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国民之友【現代語訳】徳富蘇峰の語る「田舎紳士」とは?分かりやすく解説!

プロフィール帳

『国民之友(第16号)』

時代:明治

作者:徳富蘇峰

概要:新時代を動かす「田舎紳士」の必然性を主張した

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文量

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読解難易度

国民之友について

『国民之友』は、民友社の徳富蘇峰によって創刊された雑誌です。1887年(明治20)から1898年(明治31)まで存続しました。この民友社には、蘇峰の弟である徳富蘆花や国木田独歩などの文学人も所属しています。

徳富蘇峰は熊本出身で、1886年に家族を連れて上京、湯浅治郎の名で「民友社」を設立しました。「民友社」の元ネタは、アメリカの週刊誌「ネーション」です。

蘇峰は平民主義論者で、そのスローガンである「人民全体ノ幸福ト利益」を趣旨とした内容が色濃く反映されました。

とらちゃ
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ちなみに、徳富蘇峰は身長が2m近くありました。びっくり。

田舎紳士とは何か

この「田舎紳士」に関する社会批評も平民主義に基づく主張のひとつです。

明治21年(1888)2月の第16号にて掲載されました。

そもそも田舎紳士という単語はイギリス発祥の単語で、地方に根付いた紳士という意味です。今でいう地方議員みたいな感じです。地方の発展、維持を目的としてその土地の人々を管理したり、導いたりしたりする立場で、他の人々より富と権力を多く有している存在です。

明治維新以降、薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)、土佐(高知県)、肥前(佐賀県)の改革者たちが中心となって、西洋列強と渡り合えるよう日本の近代化を進めていました。徳富蘇峰は、身分制が撤廃され、国民全体に利益が行き渡るような変化が見られたことにより、彼らの近代化に賛成する姿勢をとります。そしてこの薩長土肥の英雄は、みな出身地を見ての通り田舎出身でかつ、その地方で他より富と権力を有していた者たちでした。このことから、

「田舎紳士の勢力は村落から県、そして国へと広がり、今日の日本の地方政治や社会の安定の礎となっていることは疑いようがない。」

と主張したのです。

原文

民友社 明治21年(1888)2月『国民之友』第16号

他人よりも未た有力なりと認められず、自家に於ても未た有力と認めずして、其勢力の漸々と政治上に膨張し来るものは、それ唯た田舎紳士なる哉、

田舎紳士とは何そ、英国にて所謂る「コンツリー、ゼンツルメン」にして、即ち地方に土着したるの紳士なり、

彼等は多少の土地を有し、土地を有するか故に、土地を耕作するの農夫、農夫によりて成り立ちたる、村落に於ては、最も大切なる位地を有せり、生活に余裕あるに非ざれども、亦不足なるにも非ず、

貴族程に尊大ならされども、亦た水呑百姓の如く憫然にも非ず、大なる楽みなきも、亦た大なる憂ひなく、大なる栄へなきも、亦た大なる辱しめなく、村民よりは愛せられ、親まれ、敬せられ、

彼等は村内の総理大臣とも云ふ可く、総ての出来事皆な彼等の指揮によりて決し、彼等の前庭は村内の公園とも云ふ可く、花晨月夕村内の兒女皆な来り遊ひ、

彼れ等の勝手の坐敷は村内の倶楽部とも云ふ可く、春祝秋祭、村内の父老皆な来り会す、家を囲むの欝葱たる喬木は恰も村社の神樹の如く、土地の上より、門地の上より、習慣の上より、云ふに云はれぬ一種の勢力を其地方に有するものは、是れ則ち田舎紳士なり、

此の人々が、何故なれは其勢力を今日の政治上に像かせんとするの兆候ありや、曰く彼らは純乎たる工商人よりも、今日政治上の境遇に最も恰当したる資格を古へより養ひ得たれはなり、

所謂る「士族根性」なるものは、一人一個の上に在らすして、公共の上に在り、即ち主人の為め、一藩の為め、士族仲間の為め、先祖代々の為め、其士族たるの面目を失はさる為めを以て、其の運動の大頭脳となせり、

故に封建世襲の社会に於ては、士族ハ実に其の社会に処するに、最も善き資格を有する者なりしも、今日の如き自立、自活、自治、の社会に於ては、士族は実に行路難を歌はさるを得す、士族の命も亦た窮したりと云ふ可し、身自から窮したりと云ふ可し、

身自から窮して能く天下を救ふものは稀れなり、士族の勢力の政治上に減少するも更らに怪むに足らす、此れに反し純乎たる工商人ハ、其思想する所、唯一身一家に止り、所謂る商売上の掛け引きに到りてハ、活溌伶俐更らに抜目もあらされとも、社会公共の事に到りてハ其の感覚の遅鈍なる、其の思想の貧乏なる、亦た更に甚しきものあり、

嘗て聞く、人あり哲学者に語けて曰く、「貴宅ハ今火に焼けんとすと、哲学者徐に答て曰く、是れ余か関する所にあらす、乞ふ此れを余の細君に告けよ」と、若し人あり工商に向て政治を談せハ、工商ハ亦た斯く答ふ可し、曰く是れ余か関する所ろにあらす、乞ふ此れを政治家に告けよと、

然るか故に、今日の如く、人各其国家の事に就て、責任を分担するの社会に於ては、純乎たる工商ハ、未た容易に今日の時勢に必用なるの資格を有する能はざる者と云はざる可からず、

此の如く現今の平等社会となりても、治者たりし士族は、依然たる治者の資格のみを有し、被治者たりし工商は依然たる治者の資格のみを有し、

此れか為めに士族の階級は春氷の陽光に照されて融するか如く、日々に消散し、商人の階級ハ芳草の積雪に圧せらるゝ如く、未た其の勢力を発達せさるの時に於て、天下国家の事を思ふて一身一家を忘るゝに至たらず、

一身一家の事を思ふて天下国家を忘るゝに至らさる、新日本の新人民なるものは、乃ち之を我か田舎紳士に求めさるを得す、

而して田舎紳士なる者が、何か故に斯くの如く恰当なる資格を有するを知らんと欲せば、敢て難きに非す、何となれば彼等ハ従来半士半商の性質を養ひ得たる者なればなり、士族ハ純乎たる消費者なり、

即ち生産者の生産したる所の者を自由に消費して、常に身を治者の位地に置けり、工商は純乎たる生産者にして、其職とする所は、士族に給するに在り、而して其位地恒に被治者に在り、

独り田舎紳士に至ては、自家の生産したる所のものを、自家自から之を消費し、敢て純乎たる被治者に非さるも、亦た、純乎たる治者に非ず、恰も従来士族と工商の中間に其位地を占め、平生積習の致す所、知らず覚へず、二者の性質を混淆せざる可からざるに至れり、

彼等は時として、商売往来を読めども、亦時として、論語を読む事あり、時としては、撃剣を学へども、亦時としては、算盤も学ひ、齋しく、是れ一の馬なれども、農事の忙はしき時には、之を農馬として用ひ、農事閑なる時には、乗馬として用ひ、

其小作人地方の小民に接する時には、純乎たる治者の如く、其地方の代官奉行に接する時には、純乎たる被治者の如く、

総して論すれは、封建平民の酸味を嘗めたれとも、未た卑屈なるに到らす、封建武士の甘味を喫したれとも、未た高慢なるに及はす、不充分なからも社会全体の情味を知り得て、社会一部分の境遇に圧抑せられさるものは、先つ此の田舎紳士なりと云はさる可らす、

彼等が当世界に於て、養ひ得たる所ろは斯の如しとせは、今日に於て、此の資格を新奇の境遇に応用するに於て、何の難き事か之れ有らん、

渠等は封建世界の顛倒したればとて、未た俄かに一国の政治上に参与者となる用意を為す必要もなく、更に一挙手一投足の労を竢たすして、容易に今日の境遇に当て嵌まるものとなれり、

試みに思へ今日に於て実際政治上に其勢力を占むる者を以て、如何なる階級かと問ハゞ、恐くハ此の階級の外に出てざるへし、今日に於て地方の県会議員と為る者は、如何なる人々なるや、

若し其身元を調査する者あらバ、必ず知るべし、彼等ハ多くハ是れ此の田舎紳士の仲間より出て来たる者なるを、則ち一県内の経済と議決するの権ハ、今や既に斯の田舎紳士の手に落ちたることを知るべし、

更に下つて一郡一村の事を考へよ、凡そ一郡一村に於て勧業、土木、衛生、学校等の如き事に就て最も尽力する人ハ何人そや、即ち郡中の共有金を取扱ふハ何人そや、小学校の寄附金を多く募り、若くハ自から寄附するハ何人そや、

吾人ハ悉く是れ田舎紳士なるを見る、一村より一郡に及ひ、一郡より一県に及ひ、一県よりして一国に及ぶ、彼等か県会開設の今日に於て、有する所の労力を以て此を推せハ、彼等か国会解説の他日に於て有する所の勢力も亦た察するに余りある可し、

現在今日に於て地方に重立たる政党員なるものを観るに、多くハ此の田舎紳士なるを知る可し、我か「民友社」ハ嘗て書を各地方の有名なる人士に飛ハし、其の政党員の重なる階級を尋ねたるに、左表の如き回答を得たり、

石川宮城宮崎岩手青森
士及農 群馬愛媛高知愛知福島岡山大分熊本
三重秋田山梨京都徳島福岡栃木奈良千葉鳥取岐阜和歌山長野埼玉富山広島 一六
農及商 山形大阪

本表に府県名なき者は未だ其回報書を得ざるものなり

知る可し此の表中に於て農とあるものハ、純然たる水呑百姓にあらずして、即ち田舎紳士なることを、既に此の如く彼等ハ今日に於て政治思想を有せり、而して又彼等ハ此の思想を運動す可き恰当なる資格を有せり、(工商、士の階級に比して)

廿三年の時に於て被選の資格を有するものハ誰そや、其勢力の選挙人に及ふ最も大なるものハ誰そや、政治上に奔走尽力するの余閑と、生計と、好尚とを有するものは誰そや、若し夫れ田舎紳士に於て此れを見るとせハ、彼等か勢力の漸次に膨張し来るハ固より疑ふに足らず、

英人の諺に曰く、土地の所有者ハ即ち政権の所有者なりと、若しそれ英国の如き製造貿易国にして、斯の語を真なりとせは、我か邦の如き純乎たる(今日の有様に於て)農業国に於てハ、土地の所有者ハ、即ち政権の所有者なりと云ふとは、更に最も其の真なりとせさる可らす、

総して論すれば、日本ハ市町に依りて成り立ちたる国に非ずして、村落に於て成り立ちたる国なり、将来日本が生産上に著しく進歩を為すの場合に於てハ、いざ知らず、今日に於てハ村落の勢力は(東京、京都、大坂等の都会を除き)殆んと全国を圧すと謂ハざる可からず、それ然り田舎紳士の勢力の広大なる豈に徒然ならん哉、

吾人は曽つてマシウー、アルノルド氏の説を聞けり曰く、

仏国に於て人民と云ふは、取りも直さず農民のことなり、盖し仏国の農民なる者は、余が見る所を以てすれば、欧州人民が有する所の社会上の形体に於て、最も大いに、最も強き、剛健なる要素と云ふべし、此の農民にこそ、仏蘭西は一八七一の大敗北の後に驚く可くも速かなる恢復を為せり、即ち仏国農夫の境遇品行性質は、実に仏国をして其瘡痍を恢復せしめたる重もなる原因なりと謂はざる可からず、巴里市民の軽躁浮薄にして、頼母敷からさる、天下に名高き程なり、而して佛国から今日に於て、強敵の中心に立ちなから猶は赫々の地位を有するは抑も何そや、職として地方の農夫に是れ拠るのみ、嗟呼佛国か地方農民に負ふ所の恩恵も亦た大なりと云ふ可し、

我か田舎紳士は我邦農民の魁なるものなり、顧ふに我邦は将来に於て、彼等に負ふ所のものあらさる乎、今や士族の勢力は端なく消散して夢の如し、此に続ひて一国の精神となり、元気となり、運動力となり、政治上の重なる勢力となり、以て我邦の平和と、栄光と、幸福とを無窮に発揚し、無極に維持するは、此れを我か田舎紳士に望むにあらすして、復た誰にか望まんや、

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