登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
8『黒羽』では、
10 那須の篠原
11 玉藻の前古墳句碑
12 金丸八幡宮(那須神社)
13 光明寺跡
が該当します。
原文
黒羽の館代浄坊寺何がしの方に音信る
思ひかけぬあるじの悦び日夜語つづけて
其弟翠桃など云が朝夕勤とぶらひ自の家にも伴ひて親属の方にもまねかれ日をふるままに
ひとひ郊外に逍遥して犬追物の跡を一見し
那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ
それより八幡宮に詣
与市扇の的を射し時別しては我国氏神正八まんと誓ひしも此神社にて侍
と聞ば感応殊しきりに覚えらる
暮れば翠桃宅に帰る
修験光明寺と云有
そこにまねかれて行者堂を拝す
夏山に 足駄を拝む 首途哉
現代語訳
黒羽藩の館代(領主の留守役)、浄坊寺某(浄坊寺氏は、大関氏の家老)のもとを訪れた。
黒羽(くろばね)藩は、下野国那須郡に存在した藩で、城主は大関氏です。
思いがけない出来事だと浄坊寺の主人は喜び、日夜語り合いを続けた。
その弟の翠桃(すいとう。浄坊寺澄香のこと)という者が朝晩努めて訪問してくれた。
翠桃は二人を自分の家に招いたり、はたまた二人は親族の家に招かれたりして、日を過ごした。
ある日、郊外を逍遥(しょうよう。気ままに歩く。散策)し、昔、犬追物(騎射三物のひとつ)が行われていた跡地を一目見に来た。
ちなみに、武田信玄の弟、武田信繁は、文化人的性格の人物であったため、気ままに歩き、世俗にとらわれず生きることという意味を込めて、武田逍遥軒と名乗りました。
騎射三物(きしゃみつもの)は、笠懸、流鏑馬、犬追物です
那須の篠原を分け入って、玉藻の前の古墳(玉藻前稲荷神社の近くにある古墳)を訪れた。
そこから、金丸八幡宮(別名那須神社)に参詣した。
「源平合戦、屋島の戦いで那須与一(実は、那須与一は下野国那須に土着した那須氏の武士)が扇の的を射た時、『別しては我国の氏神正八幡・・・』と、祈念を立てられたのが、この神社でございます。」
那須の篠原の話は、源実朝の伝承に基づきます。
源実朝
『もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に 霰(あられ)たばしる 那須の篠原』
武士が矢を整えていると、籠手(こて)の上で霰が激しい勢いで飛び散っている。狩りの名地、那須の篠原で奮い立たせてくれるよ。
と聞いたので、その感動は殊更であった。
日が暮れたので、翠桃の家に帰った。
修験光明寺という寺がある。
そこに招かれて、役小角(えんのおづぬ。飛鳥時代に活躍した、修験道の開祖)が祀られている行者堂を拝んだ。
夏山に 足駄を拝む 首途(かどで。門出)かな
夏と言えば旅立ちの季節。
役行者の像を拝んで、旅の健脚を祈ろう。
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