史料

意見封事十二箇条【現代語訳#1】第1条:天災の原因はまさかの僧侶!?

プロフィール帳

『意見封事十二箇条』

時代:平安(延喜4年(914年))

作者:三善清行

概要:醍醐天皇に奏上。平安末期の社会情勢と律令制の崩壊を知ることができる。

8

オススメ度

5

日探重要度

6

文量

7

読解難易度

 

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律令制崩壊と負名体制に移行する移行期の社会を如実に示した非常に史料価値の高い意見書です。
意見封事十二箇条【全体構成と内容】律令崩壊期の社会変化を解説! プロフィール帳 『意見封事十二箇条』 時代:平安(延喜4年(914年)) 作者:三善清行 概要:醍醐...

現代語訳

右臣伏以。国以民為天。民以食為天。無民何拠。無食何資。然則安民之道。足食之要。唯有水旱無沴年穀有登也。故朝家毎年。二月四日。六月十一日。十二月十一日。於神祇官立祈年月次之祭。厳加斎粛。遍祷神祇乞其豊熟。致其報賽其儀。公卿率弁官及百官参神祇官。神祇官毎社。設幣帛一裏。清酒一瓮。鉄鉾一枝。陳列棚上。又社或有奉馬者焉。(祈年祭一疋。月次二疋。)亦皆左右馬寮牽列神馬。爰神祇官読祭文。畢以件祭物頒諸社祝部令奉本社。祝部須潔斎捧持各以奉進。而皆於上卿前。即以幣絹挿著懐中。抜棄鉾柄。唯取其鋒。傾其瓮酒一挙飲尽。曾無一人全持出神祇官之門者。況其神馬則市人於郁芳門外。皆買取而去。然則所祭之神。豈有歆饗乎若不歆饗者。何求豊穣。伏望。申勅諸国。差史生以上一人。率祝部令受取此祭物。慥致本社以存如在之礼。又朝家毎年正月。始自大極殿前至于七道諸国。修吉祥悔過。又聖代毎年修仁王会。遍為百姓祈祷豊年。消伏疾疫。由是人天慶頼。兆庶歓娯。然猶所以水旱不休災沴屢発者何也。僧徒修之者多非其人也。臣窺漢国之史籍。閲本朝之文記。凡厥禅徒未必皆修学俱備。禅智兼高者也。然而或固守律儀。至死不犯。或偏行菩薩忘身利他。故帝皇之誠依禅僧而易感。禅僧之念与如来而必通。而今上自僧綱下至諸寺次第請僧。及法用小僧沙弥等。持戒者少違律者多。如此薫修者。三尊豈可感応乎。感応之来非敢所望。妖咎之至還亦可懼。伏望。衆僧濫行有聞者。一切不預請用。又諸国司等。公務怱忙。事多不遑。故国中法務。皆委附購読師。而購読師多非持律之人。或有購労之輩。況其国分僧少人皆是無慙之徒也。蓄妻子営室家。力耕田行商價。而今国司依例令致祈念。望其感応。譬猶緑木求魚向竈採花也。重望。諸国購読師雖成階業。非精進練行者。不得擬補。又国分僧若有濫穢。而購読師不糺者。解却購読師。如此則聖主之祈感速影響。公田之税蓄如京坻。十旬之雨随節。千箱之詠満衢。

洪水と日照りによる被害を抑え、五穀の豊作を求めること

豊作が治世の全て

右のこと、謹んで申し上げます。国を維持するためには、民に腹一杯食べさせることが必要でありますが、そのためには、天災による飢餓状態を避ける必要があるのです(孟子)。民のいない国はどこにあろうか、食糧のない国は何が残るだろうか。つまり、民が安心して暮らせる世の中にするには食糧が充足した状態にすることが要なのです。もっぱら、洪水と日照りの滞りが無ければ、穀物は登熟するのです。

そのため朝廷では、神祇官によって毎年2月4日、6月11日、12月11日にその年月の安寧を祈る祭りを催しております。厳粛な祭りで、その年月の豊熟の祈りの儀式と前年の祈祷のお礼参りが行われます。

豊穣祭の現状

儀式では、公卿が弁官や多くの役人を連れて神祇官の元に参ります。神祇官は社ごとに幣帛(へいはく)ひと包みを設け、清酒一甕、鉄鉾一枝を棚上に陳列します。社によっては、馬を奉納するところもあります(祈年祭では馬一頭、月次祭では馬二頭)。また、左馬寮、右馬寮では神馬を参列させます。ここにおいて神祇官は、祭文を読み上げます。読み終えると、祭りの供物を各神社の祝部(はふりべ)に分配し、本社に奉納させるのです。この奉納の際、祝部はことごとく心身を清め供物を高く捧げ持ち、各々進上します。その後、上卿の前に進み、すぐに幣絹を着物の懐に挿し、鉾の柄を抜き棄てて、刃の先端だけを手に取ります。それを酒甕に刺してその酒を一気に飲み干すのです。

かつて、1人たりとも全て持って神祇官の門から出た者はいません。神馬ですらそのような事ありましょうか。いや、ありません。しかし今、人々は悠然と門を出て、買取り去ってしまうのです。これら供物は祭りの神が有するものであるのに、このような歆饗(神事として受ける食事)がどこにありましょうか、いやありません。もし歆饗を受けない者がいるならば、その者は神以外の何に豊穣を求めるのでしょうか。

意見申し上げる1

恐れながら申し上げます。諸国に勅命を出し、史生(ししょう:地方官である主典に属する下級の書記官)以上の位の役人を派遣し、祝部を連れて祭物を受け取らせましょう。確実に本社に進上するのです。

そうすれば、この儀礼を維持することができます。また、朝廷は毎年正月の儀式を大極殿前の広場を初めとし、終わり次第七道諸国に行わせるべきです。吉祥悔過(きちじょうけか:吉祥天を本尊とひて最勝王経を読んで懺悔と豊穣を祈る法会)を朝廷が率先して修めるのです。

また、代々の天皇は毎年仁王会(仁王経を読み鎮護国家を祈る会)を修めていましたが、これは国中の百姓が豊作と疾病が無くなることを願ったためであります。人々にとって、天慶を求め、喜び楽しむことのきっかけとなったのです。

それでいて、その頃ちょうど洪水と日照りが休みなく、災害がしばしば発生していたのはなぜでしょうか。それは、修める者の多くが僧であり、その他の人は修めないことが原因なのです。

僧の現状

私は、隣国、漢の史籍を覗き、また、朝廷の記録を閲覧しました。禅智のような高僧も含め、だいたいの禅宗の僧徒は必ずしも学を修めているわけではないことが分かりました。しかしながら、律儀を固く守り死に至るような罪は犯さない者、菩薩の示した道の一つに優れ忘己利他を実践する者なども中にはおります。帝や皇族などの誠心の行いは禅僧を根拠とするところがありました。道は如来と共に必ず通るという禅僧の考え方に共感しやすかったのです。

しかし今現在、上は僧綱(そうごう:律令制によって整備された、僧尼を管理する僧官の職のひとつ)から下は諸寺の請僧(しょうそう:法会などに招かれる僧)、沙弥(しゃみ:正式の僧になる前の見習い僧)に至るまで、戒律を保っている者は少なく、違律している者が多いのが現状です。

このような修行が習慣化している薫修(くんじゅ)の者らに、三尊がどうして心を通じるようなことをしましょうか、いやありません。心を通じあわせる感応道交は本来、仏が働きかけるものであり、修行僧が望むことではありません。人智を超えた過ちであり、かえって、そのような行いが出来ることを恐ろしく思います。

意見申し上げる2

恐れながら申しあげます。品行が乱れたと言われる僧は一切の請用の対象外とするべきです。また、諸国の国司らは公務で忙殺されており、暇がないことが多いです。そのため、各国の法務については全て購読師に委ねるべきです。戒律を保っている購読師は多くはいません。罪を購うことに労力を使う輩もいるほどです。まして、購読師の配下にあたる国分寺の僧数人(国分寺建立の詔に僧二十人配置することが記載)すらも皆このような恥を知らずの僧徒なのです。国分寺の僧は妻子を持ち、家を持ち、畑を耕し商いに行くような状況です。

しかし、国司は慣例だと言って彼らに祈念をさせています。感応道交を望む姿勢は、例えるならば木の葉が魚を求める様子、花を摘みに竈に向かって行く様子といえましょう。

以上をもって、加えて、強く申し上げます。諸国に存在する購読師は、幾つもの修行を経てその資格を得ていますが、配下である国分僧の振る舞いを見ての通り、修行に精進し練行(れんぎょう)した結果購読師になったとは言えません。そのため、精進、練行を怠った購読師は擬補しないことを望みます。また、仮に道を過っている国分僧がいたとして、それを正さない購読師は解任するべきです。すなわち、天皇の願いは全てに影響を与えるため、結果として公田の租税は租税で京が崩れ落ちるが如く蓄えられ、そして災いをもたらした百日の雨も季節に従い、豊年の歌は七道諸国に分かれ満たされるでしょう。

 

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