明けて翌日。大和の郷へ行き、老人の助けに感謝の心を示し、礼として、美濃絹三疋(ひき。単位)と筑紫綿二屯(とん)を送った。
「妖災(ようさい。妖怪や怪異による被害、災難)被るこの身を禊してください。」
と懇願した。老人はこれらを受け取り、祝部(はふりべ。神官のこと)らに分け与え、自分は一疋一屯も手元に残さなかった。豊雄に向かって言う。
「お主がの為人や容姿が美しく整っていたからまとわりついている。お主は再びあやつの仮の姿に魅せられた。強い心を持たない男だ。これからは、男気をもってよくよく平常心を保ちなさい。さすれば、あれら邪神を追い払うのに私の力を借りる必要もなくなるだろう。よくよく、平常心で過ごされよ。」
そう、細かく言いつけた。豊雄は夢から覚めた心地になり、尽きることのないほどの深い礼を述べて、帰っていった。
金忠に向かって言う。
「この年月、あれに魅入られてしまったのは、己の心が正しくなかったからです。親と兄に孝行もしないで、なおかつ貴方の家で羈(たづな。ここでは、厄介になるの意)となっているのは道理に叶いません。お心を恵んでくださったこと、有難く思いますが、また参ります。」
と、紀伊国へ帰って行った。父母、兄夫婦は、この恐ろしい出来事を聞いて、いよいよ豊雄の過ちでなかったことを憐れみ、かつ妖怪の執念深さを恐れた。そして、
「これは鰥(かん。再婚していない男性を指す。ここでは独身の意)だったから起きたのだ。」
と、妻を迎えさせようと行動を始めた。芝の里に芝の庄司という者がいた。娘が一人いる。この娘は、朝廷に釆女(うめね。天皇や皇后に仕える女性)として参内していたが、この度、暇を賜ったので、豊雄を婿に、と、媒氏(ばいし。仲人)を立てて大宅の竹助(父のこと。冒頭に記載)の家に結納を申し込んできた。よい事だったので、すぐに婚姻を結んだのだった。
そして、都へも迎えの人を登らせると、釆女の富子は喜んで帰ってきた。長年の大宮仕(だいぐうし。宮仕え)に慣れていたので、全てにおいて行儀が良く、容姿なども華やかで他の人よりも美しかった。
豊雄としては、富子の容姿は非常に満足であったが、どうしても、美しかったあの蛇に思いをかけられていたことがちらほらと思い出された。初夜は何事も無かったので書かない。
2日目の夜、豊雄はいい具合の酔い心地になって、
「長年、内裏に住んでいたとなると、田舎の人ははたまた面倒くさいでしょう?宮中では、何々の中将や何々の宰相の君などという人と添い寝なさったのでしょう。今更ですが、やきもちを覚えてしまいます。」
などと富子に戯れ言を言っていると、富子がさっと顔を上げ、
「昔の約束をお忘れになって、このように他の女に心ときめかせになるなんて、あなたの方が増して憎らしいですわ。」
と言ったのだった。姿こそ違うものの、まさしく真女子の声であった。
最後まで読むと分かりますが、富子=蛇(真女子)というわけではなく、この2日目の夜に蛇が富子の体を乗っ取った、という状況です。
豊雄はその声を聞いて驚き、身の毛もよだつほど恐ろしなり、ただうろたえるしかなかった。女は微笑んで、
「あなた。怪しまないでください。海に誓い山に約束したことをすぐにお忘れになったとしても、このように縁があれば再会できるのです。他の人の言うことを真に受けて、むやみに私を遠ざけようとすれば、私から恨みの報いを受けますよ。紀伊路の山々は見ての通り高いものですが、あなたの血を峰から谷へと注いでやりましょう。生き延びさせてあげていますのに、もったいない。いたずらに死んでしまいますよ。」
と言うので、豊雄はただただ震えに震えて、今にも命を取られてしまいそうな心地がして気を失いかけた。屏風の後ろから、
「ご主人様、どうして煩わしそうなご様子なのですか。こんなにめでたい契りですよ。」
と言って現れたのはまろやであった。それを見てまた肝を潰し、目を閉じて突っ伏したのだった。2人は優しく声をかけたり驚かしたり、代わる代わる声をかけたが、気を失ったまま夜が明けたのだった。
そして目を覚ました豊雄は、閨房(寝室)を逃れ出て庄司(役職名)のもとへ向かい、
「こうこう恐ろしい事になってしまいました。こいつからどのようにして逃げたら良いでしょうか。よくよく策をお教えください。」
と、背後で聞いていないかと声を小さくして話した。庄司も妻も顔を青くして嘆いては慌て、
「これはどうしたら良いのだ。そうだ。今、毎年熊野詣をされてる都の鞍馬寺の僧が、昨日からこの向かいの山の蘭若(らんにゃ。人里離れた寺)に泊まっておられる。たいそう霊験あらたかな法師で、疫病、物の怪、蟲などを鎮めるというので、この郷の人は尊敬している。この法師をお呼びしましょう。」
と言った。そして、慌ただしく呼ぶと、しばらくしてやって来た。
かくかくしかじかと事の発端を語ると、法師は鼻を高くして、
「その蠱物らを捕えるなど、何ら難しいことではない。必ず鎮めましょう。安心してそこにおいでください。」
と軽く言うので、人々は心落ち着いた。法師はまず、雄黄(ゆうおう。呪術に用いられる薬。硫化ヒ素(AS4S4)のこと。かつて解毒薬や殺虫剤に使われたが、現代医療では、毒性が強すぎて使用されていない)を探し求めると、水に溶かして調合し、小瓶に注いでその寝室に向かった。皆が恐れながら隠れていると、法師は嘲笑し、
「年老いた坊や(年をとっても子供のように怖がる様子を嘲笑している)も逃げずに必ずそこおりなされ。この蛇をただ今捕えてご覧にいれましょう。」
と、中へ進み入った。
寝室の戸が開くのが遅いと判断した蛇は、頭を差し出して法師に向かっていった。この頭は何と表現しようか。戸口を塞ぐほどの大きさで、雪が積もるよりも白く輝き、眼は鏡、角は枯れ木のようであった。
蛇は、三尺余りの口を開き、紅の舌を吐き、まさにひと呑みせんとする勢いであった。法師は「やあ!」と叫び、手にしていた小瓶を放り投げると、蛇は立つこともできず、転んでは這い倒れた。その隙に法師はかろうじて逃げ、皆に向かって
「ああ恐ろしい。あれは祟り神でございますれば、どうして法師ごときが調伏できましょうか。この手足がなかったら、今頃死んでいました。」
と言い、気を失ってしまったのだった。皆が助け体を起したが、顔も肌も黒く赤く染めたような色になっており、手を焚火にさらしたように熱くなっていた。毒気に中ったと見られた。その後は、ただ眼ばかりが動いていて、何か言いたげであったが、もはや声にすらならなかった。水を飲ませるなど色々施したが、ついに死んでしまった。
これを見た皆は、いよいよ幽体離脱したような思いになって泣き惑うしかなかった。豊雄は少し心を鎮め、
「これほど霊験あらたかな法師ですら無理でした。執念深く私につきまとうものですから、天地の間(この世)にいる限りは、探し当てられてしまうでしょう。この命ひとつのために皆を苦しめるのは良くありません。今となっては人を頼れません。ご安心ください。」
と言って、寝室に向かった。庄司家の人々も、
「これは、気が狂ったか。」
と引き止めたが、豊雄は無視した様子で入っていったのだった。
戸を静かに開けると、もの騒がしく音も立てず、2人きりで向かい合った。富子は豊雄に向かって言う。
「あなた。何の恨みがあって私を捕えようとして人に話すのですか。これからも、仇をもって報復なさるのなら、あなただけでなく、この郷の人々も残らず苦しい目に遭わせてやりましょう。ただひたすらに私の貞操を嬉しく思ってください。いたずらな心を持たないでください。」
可愛らしい様子で語った。豊雄は
「世のことわざにこうある。『人かならず虎を害する心なけれども、虎反りて人を傷る意あり(人は必ずしも虎を害しようとする心を持っているわけではないが、対して虎は人を傷つける意思がある)』と。お前は人の心を持っていないが故に、私に纏わりついては幾度も辛い目に遭わせてくる。建前の言葉を信じてこのような恐ろしい報いを受けるとは、ひどく不愉快だ。とはいえ、私を慕うお前の心は世の人と変わらないのは確かだ。ここで皆が嘆くことになるのは心が痛い。ここはひとつ、富子の命だけは助けてくれないか。そうしたら、私はお前とどこへでも行こう。」
と言ったので、富子はとても嬉しそうにうなずいたのだった。
部屋を出て庄司に向かって言う。
「このような恐ろしいものが傍に付き添っていますので、ここにいて皆を苦しめるのは非常に本望ではありません。ただいまから、私はお暇します。娘さんの命は心配ございません。」
しかし、庄司は決して認めず、
「弓の道を会得しておきながらこのように何もできないのでは、大宅家の方々に合わせる顔が無い。まださらに策を立てよう。小松原の道成寺に法海和尚という貴い祈りをする法師がいらっしゃる。今は年老いて部屋の外に出ないと聞くが、私のためなら、決して、決して、お見捨てになるようなことはしまい。」
と言って、馬で急ぎ出立した。遥かな道のりだったため、夜中に僧院に到着した。老和尚は寝室からいざり出てきて、この件を聞くと、
「それは恐ろしかったと感じ入ります。今は老い朽ちて霊験があるかははっきりしませんが、あなたの家の災いは黙ってはおけませぬ。まずはそこに戻られよ。儂もすぐに参る。」
と言って、芥子の香が染みた袈裟を取り出して庄司に与え、
「やつを上手くおびき寄せ、これを頭から被せて力いっぱいに押さえつけるのです。力が弱かったら恐らく逃げられてしまうでしょう。よくよく頭に入れておくように。」
と事細かに教えた。庄司は喜びながら馬を飛ばして帰っていった。
帰り着いた庄司は、豊雄をこっそり呼んで、
「いま言ったことを上手くやれよ。」
と袈裟を与えた。豊雄は袈裟を懐に隠して寝室へ行き、
「今、庄司が暇をくださった。では出立しよう。」
と言った。たいそう嬉しそうにしているところ、豊雄は袈裟をとり出してすばやく被せ、力の限り押さえつけた。
「ああ苦しい!あなた、どうして無情なことを!はやくこれを解いてください。」
と富子は言ったが、豊雄はなおも力任せに押さえつけた。そこへ法海和尚の輿が到着した。庄司の家の人々の手を借りながら寝室まで来た。そして、口の中でぶつぶつと念仏を唱えながら豊雄を退かせてその袈裟を外すと、気を失って倒れている富子の上に、三尺(約1m)ほどの白蛇が動きもせずにわだかまっていた。
老和尚はこれを捕らえ、弟子が捧げてきた鉄の鉢に納めて更に念じると、屏風の背後から一尺(約33㎝)ほどの小蛇が這い出てきた。これも捕らえて鉢に納め、その袈裟でしっかり封じた。老和尚はそのまま輿へ乗ると、人々は手を合わせ、涙を流しながら彼を敬ったのだった。
小さい蛇はまろやのことです。
老和尚は、僧院に帰ると、堂の前を深く掘らせ、鉢をそのまま地中に埋めさせ、
「未来永劫世に出してはならない。」
と戒めた。今もなお、その蛇塚があるのだとか。庄司の娘はついに病を患って死んだと、対して豊雄は命に別状はなかったと、語り伝えられている。
| 第六へ戻る << | 第八を読む >> |












