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雨月物語【現代語訳#6吉備津の釜】釜占いを甘くみると痛い目に遭うぞ、という話

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プロフィール帳

『雨月物語』

時代:江戸

作者:上田秋成

概要:江戸後期に作られた怪談・怪異本

6

オススメ度

2

日B重要度

4

文量

3

読解難易度

 

解説&一覧

解説と現代語訳一覧はこちらです!

雨月物語【現代語訳#一覧】雨月の意味や全話あらすじを紹介! プロフィール帳 『雨月物語』 時代:江戸 作者:上田秋成 概要:江戸後期に作られた怪談・怪異本 ...

第六『吉備津の釜』

妬婦(嫉妬深い妻)というのは養うのが難しいものであるが、

「そんな妻の良さ老いてからを知るのだよ」

とは、いったい誰の言葉なのか。嫉妬による害は大きくはないが、仕事を妨げたり物を壊したりといった日々の振る舞いは、垣根の向こうから謗られること防ぎ難いものである。害がひどくなれば、家を失い国を滅ぼすほどで、天下の笑いものになってしまう。古からこの毒にあたった人は数知れない。

死んで蛟(うわばみ。古代中国に登場する大きな蛇)となったり、霹靂(雷鳴)をふるったりして怨念を晴らそうとする類の女は、その肉を醢(ししびしお。塩辛漬け)にしても満足に成仏できないが、そのような例は稀である。

夫が己をよく律して妻を教育すれば、このような煩わしいことなど避けられるというのに、仮初めの浮気心を起こすたびに、妻は嫉妬心を募らせることとなる。こうして自ら憂いを招いているのだ。何も全て女のせいではない。『鳥獣を制するは気にあり、妻を制するは夫の雄々しさにあり』というのは、尤もな話である。

吉備国賀夜郡にある庭妹の郷に、井沢庄太夫という男がいた。祖父は播磨国の赤松氏に仕えていたが、去る嘉吉元年の乱(1441嘉吉の乱のこと)の折に赤松氏の館を去って、ここにやって来たのである。庄太夫までの三代を経て、春に耕し秋に収穫する生活で豊かに暮らしていた。長男の正太郎は、農業を嫌がりすぎて、酒に乱れたり色欲に耽ったりと、父庄太夫の言うことを聞かない厄介者であった。父母はこの様子を嘆き、

「ああ、良家の美貌の女性を娶れば、今の振る舞いも自然と治るであろう。」

といった計画をこっそりと立てた。そうして国中あちこちを探し回ったところ、幸いにも媒氏(ばいし。仲人のこと)がいた。

媒氏が言う。

「 吉備津神社(吉備国)の神主の香央造酒(かさだみき)の娘は、生まれつき眉目秀麗で、父母にもよく従い、かつ和歌を詠み、琴も優れています。その家はもともと吉備の鴨別命(かもわけのみこと。吉備地域伝承の神で、『日本書紀』などには登場しない)の末裔で、家柄も正しいので、婚姻を結べば、あなたの家は吉祥(きっしょう。めでたいこと)となることでしょう。この話が成就してほしいのは、老いたわが身の願うところでもあります。ご両親よ、お気持ちはいかがですか。」

と。庄太夫は大いに喜び、

「よく話してくださいました。このことは我が家にとって千年の計(非常に長い計画のこと)になりましょうが、香央といえばこの国の貴族であり、対して私は氏も持たない農夫でございます。たとえ同様な家があったとしても、家柄的にライバルとして見られるわけがありません。おそらくこの願いを承諾してはくれないでしょう。」

と言った。

「ご主人は大変ご謙遜されている。私が必ず万歳をもたらしましょう。」

と媒氏の翁は笑みを浮かべた。そして吉備津神社に行って香央造酒を説くと、香央は喜び、妻にも語ると妻も乗り気になった。

「我が娘はすでに17歳になりました。よい人がいたら嫁がせようと朝夕思っては落ち着かずにおりましたが。。。早々に結納を交わす良い日を選んでいただきたい。」

香央も強く話を進めようとするので、媒氏は

「約束は既に成立しました。」

と井沢庄太夫に返事をした。そして結納のしるしとして多くの品を揃えたり良い日を選んだりと、婚儀の準備を始めたのであった。

また、幸福を神に祈るということで、巫子(みこ。この場合は男性も含む。)や祝部(はふりべ。神主や禰宜の次位の者を指す)を集めて御湯を奉納した(湯立神事のこと)。そもそも、吉備津神社で祈祷する人は、多くの供物を供え御湯を奉納して吉凶を占う習慣がある。

巫子が祝詞を読み上げて御湯が沸き上がる時、釜の鳴る音は、吉が出れば牛の吼えるがごとく、対して凶が出れば音は立たないのである。これを吉備津の御釜祓という。香央の家はどうか。神がこの祈祷をお受けにならなかったのだろうか、釜は、秋の虫が草むらで鳴くほどの音すらもしなかった。

香央は疑いの目を持ち、この結果を妻に語った。対して妻はこの結果を疑わなかった。

「御釜の音がしなかったのは祝部たちが不浄であったからでしょう。これは困りましたね。既に結納は終わり、赤い縄で結ばれました。それが憎しみの家であろうと、遠い異国の地であろうと変えることはできないと聞きます。特に、お相手の井沢家は弓道に精通した家系の流れを汲んだ、厳しいしきたりのある家だと聞いた今、結納を断り申し上げたとしても承知してはくれないでしょう。立派な婿の美貌をうすら耳にしてから、うちの娘は日を数えて待ち詫びています。そのような状況で、この不吉な話を聞こうものなら、想定外のことをしでかすかもしれません。その時になって後悔しても遅いと思いますよ。ここは一か八か断り申し上げるべきです。」

そう言葉を尽して諫めるのは、まったく女らしい考えである。香央はもとより願っていたことなので深く疑わず、妻の言葉に従って婚儀を整え、両家の親類縁者が集まっては

「鶴の千歳!亀の万世!」

と歌って祝福した。香央の娘は名を磯良という。彼女は井沢家に嫁いだ後、夙(つと)に起きては(早起きしては)夜遅くに床に臥し、常に舅姑(きゅうこ。結婚相手の父母)の傍を離れず、夫の性分を理解しては心を尽くして仕えた。井沢夫妻は

「孝節(孝行と節操)に優れた立派な女だ。」

と常に感心した。正太郎もその姿勢を褒め、仲睦まじく暮らした。しかし、正太郎の愚かな性格(浮気性のこと)はどうにもならなかった。いつの頃からか、鞆の津の袖という遊女と仲良くなり、ついには近くの里に別荘を設えるほどどなり、長く家に帰らなかった。これを恨んだ磯良は、井沢夫妻が彼を怒るのに便乗して諫めたり、その性格を怨み嘆いたりしてみたが、正太郎は空言として聞き流した。

父は磯良の必死なな行止(ゆきどめ。行動、振る舞い)を見るに無視することができず、正太郎を叱って家に閉じ込めたのだった。とはいえこれは磯良の本望ではなかったようで、悲しんで、朝夕の奉仕も特に丁寧にし、また鞆の津の袖には私的に物を送るなどして、心の限りを尽くした。

ある日、父が留守の間に、正太郎は磯良に語った。

「おまえの心を尽くした行動を見て、今は自分の罪を悔いるばかりだよ。あの女を故郷へ帰した後には、父上と和解しよう。あの女は播磨は印南野(いなみの。現兵庫県のいなみ野台地、稲美町域に比定)の者で、親もなく身分も賤しいから、本当に可哀そうに思って情けをかけていたのだ。私に捨てられたら、また港の遊女になるだろう。同じく賤しい身分であっても京の人は人情あると聞くから、彼女を京へ送って裕福な人の家に仕えさせたいと思う。私はこのような状態だから全てにおいて術がない。路銀から着物まで誰も用意して与えてはくれないだろう。おまえが取り計らって、これらを彼女に恵んでやってくれないか。」

と。懇ろに頼む正太郎を見て磯良は非常に感心し、

「この事はご安心ください。」

と承って、自分の衣服や調度品を金に換え、更には実家の母親をも偽って金を借り、正太郎に渡したのだった。

さて、正太郎はこの金を手にすると、こっそり家を抜け出し、袖を連れて京の方へと逃げてしまった。ここまで謀られた磯良はひたすら恨み嘆き、ついには重い病を患って寝込んでしまった。井沢家の人々も香央家の人々も彼を憎み彼女を哀れみ、ひたすらに医者の力を頼ったが、粥さえ日に日に受けつけなくなり、手遅れに見えた。

播磨国印南郡の荒井の里に、彦六という男がいた。彼は袖と近い従弟の間柄であったので、正太郎はまず彼を訪れ、しばらく足を休めた。彦六は正太郎に向かって言った。

「京とはいえ、人によっては頼りになりません。ここに留まられよ。飯を分け合い、共に生計を立てようではありませんか。」

と。頼もしい言葉に正太郎は心落ち着き、ここに住むことに決めた。彦六は自分の住んでいた荒れた家を貸して住まわせ、友ができた、と喜んだ。

ある日、袖が

「風邪をひいた気がする。」

と言ったのだが、これをきっかけになんとなく病みはじめ、鬼に憑りつかれたように狂わし気になった。ここへ来て何日も経たっていないのに、このような禍を受けた悲しみに、正太郎は食事さえ忘れて介抱したのだが、袖はただ声をあげて泣き、胸を詰らせ苦しんだ。落ち着くと普段と変わらない。

「これが窮魂(きゅうこん。生きている間に苦しみ、死後も安らかになれない魂。つまり生霊)というものか。もしや故郷に捨ててきた人の。。。」

と一人苦しんだ。彦六がこれを諫める。

「どうしてそのようなことがありましょうか。原因は疫病というものです。疫病の苦しみは多く見てきましたから、大丈夫です。熱が少し下がれば、夢を忘れるようにこの苦しみも忘れますよ。」

と軽く言うので心強かった。深刻に考え込むほどのことではないということだ。

しかし、看病をし続けても僅かな回復の兆しも見られず、七日目にしてついに亡くなってしまった。

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