秀衡の三男、藤原忠衝のことです。父秀衡の命を守り、源義経に忠義を示し仕えていましたが、兄の泰衡が源義経を攻めた際、泰衡側につかなかったため殺されました。
五百年前の面影が今、眼前に浮かんできて、わけもなく不思議な感情が湧いてきた。
彼は、勇義忠孝の武士である。今に至っても、その佳名を慕わない者はない。
まさに、『人よく道を勤め、義を守るべし。名もまた是にしたがう』という言葉どおりである。
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