文学

三教指帰【現代語訳#1】三教の意味と書かれた経緯を分かりやすく解説!

プロフィール帳

『三教指帰』

時代:平安

作者:空海

概要:出家の訴え状ともいえる作品。仏教の優位性を説く

6

オススメ度

4

日探重要度

7

文量

10

読解難易度

『三教指帰』について

趣旨と著作までの経緯

『三教指帰』の書かれた趣旨は、「空海が出家の意志を周囲の人に伝えるため」です。

大学寮で学問に励んでいた空海はある僧から『虚空蔵求聞持法』を授かり、その教えに没頭していきました。虚空蔵求聞とは、山岳信仰の一種で、山などの世俗と離れた世界に身を置き、虚空蔵菩薩念仏を百万回唱えると一度聞いたことは忘れない能力が手に入ると言われています。

当時の大学寮は律令国家に尽くす官吏の養成機関であったため、基盤学問である儒教が主に展開されていたわけですが、空海はこの儒教を「先人の名言を素晴らしいように物言っただけの役に立たない学問である。」とぶった切り。自身と向き合い精神の調律を行う仏教の教えに感銘を打たれました。組織の一部としての教えを説く儒教よりも、個の成長を説く仏教の方が空海には向いていたようです。

さて、虚空蔵求聞に没頭した空海は出家を決意しますが、当然家族は反対します。親が出世コースを歩む息子に期待を寄せるのは世の常です。しかし、空海20歳の時に大学寮退学を強硬、24歳で山岳入りをし、その時に『聾瞽指帰』を著しました。年は797年。平安遷都のわずか3年後です。

あれ?『三教指帰』ではない?

はい、実は『三教指帰』は空海が53歳(諸説あり)の時に『聾瞽指帰』の改訂版として書き直したものです。修業を積んだ空海の思考や知識がふんだんに込められているので、『聾瞽指帰』よりもかなり読みやすく、そして空海の考えが分かりやすくなった作品となっています。

三教指帰とは

797年に作られた

空海が出家の意志を伝えるために著した

53歳の時に改訂版として書き直した

内容

上中下の三巻構成で、小説調で書かれています。各巻において、儒教・道教・仏教の学者が各々の教えの趣旨を説いています。

三教とは、儒教・道教・仏教の3つの教えという意味ですね。

ストーリー

舞台は兎角公のバー。兎角公は、店にやってきた上記の三人の学者に、「息子の蛭牙公子の素行が悪すぎる。」という相談を持ち掛けます。そして、そこへ蛭牙公子を招いて彼らが蛭牙公子にひたすら教えを説く。最終的に、「仏教が最も優れている」という結論に至りました。

空海が出家の意志を論じるための著作なので、当然の結末です。

古代中国の先人の逸話や教えを大量に持ち出して説得力をもたせる作りになっているのですが、これ、現代の論文と同じく、先行文献を引用して自身の考えを述べる。という構造になっています。この時代から、「論じる」という言葉の意味は変わっていないようにも思われますね。

内容

儒教・道教・仏教の三人の学者が登場し、「仏教が最も優れている」という結論を出す

現代語訳

文章を書くということ

三教指帰巻上[并序]
文之起必有由天朗則垂象人感則含筆是故鱗卦聃篇周詩楚賦動乎中書干紙雖云凡聖殊貫古今異時人之写憤何不言志

『三教指帰』上巻(併せて序文)

人が文章を書く時、それには必ず理由がある。天が朗らかに晴れ渡っている時、人は何かを感じ筆を手にするのだ。天とは吉凶禍福を示す存在である。つまり、人の心が澄んでいる時、何かを思っては、その思いを文章に興す。これを起因として、鱗卦、聃篇、周詩、楚賦といった文体が生まれ、心の動きを紙に書き記した。生きる時代や生きる人が古今で異なるが、人が憤りの感情を文章に写すことは、凡人であれ聖人であれ、昔から一貫して変わらない。それ故に、私も思っていることを述べよう。

空海の出家

余年志学就外氏阿二千石文学舅伏膺鑽仰二九遊聴槐市拉雪蛍於猶怠怒縄錐之不勤爰有一沙門呈余虚空蔵聞持法其経説若人依法誦此真言一百萬遍即得一切教法文義暗記於焉信大聖之誠言望飛燄於鑽燧躋挙阿国大瀧嶽勤念土州室戸崎谷不惜響明星来影遂乃朝市栄華念念厭之巌薮煙霞日夕飢之看軽肥流水則電幻之歎勿起見支離懸鶉則因果之哀不休触目勧我誰能係風爰有一多親識縛我以五常索断我以乖忠孝

私は十五歳の時に学を志し、母方の叔父、従五位下であった阿刀大足のもとで文章を学んだ。崇め従うべき存在であった。

十八歳になり、私は槐市(大学寮の別名)に遊学し、学問に励んだ。車胤が蛍雪の光もとで書物を読んだことや、孫敬が縄や錐をもって禁欲的に書物を読んだことを心に留め、怠る気持ちを押し潰したり、さぼることを怒ったりすることで自分を戒めた。

そんな時、ある沙門が私に『虚空蔵菩薩求聞持法』を説いた。その経文にはこう書いてある。『もし、人がこの教法に従って真言を100万回暗唱すれば、全て法典の文義を理解し、暗記することができるだろう。』ここにおいて私は大聖(法華経における仏)の真言を信じて勤行に精進した。例えるならば、燃え上がる炎を目指し、きりもみして火をおこすことといえよう。大きな成果を目指して、地道な努力を重ねたのである。

阿波国にある大瀧嶽に登り(修行は龍の窟か)、土佐国室戸岬で念仏修行を行った。龍の窟では私の存在に構うことなく、虚しくこだまする。室戸岬では、明星が姿を現した。大瀧嶽で見出した虚空蔵菩薩が室戸岬において顕現し、私を真言の道に導いたのである。厳しい修行は、身を結んだ。そして私は、修行を積めば積むほど世俗の栄華が嫌になり、朝も夕も、巌や薮などの世俗離れたところで煙霞のように生涯を終えることを望むようになった。

軽やかな服装で肥えた馬に乗る。そんな富貴に溺れる者も、結局は流水のように速く、稲妻が幻に思われるほど一瞬の人生なのだ。また、醜い者、貧しい者を見ては、前世の行いの報いを今の世で受けていると感じ、悲しむことを休む暇などなかった。

目に触れた者皆が私に出家を勧めた。誰も風を繋ぎ止めることはできないというのに、どうして私の出家の意志を止めることができようか、いや、出来ない。しかし、阿刀大足をはじめ親族が、仁義礼智信の五常の徳目をもって私との繋がりを持ち続けようとし、私を俗世に縛り付けた。忠孝に背くという理由で私の出家を認めなかったのだ。

「三教」の由来

余思物情不一飛沈異性是故聖者駆人教網三種所謂釈李孔也雖浅深有隔並皆聖説若入一羅何乖忠孝

私は、ものの性質というのは、それぞれ異なっていると思っている。鳥は飛び、魚は泳ぐように。聖者が人を教導する時、三種類の教えを用いる。釈迦の仏教、李の道教、孔子の儒教である。それぞれ異なる教えのため、教義の浅い深いはあるけれども、聖者が説いたという点に関しては皆共通している。三教一致である。つまり、この三つの道以外に進みさえしなければ、忠孝に背くことにはならないということである。

『三教指帰』の構成

復有一表甥性則很戻鷹犬酒色昼夜為楽博戯遊侠以為常事顧其習性陶染所致也彼此両事毎日起予所以請亀毛以為儒客要兎角而作主人邀虗亡士張入道旨屈仮名兒示出世趣倶陳楯戟並箴蛭公勒成三巻名曰三教指帰唯写憤懣之逸気誰望他家之披覧

于時延暦十六年臘月之一日也

また私には一人の甥がいるのだが、彼は道理に反した振る舞いをしている。狩猟や酒、色恋沙汰に昼夜遊び呆け、賭博や遊戯を常にしている。これのような習性となったのは何故か。それは悪い世界に感化されてしまったからである。かれこれ親戚と、この甥のことが毎日頭から離れない。とても講義に集中できないため、私の代わりに三名の先生に登場していただき、それぞれの教えを講義していただく。

お客さんの役をする亀毛先生には儒教を教えていただく。兎角公には主人の役を。そして、虚亡士先生を後からお呼びし、道教に入ることの趣旨を話していただく。仮名児先生には受け役になってもらう。皆が仮名児先生を困らせ、それに反論するかたちで仏教の道に進む趣旨を主張してもらうのだ。

『この三人の先生が、それぞれの立場で論を展開し、兎角公の甥で放蕩者の蛭牙公子に忠孝というものについて説く。』という構成で本書を記した。三巻構成とし、『三教指帰』と名付けた。これはただ、私の心に高ぶる思いを文字に起こしただけである。誰か他の家の者に見せるつもりは無い。

延暦十六年(797)十二月一日、これを記す。

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