奥の細道【マップ付き!分かりやすい現代語訳#37】太田神社
登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
37『太田神社』では、
104 多太神社
が該当します。
原文
此所太田の神社に詣
実盛が甲錦の切あり
往昔源氏に属せし時義朝公より給はらせ給とかや
げにも平士のものにあらず
目庇より吹返しまで菊から草のほりもの金をちりばめ龍頭に鍬形打たり
実盛討死の後木曾義仲願状にそへて此社にこめられ侍よし
樋口の次郎が使せし事共まのあたり縁起にみえたり
むざんやな甲の下のきりぎりす
現代語訳
この小松にある太田神社(多太ただ神社のこと)に参詣した。
斎藤実盛(源平合戦の篠原の戦いで討死した老将)の兜と錦の直垂の切れ端が納められている。
その昔、源氏に仕えていた時に源義朝公より拝領したものだとか。
領地を賜るなど、全くもって、並の武士が持てるようなものではない。
兜の目庇(まびさし)から吹き返しまで、菊唐草の彫刻に金箔がちりばめてあり、竜頭(りゅうず。たつがしら)は鍬形が打ってある。
眉庇は、帽子のツバのように突き出た部分。
吹き返しは、兜の左右にある、耳を覆うように外側に反っている部分。
竜頭は、兜の角のような装飾の名称。
施してあることを、「打つ」という。
実盛が篠原の合戦において討死した後、木曾義仲が木曾義仲が願状に添えて兜等をこの神社に納めたこと、その時、木曾義仲の従者、樋口次郎兼光が使者となって無念の涙を流したことなどが、目の当たりの出来事のように、縁起物語のように思い浮かばれた。
実は、木曾義仲にとって、斎藤実盛は命の恩人です。
平治の乱後、木曾義仲の父、源義賢を討った側についていた斎藤実盛は、まだ幼かった木曾義仲(駒王丸)を殺さず、木曾へ逃がしたという過去があります。
そして時は移って篠原の戦い。命の恩人を討ったのは、あろうことか自身の従者、手塚太郎光盛だったというわけです。
そのため、木曾義仲は弔いとして、この神社に願状と兜を奉納しました。
無慙やな 甲の下の きりぎりす
残酷でいたわしいことだ。
今や、あの猛将の兜の下で、きりぎりす(今でいうコオロギ)が物悲しく鳴いているよ。
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