現代語訳
原文
民友社 明治21年(1888)2月『国民之友』第16号
他人よりも未た有力なりと認められず、自家に於ても未た有力と認めずして、其勢力の漸々と政治上に膨張し来るものは、それ唯た田舎紳士なる哉、
田舎紳士とは何そ、英国にて所謂る「コンツリー、ゼンツルメン」にして、即ち地方に土着したるの紳士なり、
彼等は多少の土地を有し、土地を有するか故に、土地を耕作するの農夫、農夫によりて成り立ちたる、村落に於ては、最も大切なる位地を有せり、生活に余裕あるに非ざれども、亦不足なるにも非ず、
貴族程に尊大ならされども、亦た水呑百姓の如く憫然にも非ず、大なる楽みなきも、亦た大なる憂ひなく、大なる栄へなきも、亦た大なる辱しめなく、村民よりは愛せられ、親まれ、敬せられ、
彼等は村内の総理大臣とも云ふ可く、総ての出来事皆な彼等の指揮によりて決し、彼等の前庭は村内の公園とも云ふ可く、花晨月夕村内の兒女皆な来り遊ひ、
彼れ等の勝手の坐敷は村内の倶楽部とも云ふ可く、春祝秋祭、村内の父老皆な来り会す、家を囲むの欝葱たる喬木は恰も村社の神樹の如く、土地の上より、門地の上より、習慣の上より、云ふに云はれぬ一種の勢力を其地方に有するものは、是れ則ち田舎紳士なり、
此の人々が、何故なれは其勢力を今日の政治上に像かせんとするの兆候ありや、曰く彼らは純乎たる工商人よりも、今日政治上の境遇に最も恰当したる資格を古へより養ひ得たれはなり、
所謂る「士族根性」なるものは、一人一個の上に在らすして、公共の上に在り、即ち主人の為め、一藩の為め、士族仲間の為め、先祖代々の為め、其士族たるの面目を失はさる為めを以て、其の運動の大頭脳となせり、
故に封建世襲の社会に於ては、士族ハ実に其の社会に処するに、最も善き資格を有する者なりしも、今日の如き自立、自活、自治、の社会に於ては、士族は実に行路難を歌はさるを得す、士族の命も亦た窮したりと云ふ可し、身自から窮したりと云ふ可し、
身自から窮して能く天下を救ふものは稀れなり、士族の勢力の政治上に減少するも更らに怪むに足らす、此れに反し純乎たる工商人ハ、其思想する所、唯一身一家に止り、所謂る商売上の掛け引きに到りてハ、活溌伶俐更らに抜目もあらされとも、社会公共の事に到りてハ其の感覚の遅鈍なる、其の思想の貧乏なる、亦た更に甚しきものあり、
嘗て聞く、人あり哲学者に語けて曰く、「貴宅ハ今火に焼けんとすと、哲学者徐に答て曰く、是れ余か関する所にあらす、乞ふ此れを余の細君に告けよ」と、若し人あり工商に向て政治を談せハ、工商ハ亦た斯く答ふ可し、曰く是れ余か関する所ろにあらす、乞ふ此れを政治家に告けよと、
然るか故に、今日の如く、人各其国家の事に就て、責任を分担するの社会に於ては、純乎たる工商ハ、未た容易に今日の時勢に必用なるの資格を有する能はざる者と云はざる可からず、
此の如く現今の平等社会となりても、治者たりし士族は、依然たる治者の資格のみを有し、被治者たりし工商は依然たる治者の資格のみを有し、
此れか為めに士族の階級は春氷の陽光に照されて融するか如く、日々に消散し、商人の階級ハ芳草の積雪に圧せらるゝ如く、未た其の勢力を発達せさるの時に於て、天下国家の事を思ふて一身一家を忘るゝに至たらず、
一身一家の事を思ふて天下国家を忘るゝに至らさる、新日本の新人民なるものは、乃ち之を我か田舎紳士に求めさるを得す、
而して田舎紳士なる者が、何か故に斯くの如く恰当なる資格を有するを知らんと欲せば、敢て難きに非す、何となれば彼等ハ従来半士半商の性質を養ひ得たる者なればなり、士族ハ純乎たる消費者なり、
即ち生産者の生産したる所の者を自由に消費して、常に身を治者の位地に置けり、工商は純乎たる生産者にして、其職とする所は、士族に給するに在り、而して其位地恒に被治者に在り、
独り田舎紳士に至ては、自家の生産したる所のものを、自家自から之を消費し、敢て純乎たる被治者に非さるも、亦た、純乎たる治者に非ず、恰も従来士族と工商の中間に其位地を占め、平生積習の致す所、知らず覚へず、二者の性質を混淆せざる可からざるに至れり、
彼等は時として、商売往来を読めども、亦時として、論語を読む事あり、時としては、撃剣を学へども、亦時としては、算盤も学ひ、齋しく、是れ一の馬なれども、農事の忙はしき時には、之を農馬として用ひ、農事閑なる時には、乗馬として用ひ、
其小作人地方の小民に接する時には、純乎たる治者の如く、其地方の代官奉行に接する時には、純乎たる被治者の如く、
総して論すれは、封建平民の酸味を嘗めたれとも、未た卑屈なるに到らす、封建武士の甘味を喫したれとも、未た高慢なるに及はす、不充分なからも社会全体の情味を知り得て、社会一部分の境遇に圧抑せられさるものは、先つ此の田舎紳士なりと云はさる可らす、
彼等が当世界に於て、養ひ得たる所ろは斯の如しとせは、今日に於て、此の資格を新奇の境遇に応用するに於て、何の難き事か之れ有らん、
渠等は封建世界の顛倒したればとて、未た俄かに一国の政治上に参与者となる用意を為す必要もなく、更に一挙手一投足の労を竢たすして、容易に今日の境遇に当て嵌まるものとなれり、
試みに思へ今日に於て実際政治上に其勢力を占むる者を以て、如何なる階級かと問ハゞ、恐くハ此の階級の外に出てざるへし、今日に於て地方の県会議員と為る者は、如何なる人々なるや、
若し其身元を調査する者あらバ、必ず知るべし、彼等ハ多くハ是れ此の田舎紳士の仲間より出て来たる者なるを、則ち一県内の経済と議決するの権ハ、今や既に斯の田舎紳士の手に落ちたることを知るべし、
更に下つて一郡一村の事を考へよ、凡そ一郡一村に於て勧業、土木、衛生、学校等の如き事に就て最も尽力する人ハ何人そや、即ち郡中の共有金を取扱ふハ何人そや、小学校の寄附金を多く募り、若くハ自から寄附するハ何人そや、
吾人ハ悉く是れ田舎紳士なるを見る、一村より一郡に及ひ、一郡より一県に及ひ、一県よりして一国に及ぶ、彼等か県会開設の今日に於て、有する所の労力を以て此を推せハ、彼等か国会解説の他日に於て有する所の勢力も亦た察するに余りある可し、
現在今日に於て地方に重立たる政党員なるものを観るに、多くハ此の田舎紳士なるを知る可し、我か「民友社」ハ嘗て書を各地方の有名なる人士に飛ハし、其の政党員の重なる階級を尋ねたるに、左表の如き回答を得たり、
士 石川宮城宮崎岩手青森 五
士及農 群馬愛媛高知愛知福島岡山大分熊本 八
農 三重秋田山梨京都徳島福岡栃木奈良
千葉鳥取岐阜和歌山長野埼玉富山広島 一六
農及商 山形大阪 二
本表に府県名なき者は未だ其回報書を得ざるものなり
知る可し此の表中に於て農とあるものハ、純然たる水呑百姓にあらずして、即ち田舎紳士なることを、既に此の如く彼等ハ今日に於て政治思想を有せり、而して又彼等ハ此の思想を運動す可き恰当なる資格を有せり、(工商、士の階級に比して)
廿三年の時に於て被選の資格を有するものハ誰そや、其勢力の選挙人に及ふ最も大なるものハ誰そや、政治上に奔走尽力するの余閑と、生計と、好尚とを有するものは誰そや、若し夫れ田舎紳士に於て此れを見るとせハ、彼等か勢力の漸次に膨張し来るハ固より疑ふに足らず、
英人の諺に曰く、土地の所有者ハ即ち政権の所有者なりと、若しそれ英国の如き製造貿易国にして、斯の語を真なりとせは、我か邦の如き純乎たる(今日の有様に於て)農業国に於てハ、土地の所有者ハ、即ち政権の所有者なりと云ふとは、更に最も其の真なりとせさる可らす、
総して論すれば、日本ハ市町に依りて成り立ちたる国に非ずして、村落に於て成り立ちたる国なり、将来日本が生産上に著しく進歩を為すの場合に於てハ、いざ知らず、今日に於てハ村落の勢力は(東京、京都、大坂等の都会を除き)殆んと全国を圧すと謂ハざる可からず、それ然り田舎紳士の勢力の広大なる豈に徒然ならん哉、
吾人は曽つてマシウー、アルノルド氏の説を聞けり曰く、
仏国に於て人民と云ふは、取りも直さず農民のことなり、盖し仏国の農民なる者は、余が見る所を以てすれば、欧州人民が有する所の社会上の形体に於て、最も大いに、最も強き、剛健なる要素と云ふべし、此の農民にこそ、仏蘭西は一八七一の大敗北の後に驚く可くも速かなる恢復を為せり、即ち仏国農夫の境遇品行性質は、実に仏国をして其瘡痍を恢復せしめたる重もなる原因なりと謂はざる可からず、巴里市民の軽躁浮薄にして、頼母敷からさる、天下に名高き程なり、而して佛国から今日に於て、強敵の中心に立ちなから猶は赫々の地位を有するは抑も何そや、職として地方の農夫に是れ拠るのみ、嗟呼佛国か地方農民に負ふ所の恩恵も亦た大なりと云ふ可し、
我か田舎紳士は我邦農民の魁なるものなり、顧ふに我邦は将来に於て、彼等に負ふ所のものあらさる乎、今や士族の勢力は端なく消散して夢の如し、此に続ひて一国の精神となり、元気となり、運動力となり、政治上の重なる勢力となり、以て我邦の平和と、栄光と、幸福とを無窮に発揚し、無極に維持するは、此れを我か田舎紳士に望むにあらすして、復た誰にか望まんや、
現代語訳
他人から「お前は私よりも力が無いな」と思われ、そして自分自身でも「自分には力は無いのではないか。」と思う勢力(後述の田舎紳士)が次第に政治に影響を及ぼしてくる、この勢力というのは、ただの田舎紳士ではないか。
田舎紳士とは何か。それは、イギリスでいう「カントリー・ジェントルマン」である。すなわち、地方に根付いた紳士のことだ。
彼らは多少の土地を持っている。土地を持っているがゆえに、土地を耕作する農夫を抱え、その農夫がいることで村落は成り立っている。彼らはその村落で最も重要な地位にいる。生活には余裕があるというわけではないが、不足しているわけではない。
貴族ほど尊大な存在ではないが、水呑百姓のように憐れでもない。大きな楽しみもないが、大きな悩みもない。大きな栄誉もないが、大きな恥辱もない。村人たちからは愛され、親しまれ、敬われている存在である。
彼らは村の総理大臣と言ってもよく、全ての出来事は彼らの指揮によって決定される。彼らの家の前庭は村の公園と言ってよく、朝夕には村の子供たちが遊びに来る。
また、彼らの居間は村の集会所とも言ってよく、春の祝いや秋の祭りには村の長老たちが集まり会合する。家を囲む鬱蒼とした高木はまるで村社の神木のようであり、土地上においても、家柄上においても、習慣上においても、言葉では言い表せない一種の勢力をその地方に持っている、これが田舎紳士である。
これらの人々が、なぜその勢力を今日の国家規模の政治に反映させようとする傾向がみられるのか。それは、彼らは、己の経済活動に専念している純粋な商工人よりも、昨今の政治体制に最も適応できる資格を昔から養っているからである。
いわゆる「士族根性」というものは、一個人のためにあるのではなく、公共のために存在している。つまり、主人のため、一藩のため、士族仲間のため、先祖代々のため、士族としての名誉を失わないようにすることが、「士族根性」の行動の大きな動機となっている。
そのため、士族というのは、封建的な世襲社会においては、実際にその社会を運営するのに最も相応しい資格を有する者たちであった。
世襲制の旧社会体制は、家を重要視する社会でした。そのため、士族の道理というのは、家に関係する人たちに帰属していました。
しかし、今日のような自立、自活、自治の社会においては、士族は実に行き詰まっていると感じる。士族の命もまた尽きたといえよう。自ら行き詰まりに行ったといえよう。
自ら行き詰まったような者が、上手く天下を救うというのは稀な話である。よって、政治における士族の勢力が減少することは不思議ではない。
士族は行き詰まりました。そのような人に、天下の運営を先導する力はありません。新社会体制になって士族の勢力は自然と落ちていくといえます。
これに反して、純粋な商工人は、その考えが一身一家に留まる。商売上の駆け引きにおいては活発で抜け目がないが、社会や公共の事柄に関しては感覚が鈍く、特に、社会や公共に対する考えが貧弱であることが際立つ。
かつて聞いた話である。ある人が哲学者に話しかけた。「あなたの家が今にも火事になりそうです。」と。これを聞いた哲学者は静かに返した。「それは私の関心事ではありません。それは私の妻に伝えてください。」と。同様に、商工人に対して政治について話すと、商工人はこう答えるだろう。「それは私の関心事ではありません。それは政治家に伝えてください。」と。
人というのは、自分に関心のある事柄以外には興味がないということを言っています
つまり、純粋に己の利益を追求してきた商工人は以下のように言わざるを得ない。『「国家の決め事の責任は国民が分担してとる」という今日の社会に、適応するために必要な資格を持っていない者たちである』と。
今、このような平等社会となったが、かつて統治者であった士族は依然として統治者としての資格を持ち、被統治者であった商工人は依然として統治者の資格を持っていない。
社会の変化により、士族階級は春の氷が陽光に照らされて溶けるように日々消えている。そして商人階級は、春の雪に圧される芳草が植物としての力を温存しているように、今はまだその勢力を発展させる時とはいえない。
天下国家の事を考えなければならない社会となり、国民は我が身や我が家のことを第一に考えつつも、天下国家のことを無視しくなった。そのため、このように新しくなった日本人民は、個人・家族と国家・公共との均衡を保つことを田舎紳士に求めざるを得なくなったのである。
なぜ田舎紳士がこのように政治の運営に適した資格を持つか。これを知るのは難しくない。その理由は、彼らは従来より半士半商の性質を養ってきた者たちだからである。士族は純粋な消費者にすぎないのだ。
士族は、生産者を常に自分を支配者の位置に置き、生産者が生産したものを自由に消費している。対して商工業者は純粋な生産者で、その仕事は士族に物を供給することである。その位置付けは常に被支配者にあたる。
一方で田舎紳士は、自分で生産したものを自分で消費しているため、純粋な被支配者でもなければ純粋な支配者でもない。ちょうど士族と商工業者の中間の位置を占めていたが故に、知らず知らずのうちに士族と商工業者の二つの性質を混ぜ合わせた習慣ができあがり、それが日常となった。
田舎紳士は商売の専門書を読むだけでなく、論語を読むこともある。剣術を学ぶだけでなく、算盤も学ぶことがある。単に馬といっても、農事の忙しい時期には農馬として使い、閑散期には乗馬として使う。
そして、農民や地方の人々に接する時には支配者のように振る舞い、地方の役人に接する時には被支配者のように振る舞う。
全体として論じると、封建社会の平民としての辛さを経験しても卑屈にならず、封建社会の武士としての甘さを味わっても高慢にならず、十分ではないにしても社会全体の情味を理解し、社会の一部分の境遇に圧迫されることがない存在というのは、まさしくこの田舎紳士であると言わざるを得ない。
彼らがこの世界で養い得たものが左に述べたようなものであるならば、今日、新しい環境にこれを応用して適応することに何の難しさがあるだろうか。
彼らは封建社会が崩壊したからといって、国家政治に参与する用意を急いでする必要もなかったし、さらには境遇の変化に一挙手一投足の労力をかける必要もなかった。こうして彼らは、容易に今日の環境に適応していったのである。
試しに、『今日の政治において、実際に勢力を持っている者らはどの階級に属しているでしょうか?』と人々に問えば、おそらくこの階級の外に答えは出ないでしょう。今日、地方の県会議員となっている者たちは、いったいどのような人々なのか。
それは、身元を調査すれば、必ず知ることができよう。彼らの多くはこの田舎紳士の仲間から出てきた者なのだ。つまり、一県内の経済に関する事項を発案し議決する権利は、今やすでにこの田舎紳士の手に落ちているということなのだ。人々はこの事実を知るべきである。
さらに下って一郡一村のことを考えてみよう。おおよそ一郡一村において、産業振興、土木、衛生、学校などの分野に最も尽力している人は誰なのか?郡の共有金を取り扱うのは誰なのか?小学校の寄付金を多く募り、または自ら寄付するのは誰なのか?
私たちは全ての項目において、この田舎紳士の存在を確認することができる。彼らの勢力は、一村から一郡へ、一郡から一県へ、一県から一国へ及ぶ。今日の県会開設おいて、彼らは議員となった。彼らがその努力によって生み出した効果をもとに考えれば、国会開設の際に議員になった場合の勢力(=影響力)もまた十分に察することができる。
現在、地方で重要な政党員となった者を見ると、その多くが田舎紳士であることが分かる。我々民友社は、『その政党を構成している政党員の主要な階級はどこか?』という質問書をかつて各地方の有名な人士に送ったことがある。そして以下のような回答を得た。
士 | 石川・宮城・宮崎・岩手・青森 | 5 |
士及農 | 群馬・愛媛・高知・愛知・福島・岡山・大分・熊本 | 8 |
農 | 三重・秋田・山梨・京都・徳島・福岡・栃木・奈良・千葉・鳥取・岐阜・和歌山・長野・埼玉・富山・広島 | 16 |
農及商 | 山形・大阪 | 2 |
※本表に府県名が無い分は、まだ回答が届いていない
この表の中で「農」とあるものに関しては、純粋な水呑百姓(貧しい農民)ではなく、田舎紳士であることが分かる。すでに彼らは今日において政治的な思想を持っているのだ。そして、勢力が大きい分、商工業者や士族の階級に比べて、その思想を実行するための適切な資格も持っているといえる。
明治23年(1890)の時点で、選挙に立候補する資格を持っているのは誰か?政治勢力のうち、選挙人に最も影響を与えるのは誰か?政治に奔走し尽力する余裕と、生計と、個人の趣味をこなすことのできるのは誰か?もしそれが田舎紳士であるとすれば、その勢力が次第に膨張するのは疑いようもない。
イギリスの諺に「土地の所有者は即ち政権の所有者である。」というのがある。もしそれが製造貿易国イギリスで真実として語られているのであれば、我が国のような純粋な農業国においては、土地の所有者が即ち政権の所有者であるということはなおさら真実であると言える。
先進的なイギリスの諺が正ならば、それに後れを取っている日本はなおさら正だと言っています。
総じて論じれば、日本は都市によって成り立っている国ではなく、村落によって成り立っている国なのだ。故に、日本が将来生産面で著しく進歩した場合は別として、東京・京都・大阪などの都会を除き、ほとんどの全国で村落の勢力が圧倒している状態なのだ。田舎紳士の勢力が広大であることは決して無意味でないといえる。
私たちはかつて、マシュー・アーノルド氏の説を聞いたことがある。彼は言った。
『フランスにおいて「人民」とは、まさしく農民のことを指す。私が見る限りフランスの農民は、ヨーロッパの他の人民と比較しても社会体制において最も重要で、最も強く、剛健な要素だと言える。この農民の存在のおかげで、フランスは1871年の大敗北(普仏戦争)後に驚くべき速さで回復できた。フランスの農夫の生活環境、品行、性質が、フランスの復興を大きく支えた主な原因であることは間違いない。パリ市民は軽率で浮ついており、信頼性が乏しいと天下に名高い。しかし、フランスが今日、強大な敵の中心国としての立ち位置にありながらも、依然として輝かしい地位を保っているのは何故か?それは地方の農夫に依るところが大きいのだ。ああ、フランスという国は、地方農民から受けている恩恵もまた大きい国なのだ。』と。
我々田舎紳士は日本の農民を先導する立場にある。日本は将来、彼らに依存する部分が大きくなるだろう。今や士族の勢力は消え去り、夢のような存在となった。これに取って代わって、一国の精神となり、活力となり、運動力となり、政治上の重要な勢力となり、日本の平和と、栄光と、幸福とを永遠に発揚し、永久に維持するのは、まさに田舎紳士なのだ。彼ら以外、誰に望むことができようか。