日本史の中でも超有名な『永仁の徳政令』。1297年で、
「言いにくいな(1297)、徳政令」
なんて非常に覚えやすいのも特徴です。
さて、そんな『永仁の徳政令』ですが、きちんと説明できる人は多くいるでしょうか。今回は、『永仁の徳政令』の「なぜ」を突き詰めていきます。
質とは?
『永仁の徳政令』の解説の前に、その根幹部分を担う経済システム「質」について解説します。
現代でも、「質」という単語は身の回りの生活でよく耳にする単語ですが、そもそも質とは何でしょうか。
現代における質
質とは、物を担保に金銭を借りること、物を売却して現金に換えることを言います。
町で目にする高〇質店などは、後者の意味合いが強いです。まあ、それもそのはず。現代は職業が多様化し、質屋で物を担保に金銭を借りる必要がありませんからね。その役割は、銀行や信用金庫が担っています。
中世における質
さて、日本中世ですが、現代とは逆で、物を担保に金銭を借りるという前者の意味合いが強いです。
理由は、中世には現代のような銀行・信用制度が十分に発達していなかったからです。
現代:物を売却して現金に換えること
中世:物を担保に金銭を借りること
中世の人々が金銭を必要とした場合、現代のように銀行から「信用」をもとにお金を借りることは一般的ではありませんでした。
そこで、土地・衣服・武具など、価値のある物を担保(質物)として差し出し、それを預ける代わりに金銭を借りるという方法が広く利用されました。
特に、その取引に使用されたのが土地だったのです。
中世の先入観に注意!
例えば、以下のような取引が行われます。
この土地を担保にしますから、10貫文貸してください!このお金、返済できなければ、この土地は貴方のものです。
というような取引です。
文字だけ見ると、貧しくて身分の低い百姓が、武士にお金を貸してほしいと懇願しているシーンが想像されるのではないでしょうか。
しかし、『永仁の徳政令』では、そのイメージは異なります。
後に説明しますが、実は、お金を貸してほしいと懇願しているのは、武士(御家人)なのです。
織田信長の経済政策や、武士が世の中を治めていることを思うと、武士は経済力と武力を兼ね備えているという先入観がどうしても生まれてしまいますが、全ての武士がそうだったわけではないと、一度先入観をリセットして考えることが、『永仁の徳政令』を理解するうえで大切なのです。
原文に登場する質の用語
質に関する日本史用語を解説します。
- 債務者:物を質に入れてお金を借りる人
- 債権者:お金を貸す人
| 質 | 物を担保に、債権者から金銭を借りること。利子が発生する |
|---|---|
| 質券 | 担保とする物を債権者に入れた際に発生する契約書のこと |
| 質入れ | 担保とする物を債権者に入れること。この時に質券が発生する。質に入れると、利息を支払えなかった場合、その物は債権者の所有物となり、債務者は取り戻すことができなくなる。 |
| 質流れ | 担保した物が債権者の所有物となること。「買い取る」という表現になる。債権者は、さらにこの土地を売却し、回収できなかったお金を取り戻す。 |
赤文字にした部分が、論争の火種になります。
A[御家人] → B(質流れ)→ C(売却)
『永仁の徳政令』が滅茶苦茶な法令だったのは、A(御家人)が、C(第三者)から土地を取り戻すことができたことに起因します。
さて、質について学んだところで、『永仁の徳政令』について見ていきましょう。
永仁の徳政令について
いつ出した?
『永仁の徳政令』とは、永仁5年(1297)に鎌倉幕府が出した法令です。正式には、『関東御徳政』といいます。
その時の鎌倉幕府執権は、第9代執権北条貞時です。ちなみに、将軍は、第8代将軍久明親王(ひさあきらしんのう)です。
余談ですが、天皇は、第92代伏見天皇です。
- 永仁の徳政令:1297年
- 将軍:久明親王(第8代 在職1289~1308)
- 執権:北条貞時(第9代 在職1284~1301)
- 天皇:伏見天皇(第92代 在位1287~1298)
徳政令が出された背景
主として、御家人が売却、質入れした土地を取り戻せるようにすることを目的としていました。
背景には、鎌倉時代後期に、御家人の経済的困窮が深刻になっていたことが挙げられます。
この根本的な原因は、かの有名な「御恩と奉公」の関係、つまり御家人制度です。
目的 御家人が売却、質入れした土地を取り戻せるようにすること
背景 御家人の経済的困窮が深刻になっていたため
根本的な原因 「御恩と奉公」による御家人制度の揺らぎ
12世紀末に始まった鎌倉時代。御家人は、将軍に奉公する代わりに所領を認められるという社会システムが誕生しました。
しかし、13世紀後半になると、戦費や生活費などの負担が増え、御家人の生活は苦しくなっていきます。特に元寇(文永・弘安の役)は、御家人が九州まで出陣したにもかかわらず、外国との戦であったために、功をあげたとしても、新たに土地を得ることがほとんどありませんでした。
これは、「御恩」というシステムの根幹を揺るがす事態といえます。
そして、困窮した御家人の中には、所領を売却したり、土地を質に入れて借金をしたりする者が現れ始め、徐々に増加していきました。所領を失えば、御家人としての経済的基盤も失われ、将軍への「奉公」を続けることが難しくなります。
このままいけば、「御恩」も「奉公」も共倒れとなり、国家的基盤が崩壊しかねない事態となり、幕府も、強引にでもこの状況を打開せざるを得ない状況へと追い込まれます。
そこで打ち出した策が、『永仁の徳政令』だったわけです。
徳政令の内容
内容は、全4条構成で、御家人が売却・質入れした土地について、一定の条件のもとで元の所有者である御家人が取り戻すことを認めるというものです。
他にも、御家人が非御家人に売った土地を取り戻すことや、売買された土地についての裁判を停止することなどが定められました。ただし、全ての土地を無条件に取り戻せたわけではなく、20年以上経過した売却地については元の所有者による取り戻しを認めないなど、細かな条件も設けられていました。
非御家人に対する配慮も見受けられます。
結果どうなった?
この法令によって、困窮した御家人の一時的な救済に成功はしましたが、そのしわ寄せとして、土地の売買ルールや金融を混乱させることになりました。
このような法令が出された以上、御家人から土地を買ったとしても、後から土地を取り戻される可能性が生じたためです。つまり、御家人への融資や土地取引が停滞したことを意味します。
そのため、幕府はわずか数年後の1300年ごろには徳政令を撤回することになりました。
現代語訳
質以外の専門用語もここで紹介します。
| 本主 | ほんしゅ。本来の所有者 |
|---|---|
| 凡下 | ぼんげ。一般庶民 |
| 越訴 | おっそ。法的手続きを無視して、上級機関や権力者に対して直訴すること。または再審を求めること。 |
| 佗傺 | たくさい。困窮すること |
| 本所領家 | 荘園領主のこと |
| 領掌 | りょうしょう。領有し、支配すること |
| 制符 | せいふ。日常生活や儀式などの規範を定めた法令 |
| 知行 | 領主や武士が土地を支配し、そこから年貢を得る権利や、その与えられた領地 |
| 利銭出挙 | りせんすいこ。利息を取って金銭を貸し付けること |
| 負累 | ふるい。借金 |
| 下知状 | げちじょう。幕府などの公的機関からの命令文書。 |
関東御筝書法
一、質権売買買地事、永仁五年三月六日
右於地頭御家人得地者、守本条、過廿箇年者、本主不及取返、至非御家人並凡下輩買得地者、不謂年記遠近、本主可取返之、
自関東被送六波羅御事書法
一、可停止越訴事、
右越訴之道、逐年加増、棄置之輩、多疲濫訴、得理之仁、猶難安堵、諸人佗傺、職而此由、自今以後可停止之、但逢評議而未断事者、本奉行人可執申之、次本所領家訴訟者、難准御家人仍云以前棄置之越訴、云向後成敗之条々事、於一箇度者、可有其沙汰矣、
一、質券売買地事、
右以所領或入流質券売買之条、御家人等侘傺之基也、於向後者、可従停止、至以前沽却之分者、本主可令領掌、但或成給御下文下知状、知行過廿箇年者、不論公私之領、今更不可有相違、若背制符致濫妨之輩者、可被処罪科矣、
次非御家人凡下輩、質券買得地事、雖過年記、売主可知行、
一、利銭出挙事、
右、甲乙之輩、要用之時、不顧煩費、依令負累、富有之仁専其利潤、窮困之族弥及佗傺歟、自今以後、不及成敗、縦帯下知状不弁償之由、雖有訴申事、非沙汰之限矣。次入質物於庫倉事、不能禁制、
関東御教書 御使山城大学允 同八月十五日京着
越訴并質券売買地、利銭出挙事、々書一通遣之、守此旨可被致沙汰之状、依仰執達如件
永仁五年七月廿二日 陸奥守 在御判
宣時
相模守 在御判
貞時
上野前司殿 宗宣
相模右近大夫将監殿 宗方
関東御教書。箇条書きで法を記す。
第一条
一。質券が存在する、売買された土地について。
永仁5年(1297)3月6日。
この件について。地頭や御家人が買い取った土地(質流れの土地)については、本条(『御成敗式目』第八条)に従い、20年以上質流れの土地を所有している者に対して、本主は取り返すことはできない。
一方、非御家人や、凡下が買い取った土地については、経過した年月の長短に関わらず、本主はこれを取り返すことができる。
第二条
一。越訴を禁止することについて。
この件について。越訴は年々増加しているわけだが、濫りな(不必要な)越訴によって、敗訴した者は、その多くが疲弊している。
また、道理を通して勝訴したとしてもなお安心するのが難しい状況となっている。裁判に関わる者たちが佗傺するのは、越訴が原因なのだ。よって、これ以降、越訴は禁止とする。
ただし、評議の場においても判決が下されなかった訴訟に関しては、本奉行人が判決を下すこととする。
次に本所領家の訴訟について。これは御家人への適用分と同じようにすることはできまい。よって、本所領家の訴訟に関しては、過去に敗訴した訴訟と、今後出される判決の条々については、一度だけ越訴を認める。
第三条
一。質流れと売買された土地について
右の件について。所領を質流れに入れたり、売買したりするといったことは、御家人たちが佗傺する原因である。
今後については、これを禁止するものとする。
これより過去に沽却(こきゃく。売却すること)された土地については、本主に返還させ、その者の領掌とする。
ただし、御下文や下知状によって正式に認められており、20年以上にわたってその土地を領掌している場合は、公領、私領に関わらず、今さら異議を申し立ててはならない。
もし制符に背いて、濫妨(らんぼう。暴力を用いて無法に掠めとること)を働く輩は、いれば、罪科に処す。
次に、御家人ではない凡下が、質券によって取得した土地について。たとえ年月が経過していても、もとの売主の知行とする(=返還させる)。
第四条
一。利銭出挙について。
そもそも、人は誰しも要用(ようよう。どうしても必要なこと)な時に金を借りるわけだが、急のため、今後の細々とした煩費(はんぴ。煩わしい出費)は考えていない。結果、負累を重ねることになり、裕福な者はその利潤で専ら利益を得る一方、困窮している者はますます佗傺することになる。
今後は、この件(利息付きの金銭貸借)については、裁判を行わないものとする。
たとえ、下知状(ここでは、借金返済の命令文書)を持っていたとしても同様である。下知状に基づいて、借金を返してもらえない内容の訴えを申請したとしても、その理非は論じない。
次に、質物を庫倉(こそう。蔵のこと。ここでは質屋)に入れることについて。これに関しては、禁止しない。
末文
この関東御教書について。使者、山城大学允。同年8月15日に京都到着。越訴ならびに質券による土地の売買、利銭出挙について、その内容を記した文書一通を送る。
この趣旨を守り、この命令に従い、これらに関する揉め事が無いように。以上、仰せのままに、執達(しったつ。上から下への伝達)する。
終わりに
某鉄道ゲームでは、借金をチャラにできますが、史実における徳政令は、単なる「借金を帳消しにする法律」ではありません。重要なのは、御家人の所領を維持することで、鎌倉幕府の支配基盤である御家人制度を立て直そうとした政策だったという点です。
しかし、御家人の困窮という根本的な問題を解決することはできず、鎌倉幕府の政治的、経済的な行き詰まりを示す出来事となってしまいました。
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