宗義智 江戸
これにより文禄の役・慶長の役以来断絶していた朝鮮との貿易が再開した
解説
作中に登場する船の違いを記しておきます。
送使船
日本が派遣した使節船。遣唐使、遣隋使など。
歳遣船
交易・外交を目的として朝鮮に派遣された船。対馬宗氏に限らない。
年間に派遣できる数が制限されている。
特送船
対馬宗氏が李氏朝鮮に対して臨時の報告や交渉を行うために遣わした特送使が乗る船。
特別な理由により歳遣船の定数外から船が出された。この船を特送船という。
図示するとこのよな関係になります。
原文
大蔵省 編『日本財政経済史料』巻三,財政経済学会,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1902272
送使約条
一、館待有三例、国王使臣為一例、対馬島主時送(按ずるに、
一、国王使臣出来時、只許上副船事
一、対馬島歳遣船二拾隻、内特送船三隻、合弐拾隻事、
一、対馬島主処、歳賜米太(按ずるに、
一、受職人歳一来朝、不得遣人事
一、船有参等、弐拾五尺以下為小船、弐拾六尺柴尺為中船、
一、凡所遣船皆受対馬島主文引、而後乃来事
一、対馬島主処依前例図書成給、著見様於紙、蔵禮曹及校書館、
一、無文引者、及不由釜山者、以賊論断事
一、過海料対馬島人給五日糧、島主特送加五日糧、
一、他余事一依前規事
現代語訳
送使約条
第一条。歳遣船のうち、朝鮮において、倭館で接待を行うのは三例のみとする。
- 一、日本国王(徳川将軍)が臣下をに派遣した場合。
- 二、対馬島主(宗氏)が特送船を送った場合。
- 三、対馬の朝鮮王朝における官職を得た者が派遣された場合。
第二条。日本国王が臣下を派遣する場合に関しては、許諾のうえ、副船をつけることを認める。
第三条。船数について。対馬の歳遣船は20隻とし、そのうち特送船は3隻までとする。大船は6隻、中船小船共に7隻までとする。
第四条。対馬島主へは、米や豆、併せて米百石を賜給することとする。
第五条。対馬の朝鮮王朝における官職を得た者を乗せた歳遣船が朝鮮王朝へ来朝した場合、朝鮮から人は遣らない。
第六条。船の大きさについて。二十五尺以下を小船、二十六尺以上の柴尺(=歳遣船)を中船、三十尺あるいは捌尺・玖尺で二十尺を大船とする。朝鮮へ納める額は、大船が布銭四十枚、中船が布銭三十枚、小舟が布銭二十枚とする。もし不足していた場合、給料から天引きする。
第七条。船を遣る時は、全て対馬島主の図書文引(渡航証)を携帯し、以降も使用すること。偽使や倭寇対策に用いる(※1)。
(※1)「文引」は15世紀から利用されていましたが、偽使(国交を偽った使節)や倭寇が横行しており、実質的には効果がありませんでした。しかし、この約条によって文引制度が強化されます。特に偽使に関しては、これ以降の時代に確認された例がほぼないため、かなりの効果があったといえます。
第八条。対馬島主へは第七条に示した図書文引を朝鮮より賜給し、図書文引を厳しく確認した後、礼曹(李氏朝鮮において祭事や外交を司った行政機関)及び校書館(成均館のことか?)で管理する。港は釜山に限定し、書契(渡航証(※2))が来る毎に、これについて真偽を行う。違うと判断された場合、船は送還することとする。
(※2):図書文引と書契との違いは以下の通りです。
- 図書文引:李氏朝鮮から賜給された法的文書
- 書契:対馬島主(宗氏)と歳遣船運航の契約を交わした契約書
第九条。図書文引を有していない者及び釜山に用がない者は、賊船と判断する。
第十条。航海料に関して。対馬島人は五日分の食糧を与える。対馬島主による特送船であれば、更に五日分の食料を与える。日本国王の臣下が使者として派遣された場合は、二十日分の食料を与えることとする。
第十一条。その他の事は過去に結んだ約条に依拠することとする。