文学

東関紀行<マップ付き全現代語訳>④神奈川県編

東関紀行の神奈川県編を現代語訳しています。
作品を知ろう!!!

作者不詳鎌倉

京都~鎌倉までの旅を綴った紀行文。各名所の感想を和歌で締めくくる形式で統一されている。

東関紀行とは?

『東関紀行』の解説はこちらに掲載しています、是非ご覧ください。

東関紀行の序文、滋賀県編を現代語訳しています。
東関紀行<マップ付き全現代語訳>①序文・滋賀県編 東関紀行とは? 『東関紀行』とは、作者不詳の紀行文です。 特に有名な紀行文は3つあり、これは中世三大紀行文と呼ばれて...

全行程の地図だけ掲載しておきます!

神奈川県の旅路

神奈川県の旅程
①箱根神社 ⑧鶴岡八幡宮
②箱根湯本 ⑨永福寺
③大磯 ⑩勝長寿院
④江の島 ⑪由比ヶ浜
⑤唐が原 ⑫鎌倉大仏
⑥和賀江 終りに
⑦三浦岬

 

番号とリンクしています。

現在の鎌倉市内に集中してますね。

①箱根湯本

終わらせなければならない旅路なので、三嶋神社を出てなお先を行くと、箱根山に着いた。巨大な岩が転がっており、馬が立ち往生していた。山の中に入ると、広い湖があった。箱根湖という。蘆ノ湖と呼ぶ者もいる。

箱根権現垂迹の地として名高い箱根神社は気高く尊く思われた。箱根神社の朱楼・紫殿は、雲をも装飾とするような玄宗皇帝の寵姫、楊貴妃が住んだ驪山宮かと思われて驚いた。波に映る五重の塔の影は、銭塘にある水心寺にも相当するか。

嬉しい折であったので、「私の辛いこの身の行く先を教えてください。」と願い、法文を唱えるついでに、詠んだ。

今よりは 思ひ乱れじ 蘆の海の 深き恵みを 神にまかせて

これより思い乱すことはない。蘆ノ湖のように深い恵みを神に頼んだから。

②箱根湯本

箱根山をも越えて、箱根湯本という所に泊まった。深山から吹き下りてくる激しい風に乗って雨が降り、谷川の水が溢れんばかりにたぎっていた。岩でできた瀬に打ち寄せる波は高く、荒ぶっていた。

白居易の『香山寺避暑』に登場する暢禅師の僧房は夜更けに起きて六月の早瀬に耳を澄ましたという。その早瀬の音よりもこれは勝っていた。また、かの『源氏物語』「若紫」で詠まれた歌(※11)が思い浮かばれ、物悲しく思われた。

それならぬ 頼みはなきを 古郷の 夢路ゆるさぬ 瀧の音かな

他ならない。故郷の他に頼みにしているものはないのに、その故郷の夢を見ることさえも許してくれない滝の音だよ。

※11

吹まよふ 深山おろしに 夢さめて なみたもよほす たきのをとかな

轟音を立てる深山おろし。聞こえてくる滝の音のように夢から覚めては涙が流れてくるよ。

③大磯~⑦三浦岬

この宿も発ってついに鎌倉に着いた。この日の夕方、急に雨が降ってきたのだが、蓑笠も役に立たないほどであった。先を急ごうと心だけ先走り、大磯、江の島、唐ヶ原といった名のある名所も足を止めて見て周る暇も無く通り過ぎたことはたいそう残念に感じた。

夕暮れ時に鎌倉に着いたので、何々の入り江という所で、身分の卑しい者の住まいに泊まった。家の前は道に面しており、門はなく、往来する人馬が簾の下を思い思いに通っていた。家の後ろは山が近く、家から山が望めるほどであった。鹿の鳴き声や虫の声が垣の上から聞こえてきてうるさかった。宿の有様が都と異なり、驚いた。

こうして夜を過ごし、夜が明けた。寂しさの慰めにもと思い、和賀江の築島、三浦岬といった浦々を訪れた。海の眺めはしみじみとした趣が感じられ、過去に見てきた名高く素晴らしい名所にも劣らないものだと思われた。

さびしさは 過ぎこし方の 浦々も ひとつながめの 沖の釣舟

寂しさの慰めに過去にいくつも浦々を見てきたが、どの景色にも、釣り舟が浮かんでいるよ。釣り舟を私だとすれば、いつもどこでも寂しさの中にいるのだな。

玉よする 三浦が崎の 波まより 出でたる月の 影のさやけさ

三浦崎に打ち寄せる波間から出ている月の影がなんとも清く澄んで見えることよ。

⑧鶴岡八幡宮~⑫鎌倉大仏

そもそも鎌倉という地の始まりは何かと言うと、故右大将家(源頼朝の家系)と聞く。水尾御門こと第五十六代清和天皇の九世の末裔であった源頼朝は勇猛な人として名を馳せた。去る治承年の末(1180年)、頼朝は挙兵し、朝敵であった平家を平らげた。その後、隴山を守備した前漢の李広が将軍にまで登り詰めたように、頼朝は征夷大将軍の官職を得た。

幕府をこの鎌倉に置き、仏神を限りあるだけ崇め奉ったことで、今日まで繁栄している。中でも、鶴岡八幡宮の社殿、若宮は、松やコノテガシワといった常緑樹がのびのびと緑を広げて繁茂していた。神への供物である浮き草と白艾は供え忘れられることがなく、また、陪従(神前での舞の演奏役)を定めては四季に行われる御神楽は怠らない。職掌(神楽を舞う神社の職員。)に命じて八月には放生会が行われるのだ。神を尊ぶ慈しみの心は、石清水八幡宮に変わらないと聞いているがその通りだと思った。

二階堂こと永福寺は特に立派な寺であった。屋根の頂上部分にある鳳凰は日に輝き、鳧鐘(ふしょう)の音は霜に響き、楼台の荘厳さはもとより、林から池の景色に至るまで、殊に私の心を引き留めた。

大御堂(勝長寿院)と呼ばれる所では、巨大な岩を切り開くようなことをしていた。新しい道場を開いてから、禅僧が庵を並べていた。月を見ると、自然と神を思う気持ちが思い起こされ、庵では仏行に励む僧たちが座していた。風が絶え間なく吊り楽器である金磬の音を響かせていた。ここだけでなく、代々の将軍が造った神社、寺院が町々に多くあった。

その他には、由比ヶ浜という所で、「阿弥陀如来の大仏を造っている。」と話していた人がいた。すぐにその言葉に誘われて参拝した。尊く、ありがたいものであった。事の起こりを問えば、もとは遠江に定光上人という高僧がいた。過ぎし応永年(1239〜1240)ごろ、関東において身分の貴賤を問わず勧請させ、仏像を造り、堂舎を建てのだという。その普請は三分の二ほどが完了している。

佛は天高くに顕現し、空中の雲の中へ入り、白毫を磨き輝かせては満月に光をもたらす。本尊は既に完成しており、堂は崑崙山にある五城十二楼のような前構えをしており、見上げるほどの高さであった。

かの東大寺の本尊は聖武天皇の命により、金銅約30mを用いて造られた大日如来である。インドや中国にも類を見ない仏像だと聞いている。今見ている由比ヶ浜の阿弥陀仏は約24mであり、東大寺の大日如来の倍はあろう(鎌倉の大仏は約12m。坐像なので、起立したらその倍として、24m。東大寺の大仏は約15mなので、誤差はあれども、だいたい2倍差といえる。ただ、東大寺の大仏の15mというのは坐像の高さなので、比較の方法としては不適切。)。

東大寺の大仏は金銅製、由比ヶ浜の大仏は木製と、材質が違う。末代からすればこれは不思議に思うだろう。仏教東漸の終着点である日本に仏教が伝来した際、人々を救済する力が西方よりも強力なものなっていたことがありがたいと思われた。

このような話を見たり聞いたりすると、仏門に心惹かれないこともないけれども、文の道にも精通しているわけではないし、武の道に至ってはそもそも欠けている。そんな私は、この世を生きる人に頼られないほどに年老いてしまい。日を経るごとにただただ都が恋しく思われるばかりであった。「そろそろ帰ろう」と思いながらも徒に月日を過ごし、季節は秋から冬に変わってしまった。

蘇武(古代中国、前漢の武帝の名臣、蘇武は使節として匈奴に赴いたが、19年もの間抑留された。)は故郷に帰れない旅愁を嘆いた。

李陵(古代中国、前漢の武将、李陵は匈奴人と戦ったが、敗北し匈奴に捕らえられ、故郷に帰ること叶わず生涯を終えた。)は匈奴へ続く果てしない行軍路を進軍し、遠い故郷を偲んだ。

そんな彼らの思いを身に染みて感じた。聞きなれない虫の声も次第に弱り果てて、松に吹き通る峰からの嵐風のみが非常に激しくなっていった。故郷を思う心にかられて、つくづく、都のある方角を眺めてみると、帰雁の群れが空に消えていくのを見た。なんとも悲しいことか。雁は空を飛んですぐに都に帰ることができるというのに、私は。。。

帰るべき 春をたのむの 鴈がねも なきてや旅の 空に出でにし

帰る時は春をたのみにしている雁(帰雁は秋の季語、行雁は春の季語)。そんな彼らでさえ、鳴きながら秋の空へと飛び立っていくのだ。

終りに

こうしているうちに十月の二十日過ぎごろ、思いがけず、急用が発生して都へ帰ることとなった。これを聞いた時、筆に書き起こすこともできないほど嬉しかった。出世して故郷へ凱旋することは最初から望んでいなかったが、故郷に帰ることができる喜びは、朱買臣(古代中国、前漢の時代、ものぐさであった朱買臣は妻や子から見放されたが、持ち前の知識を用いて武帝から会稽太守に任命、大出世を遂げた。)が大出世を遂げた時の喜びに値する心地がした。

故郷に 帰る山ぢの 木枯に おもはぬほかの 錦をやきむ

季節は冬。故郷に帰る山路で木枯らしが吹いている。出世したら錦を着ると言うが、私は思いがけず錦を着ることになるのだろうか。出世ではなく、寒いからだが。

十月二十三日の未明、鎌倉を発って都へ向かった。宿を出る時、障子にこう書きつけた。

なれぬれば 都を急ぐ 今朝なれど さすが名残の惜しき宿かな

都へ急ぐ今朝ではあるが、旅に慣れてしまった以上、この宿が旅の終わりだと思うと名残惜しく思うよ。

まとめ

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東関紀行の静岡県編を現代語訳しています。
東関紀行<マップ付き全現代語訳>③静岡県編 東関紀行とは? 『東関紀行』の解説はこちらに掲載しています、是非ご覧ください。 https://toracha.com/sh...
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