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雨月物語【現代語訳#2菊花の約】現世をも超えて果たされる武士の忠義心

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舞い踊るような気持ちとなった左門は

「この小弟、早くから待っていたら今になってしまいました。約束を違わず来てくださったこと、なんと嬉しいことか。さあ、お入りくだされ。」

と言ったが、赤穴はただただ頷くだけで何も言わなかった。左門は、赤穴の前に進み出て南の窓の下の座に迎えた。

「兄のお帰りが遅かったものですから、老いた母も待ちくたびれて『明日こそはお見えになるでしょう』と先に床に就いてしまいました。起こしてまいります。」

左門の言葉に赤穴は頭を揺らして止めされた。しかし、ここでも何も言わない。

左門は言う。

「すでに日は跨いでおります。夜通しでここまで来られたのですから、心身ともにお労りください。よければ、酒を一杯酌み交わし、歇息(けっそく。休むこと)なさいませ。」

そして酒を温めて下物(かぶつ。肴のこと)を並べ勧めたが、赤穴は袖で顔を覆った。まるで、その臭いを嫌がるようであった。

「井臼の力(せいきゅうのちから。井戸を汲み臼を打つ能しかなくても真心をもってもてなすことはできるという意)は満足いくものではございませんが、私の気持ちです。悪く思わないでください。」

左門がそう言うも、赤穴はなおも答えず、長嘘(ためいき。溜息のこと)を吐きつつしばらくして、ついに口を開いた。

「賢弟の真心ある饗応を拒む理由がどうしてあろうか。欺く言葉すら無い。その心に応えて真実を告げよう。決して怪しむなよ。実は、私は陽世(この世)の人ではない。この姿は、穢れた霊魂となった私の仮の姿なのだよ。」

左門は大いに驚き

「兄よ、何ゆえそのように妙なことを言い出すのですか。全く、夢とも思えませんよ。」

赤穴は語る。

「賢弟と別れてから国へ下ったのだが、国人の大半が尼子経久の勢力に服従し、塩冶殿の恩に顧みる者はいなかった。私の従弟の赤穴丹治が月山富田城にいるので訪ね、私を尼子経久に謁見するよう説得した。なんとかその言葉を受け入れてくれた従弟に連れられ経久がいる所を見ると、誰もが認める武勇に優れた人物で、よくよく兵卒を訓練していた。しかし、彼の為人を見るに、非常に疑い深い性格のようで、信頼を置いている家臣はいなかった。ここに長くいても意味がないと思い、賢弟と菊花の約束があることを話して去ろうとした時、経久は私を恨むような様子をみせて、従弟に命じて私を城の外に出さないようにしたのだ。そのまま時は流れ約束の前日となった。約束を破るものなら賢弟は私をどうしてしまうものかと、ひたすら思い悩んでいたが、逃げる術などない。古の人が言った。『人は一日に千里の道を進むことはできないが、魂は一日に千里でも進む』と。この理を思い出して、私は自刃したのだ。そしてこの夜、風に乗ってはるばるやって来て、菊花の約束を果たしに来たのだよ。私のこの気持ち、受け取ってくれよ。」

涙が湧き出ているかのような声色での言い終わりであった。

「今生の別れだ、母によく孝行するのだぞ。」

と言って立ち上がったところは見たが、その後すぐに消えてしまい姿は見えなくなっていた。

左門は慌てて止めようとしたが、怪しい風に目が眩み、赤穴の行方を見失ってしまった。うつ伏せの状態で躓き倒れた、そのまま大声で泣いた。それで目を覚ました老母は左門のいるところを見ると、左門は座敷に酒瓶や魚を盛った皿などたくさん並んである中に倒れていた。急いで抱き起こし、

「何があったのです。」

と尋ねるも、左門はただ声を呑んで泣くばかりで何も言えない。

「兄たる赤穴殿が約束を違えたと恨んでいては、もし明日に戻ってきた時にかける言葉が無いではないですか。あなたははこれほどまで要地で愚かなのですか。」

と母が強く諫めるに、左門が少しして答えた。

「兄はこの夜、菊花の約束を違えることなくわざわざやって来ましたよ。しかし、酒や肴をもって迎えましたが再三辞退されてこう仰いました。『いろいろあって約束に背くことになったから、自刃し果てて、霊魂となって百里の道をやって来た。』と。そしてお姿が見えなくなったのです。母の眠りを妨げた上に驚かしてしまいました。お許しください。」

と。言いながら潜然と(しみじみと)泣いていた。

老母は言う。

「牢獄に繋がれた人は赦されることを夢で見て、喉が渇いた人は漿水(米のとぎ汁)を夢で見ると言います。あなたもまたそれと同じ類でしょう。よくよく落ち着きなさい。」

と。だが、左門は頭を揺らして

「本当に夢ではなかったのです。兄は本当にここにいらしたのです!」

と声を荒げて再び泣き崩れた。老母は今度は疑わず、共に声をあげて夜を泣き明かした。

明くる日、左門は母に改まって言った。

「私は幼い頃から身を翰墨(かんぼく。筆と墨。学問のこと)に寄せておりました。しかし、国に忠義を尽くしたとの評価もなければ、家に孝行を尽したこともありません。いたずらに天地の間(この世)に生きるのみです。兄赤穴は一生を誠実と忠義のために終えました。そこで小弟は、今日から出雲へ下り、せめて骨を納めて信義を全うするつもりです。公尊(母のこと)、お体を大切になさってください。私はしばらく暇をいただきます。」

老母は言う。

「我が子よ、どこへ行こうとも早く帰ってきて私を安心させなさいよ。向こうで長く逗留し、今日を今生の別れにしないでおくれ。」

左門は

「生とは、浮いた泡(泡沫)のようなもので、朝に夕べにいつ果てるか分かりません。とは言いますが、すぐに帰ってまいります。」

と返して、涙を拭って家を出た。そして佐用氏の家に行き、老母の世話を丁寧に依頼した。出雲国への旅路は、飢えても食を忘れ、寒くても着衣を忘れ、眠くなったら夢でも泣き明かした。そして出発から十日後、月山富田城に到着した。

まず、赤穴の従弟である赤穴丹治の屋敷へ行き、名乗って中へ入ると丹治が迎えに応じてくれた。丹治は

「翼あるものが告げたわけでもないだろうに。どうやって私のことを知ったのですか。」

と頻りに尋ねた。左門は言う。

「武士たる者は、富貴や評判を論ずるべきではありません。ただ信義を重んじるのみです。我が兄宗右衛門はひとつの約束を重んじ、霊魂となって百里の道を来てくれました。これに報いるため、私は日夜を経てここに下ってきました。私が学ぶところについて、あなたにお尋ねしたい。はっきりとお答え願いたい。」

続ける。

「昔、魏の宰相、公叔座が病床に臥した時、魏王が自ら見舞いに訪れて、公叔座の手を取ってこう告げました。『もしあなたが臨終の身となったら、誰に社稷(しゃよく。国家のこと)を守らせたらよいのですか。私に教えを遺してくれませぬか。』と。公叔座は言った。『商鞅(しょうおう)はまだ若いが奇才(優れた才能)を持っております。王がもしこの者を登用しないのなら、それはそれで国から出してはなりません。殺してでもです。他国に行かせては、魏にとって必ず後の禍いとなるでしょう。』と。その後、公叔座は商鞅をこっそり招いて言った。『私はお前を宰相の座の後継者に推薦したが、王はお認めにならないご様子であった。そこで、登用しないのならお前を殺すように、と教えておいた。これは、主君を優先して家臣を後回しにする愚帝のすることである。お前は早く他国に逃れ、殺されるのを回避せよ。』と。さて、この話をあなたと宗右衛門に例えたらどうか。」

丹治はただただ頭を垂れて何も言わなかった。

左門は座を進めて言う。

「我が兄宗右衛門は塩冶殿との旧交を重んじて尼子には従属しなかった。これぞ義士であると存じます。しかし、あなたは旧主の塩冶殿を捨てて尼子に降った。そこに武士としての信義の心は無い。我が兄は菊花の約束を重んじ、命を捨てて百里の道をを来てくれたのです。これぞ信義の極み。あなたは今、尼子に媚びて骨肉の人(こつにく。身内のこと)を苦しめて横死させた。そこに身内としての信義もない。尼子経久が引き止めるよう命令したとしても、長い交わりを思えば、公叔座と商鞅が密かに信義を尽したようにすべきなのです。あなたの栄利のみに走って武士としての風体も無い様は、全くもって尼子氏の家風そのものです。我が兄がどうしてそのような国に留まりましょうか。私は今、信義を重んじ、態々(わざわざと読む)ここに来ました。」

そして

「その不義のせいで、あなたは再び汚名を残すことになるのです!」

と、言い終わらないうちに抜刀して丹治を斬りつけると、丹治は一刀のもとにその場に倒れた。家臣どもが騒いでいる間に左門は早く逃げ去り、気づいたときには跡形も無かった。尼子経久はこの話を伝え聞いて兄弟の信義の篤さに同情し、左門の後を追わせることはしなかった。ああ、軽薄な者とは交わりを結ぶべきではないな。

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