児のそら寝
登場人物
- 児 延暦寺の子供
- 僧ら 延暦寺の僧
単語
- かひもち ぼた餅の一種
- し出す 「する+出す」で作って完成する、の意味。「し始める」の意味ではない。
- 念ず 我慢する
- ずちなし どうしようもない
現代語訳
今となっては昔のことだが、比叡山延暦寺に子供がいた。僧たちが夕暮れ時退屈であったので「さあ、かいもちを作ろう」と言ったのを、この子供は心待ちにしていた。かいもちを作って卓に出てくるまで寝ないで待つのも悪いと思い、部屋の片隅に寄って寝たふりをして出来上がるのを待っていた。もう出来上がった様子なのだが僧らが大勢で騒ぎ立てていた。この子供はきっと誰かが起こしてくれるだろうと待っていると、僧が「申し上げます、起きてください。」と言いに来た。この子は嬉しく思ったが、ただ一言で返事すると、「この子はかいもちを待っていたのだな。」と思われるかもしれないと考え、もう一言声を掛けられるまで待とうと我慢して寝ていた。すると「おい、起こしなさってはならない。その子は寝入りなさったのだ。」と言う声がしたので、「ああ困ったものだ」と思い、もう一度お越しに来ないかと思いながら寝ていると、むしゃむしゃと僧らがひたすらかいもちを食べる音が聞こえてきた。どうしようもなくて、長い時間が経ってから「やい。」と答えてしまったので、僧たちはこの上ないほど笑うのであった。
解説
この物語の面白さは「起こすな。」という部分にあると思います。
本当に子どもが寝ていたと判断して「起こすな。」と言ったのか、それとも意地悪してわざと「起こすな。」と言ったのか。という2つの考え方ができるのですが、この時点では分かりません。
しかし、最後のオチにあたる「僧らはこの上なく笑った」という部分から、このままでは子供がかいもちを食いそびれるところだったのを分かっていたと読み取れます。つまり、すでに起きていたことを僧らは知っていて、わざと「起こすな。」と言ったと捉える方が正しいでしょう。そうでなければ、この上なく笑う理由が見つかりませんからね。
検非違使忠明の事
登場人物
- 忠明 検非違使
- 京童部 無辺者、ならず者
単語
- いさかひ けんか
- 蔀(しとみ) 板戸のこと
- しぶく 滞る
現代語訳
今となっては昔のことだが、忠明という検非違使がいた。忠明が若かったころ、清水の橋のところで京のならず者とけんかしたことがあった。彼らはそれぞれ手に刀を持ち、忠明を囲い殺そうとしたので、忠明も太刀を抜いた。本堂のほうへ上ると、本堂の東の端のほうにも多くの仲間が立っており、彼らと向かい合ったので、本堂の中の方に逃げて、板戸を脇に挟んで前の谷に飛び込んだ。板戸の下の方の風が滞り、鳥が木にとまるように、優しく谷底に落ちたので、そこから逃げ去っていった。彼らは谷を見下ろして驚きあきれ、皆並んでみていたけれどもどうしようもなくて、それで喧嘩は終わったのだった。
解説
舞台は清水寺の中の本堂と、その前の舞台になります。舞台前の斜面は高さ13mになるといい、一般的な建物に換算すると4~5階の高さになります。忠明はここから飛び降りたのです。アクション系洋画の展開ですね。忠明の話は本当か、誇張しているのか、是非とも本人に聞いてみたいものです。
尼、地蔵を見奉る事
登場人物
- 年老いた尼
- 博徒 本文では「博打(ばくうち)」
- ぢぞう 子供の名前
- 親 ぢぞうの親
単語
- すはえ 木の枝
- えもいわず いいようのないほど甚だしい(良し悪しどちらにも用いる)
現代語訳
今となっては昔のことだが、丹後国に年老いた尼がいた。「地蔵菩薩が夜明け頃に歩きなさっている。」というのをにわかに聞いて、この地蔵菩薩を見に行こうと思いその辺を歩いていると、博徒が尼を見て、
「尼君は寒い中何をされているのか。」
と問うので、
「地蔵菩薩が夜明け頃に歩きなさっている。これにお会いしたいと思いこのように歩き回っているのだ。」
と返した。すると博徒は
「俺はその地蔵菩薩が通る道を知っている。共に行きましょう。」
と言ったので、
「ああ、嬉しいことだ。その道へ私を連れて行ってください。」
と返したのだが、
「ただし、俺に何か報酬を下さい。そうすればすぐに連れていきましょう。」
とものを乞うてきたのだった。
「私の着ているこの服をあげましょう。」
ということになり、尼はようやく博徒に連れられてその場所に行った。尼は喜んでその場所まで急ぎ行くと、そこには「ぢぞう」という子供が住んでいる家に来た。博徒とその子供の親が知り合いであったので「ぢぞうは?」と博徒が親に問うと
「遊びに行って家にいません。今に帰ってきますよ。」
と言う。博徒は尼に
「さあ、ここです。地蔵がいらっしゃるところは。」
と言うと、尼は嬉しくて紬でできた衣を脱いだ。すると博徒はそれを急いで取ってどこかへ行ってしまったのだった。尼は
「地蔵を見奉りたい。」
と言って座っている。親は訳が分からず、
「なぜ我が子を見たいとお思いになったのか。」
と思っていると、十歳ほどの子供が帰って来て
「尼君、さあ、地蔵です。」
と親が言ったので尼は夢中になって伏しては転がり、土にうつぶせになって拝み入った。木の枝を持って遊んでいたまま帰ってきたようなのだが、その木の枝でこれとなく額を掻くと、額から顔の上まで裂けてその中から言いようもないほど有難い地蔵の顔がお見えになった。
尼はうつぶせになったまま拝んでから見上げると、こうしてお立ちになっているので涙を流し、拝み続けた。するとその場で息を引き取り、極楽浄土へ向かわれたのだった。
つまり、心の中でさえ深く念じていれば、仏さまは姿をお見せになると信じるべきなのである。
解説
仏教説話の代表的な書き方です。仏教説話は仏教を広めるための手段として用いられたもので、文字通り「説話=説教性」の高い内容となっています。『宇治拾遺物語』が成立した1211年前後の鎌倉時代初頭は、鎌倉新仏教といわれる真言宗や日蓮宗、禅宗がまだ勢いに乗っていない時期になりますので、本作に関わらず、平安時代に盛行した密教の天台宗や大乗仏教の真言宗の考えがそのまま説話に反映されているといえます。
最初の説話『児のそら寝』では、舞台は比叡山延暦寺となっており、ここは天台宗の総本山になります。この話からも平安時代の仏教勢力が依然強かったことが窺えます。
袴垂、保昌に会ふ事
登場人物
- 袴垂 有名な追い剥ぎ
- 男(保昌) 袴垂に終始付けられていた男
単語
- まうけ 用意する、準備する
- いよいよ ますます
- あやふげ 物騒だ
- 神 心、精神、魂
現代語訳
昔、袴垂といって、並々でない盗賊の大将軍がいた。十月ごろ、着物が必要になったので着物を少し用意しようと盗みに適した所を転々とうかがい歩いていた。夜中になり、人がみな寝静まったころ、月が朧げに光る中、着物を多く身につけた人を見つけた。指貫の裾を挟み、絹でできた狩衣を着て、ただ一人、笛を吹きながらはっきりとした行き先もなく練り歩いていたのだった。袴垂は『ああ、この人こそ、俺に着物を与えようとして現れた人に違いない。』と思い、走って襲い掛かり、身ぐるみを剥ごうと考えた。しかし、不思議にも何か恐ろしく感じられたので、そのまま二、三町ほど後ろを付けたものの、男は付けられていることに気付いている様子は感じられない。ますます笛を吹いて行くので、『試してみるか。』と思い、足を高くして走って近づくと、笛を吹きながらこちらを振り返ってきた。その様子から襲い掛かることは出来ないと思ったので、袴垂走って逃げたのだった。
このように何度もあれこれするも、全く騒ぐような気配はない。『珍しい人だ。』と袴垂は思い、十町ほど付いていく。『そうはいっても、このままでいいだろうか、いや、だめだ。』と思い、刀を吹いて走り襲い掛かろうとした時に、男はその笛を吹くのを止めて立ち返り、
「何者だ。」
と問うと、袴垂は心も気失せて、自分でもわからないようで、その場に居られなかった。また、
「どのような者だ。」
と男が問えば、今は逃げようとしても男がまさか逃がしはしまい、と思ったので
「追い剥ぎにございます。」
と正直に言った。
「何者だ。」
と問われれば、
「通称、袴垂と呼ばれている者です。」
と答え、男は
「そのような者は聞いたことがある。めったにないほど物騒なやつだ。共に付いてこい。」
と袴垂に言った。そして、また同じように笛を吹いて行くのであった。
袴垂は男に、今は逃げようとしても男がまさか逃がしはしまいと思わされたのだが、まるで鬼に魂を取られたような感じがした。共に歩いていくと家に着いた。ここはどこだと思うと、摂津前司保昌という人の家であった。家の中にあげられると、その男は綿の分厚い着物を一つ下さった。
「着物が必要な時は、ここに参ってそのように申し上げよ。器量の分からないような相手に襲い掛かっておいて、お前が失敗するな。」
と、男に言われた時は、驚くばかりで、不気味で、恐ろしく感じられた。
「並々ならぬ人の様子でした。」
袴垂は捕らえられてからそう語ったという。
絵仏師良秀
登場人物
- 良秀 絵仏師
単語
- くゆる 燻(くすぶ)る、(火が)立ち上る
- めでる ほめる
現代語訳
今となっては昔のことだが、良秀という絵仏師がいた。隣の家が火事になり、風によって火がこちらにも覆いかぶさろうとしたので家から逃げ出て、大路まで出てきた。家の中には人に頼まれて描いている仏もある。また、着物を着ていない妻と子なども同じように家の中にいる。それを知らずに家を出てきた良秀は道の向かい側に立ったのだった。
火を見ると既に我が家にも燃え移っており、煙や炎が立ち上るまで大体向かい側で眺めていた。「「大変なことだ。」」と人らが来て慰めてくれるが、良秀は慌てない。
「何故だ。」
と人が問うても、良秀は家が焼けるのを見て頷きながら時々笑うのであった。
「ああ、これは得をしたな。長年下手な絵を描き続けていたのだから。」
と言うと、さすがに慰めに来た人は
「これはなんということか、こうして立ちになっているとは。驚きあきれた。物の怪がとりつきなさったのか。」
と言うのだった。しかし良秀はこのように返した。
「なぜ物の怪がとりつくだろうか、いや、ない。長年、不動尊の火炎を下手に描いていたのだ。今も得ている家を見ると、炎はこのように燃えていると知った。これこそ得したものだ。絵仏師を職業として生計を立てていくには仏様を上手く描くしかない。私には百軒、千軒分の絵も描くことが出来るだろう。あなた方こそ、私のように抜きんだ能力もお持ちでないのだから、物惜しみなされよ。」
そう言って嘲笑い、その場を立ち去ったのだった。その後、良秀の描いた絵は、よじり不動、として、人々は褒め合ったのだった。
解説
まず、火事の最中での良秀の行動から、常識外れの考え方を持った男という印象を受けた読者は多かったのではないでしょうか。妻子を置いて逃げる、家が燃えて良かったと安堵している、炎の様子を冷静に観察している、といった点です。
そして当然ながら良秀は周りの人々から、「呆れられる」といったマイナスの評価を受けます。しかし最終的には立派な作品を見て褒め合うというプラスの評価で終わっているのです。
この締めの評価の逆転が重要で、このことから、
「良秀は常識外れの者だが(―)
「絵描きという職人としては認められている(+)」
と全体を捉えることが出来ます。つまり、この話が伝えたかったこととは
「世間に認められるほどの専門家は、常識から外れた考え方や価値観を基に行動し、その道を窮めていくのである。」
ということだったのです。
※良秀は「絵」仏師なので、この話の場合は、「専門家」を「芸術家」と表現した方が自然かもしれません。