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二十一箇条の要求とは
そもそも、『二十一箇条の要求』とは、大正5年(1915)、日本政府が中国政府(袁世凱政権)に対して提示した要求の総称です。
簡単にいうと、
中国の一部地域に対して、さらに経済と政治に対して、強力な権利や影響力を認めよ。
という要求です。
当時の日本は日清戦争・日露戦争という二大国との戦争に勝利し、東アジアで勢力を伸ばしていました。
中国は対象的に、清朝滅亡(1912年)後の混乱期の真っ只中にあり、中央政府の統制が弱く、列強が各地に権益を持つ隙を与えてしまいました。
そこに第一次世界大戦が始まります。ヨーロッパの列強国(イギリス・ドイツ・フランス等)は戦争への対応でアジアへの関与が弱まったことにより、日本は中国に対して影響力を広げる好機となりました。
それを見逃すことなく日本は1914年、ドイツが持っていた山東半島の権益を奪取、翌1915年、中国へさらに踏み込んだ要求を突きつけました。それが『二十一箇条の要求』です。
要求に至った背景
背景は大きく4つあります。
①市場が巨大だったため
当時の日本は工業化が進み、原料や市場が必要になっていました。中国は鉄鋼の産地でもあり、かつ人口が多く、労働力の観点に見ても巨大市場でした。
② 満州支配を強化するため
日本は日露戦争に勝利したことで、南満州で鉄道や鉱山などの利権を獲得しましたが、それは期限付きでした。そのため、長期的に確保する必要がありました。
日露間での条約とはいえ、本来の領主である中国が無期限租借を認めれば、後者の主張が実質有効となります。第一次世界大戦でロシアが欧州と睨み合ってる間に、その権利をより強固なものにすることが目的となりました。
③ 山東半島のドイツ権益を引き継ぎたかったため
日本軍は山東省におけるドイツ権益を奪取しましたが、言い換えれば武力による占領です。そうした以上、その権利を正式に認めさせたいという意図がありました。
④ 欧州列強国によるアジア進出が鈍化したため
いくら富国強兵が進んでいる日本とて、欧州列強を相手にするのは簡単ではありません。そんな列強の監視の目が緩んだタイミングで、各地の権利を得るべく要求を突き付けました。
要求の内容
『二十一箇条の要求』は5号、つまり5項目に分類されています。
第1号:山東省におけるドイツ権益継承
中国国内の山東省でドイツが持っていた権益を日本へ移すというものでした。
ドイツ権益
- 鉄道
- 港湾
- 鉱山開発権
第2号:南満州・東モンゴル権益拡大
実質的に、経済的な植民地化へ近づく内容でした。
要求例
- 租借期間延長
- 日本人居住権
- 営業権
- 土地利用権
第3号:漢冶萍会社の日中共同経営
漢冶萍公司という中国有数の製鉄・鉱山企業があります。この会社を日本資本の影響下に置こうとしました。
経済支配を目的としている側面が強く、第2号とセットの内容といえます。
第4号:中国沿岸を第三国へ渡さない
日本以外の列強へ新たな権益を与えないという内容です。
一見中国保護にも見えますが、実際は他国からの干渉をブロックし、日本の優位を守ることが目的でした。
第5号:内政干渉
隠すつもりの無いほどの内政干渉を認めるよう迫った内容です。
これが激しい反発を招きました。
要求例
- 日本人による政治顧問の配置
- 警察の日中共同管理
- 武器購入優先
- 学校・病院設置権
欧州列強からも、中国を保護国化するのではないか、と警戒されました。
中国の反応
袁世凱政権は非常に苦しい立場でした。軍事力では当然日本が優勢ですが、内容が不利のため、全面受諾すると国内反発が起きかねない状況でした。
そのため、要求内容を海外へ漏らして国際世論に訴える、という時間稼ぎと外交戦術を採りました。
これが成功します。特にアメリカやイギリスが警戒を強め、日本は第5号要求を大きく後退させます。最終的に、1915年5月、中国が一部を受諾するかたちで着地することとなったのですが、この日は、現在において「国恥の日」と呼ばれます。
日本が得たもの
前述の通り、日本は当時の理想を完全に叶えたわけではありませんでした。
獲得
- 山東省権益
- 満州権益延長
- 一部経済権益
撤回
- 第5号要求
目的は一部達成されましたが、外交的代償は大きいものとなりました。
中国への影響
『二十一箇条の要求』は、中国人の民族意識を強く刺激し、五四運動につながりました。
この五四運動は、学生・知識人・市民が参加し、現代にもつながる反日感情の原点ともいわれるほど大規模な抗議運動となりました。
国際社会への影響
アメリカは「門戸開放・機会均等」を重視しており、日本の独占的進出を警戒します。
この対立は後にワシントン会議へつながります。
ワシントン会議では、中国の主権の尊重が確認され、日本は山東返還へ動かざるを得ない状況となりました。
つまり、『二十一箇条の要求』は結果として、一時的には大きな利益を得たものの、長期的には国際的孤立や中国との関係悪化を招いたのでした。
現代語訳
原文はこちら!
帝国要求
第一号
日本国政府と中国政府は、ひたすらに極東における全体の平和を維持し、また、両国間の友好的で善隣的な関係をさらに強固にすることを願って、ここに次の条項を締約する。
第一条(1)
第1条。ドイツが山東省に有していた処分(条約その他によって発生していた全ての権利、利益の譲渡など)に関して、日本政府がドイツ政府と取り決めを実施した際、中国政府は、その全ての事項を承認することを約束する。
第二条(2)
第2条。中国政府は、どのような名目があっても、山東省内またその沿岸一帯の地域や島々を、他国に譲与したり貸与したりしないことを約束する。
第三条(3)
第3条。芝罘(チーフー)または龍口(ロンコウ)と膠州(ジャオジョウ)湾から済南に至る鉄道に連結する鉄道の建設を、中国政府は日本に許可する。
とらちゃ 芝罘も龍口も膠州も済南も全て山東省の都市です。
第四条(4)
第4条。中国政府は、外国人の居住および貿易のために、山東省内の主要な都市をできるだけ早く、そして自ら進んで開放することを約束する。対象の都市は、別途協定によって定める。
第二号
中国政府は、南満州および東部内モンゴルにおける日本の優越的な地位を認めた。これにより、日本政府と中国政府は次の条約を締結した。
第一条(5)
第1条。両締約国(日本と中国)は、旅順と大連の租借期間および南満州鉄道と安奉鉄道のそれぞれの租借期限を、いずれも更に99ヶ年延長することを約束する。
第二条(6)
第2条。日本国臣民は、南満州および東部内モンゴルにおいて、商工業に関する建物を建設することができる。また、農耕に必要な土地の賃借権または所有権を取得することができる。
第三条(7)
第3条。日本国臣民は、南満州および東部内モンゴルにおいて、自由に居住、往来することができる。また、各種の商工業およびその他の業務に従事することができる。
第四条(8)
第4条。中国政府は、日本国臣民に対し、南満州および東部内モンゴルにおける鉱山の採掘権を与えることを認める。その具体的な鉱山については、別途協定にて定めることとする。
第五条(9)
第5条。中国政府は、以下の事項については、事前に日本政府の同意を得なければならないことを承諾する。
(一)南満州および東部内モンゴルにおいて、他国の人に鉄道敷設権を与えたり、他国の人から鉄道敷設のための資金提供を受けたりする場合。
(二)南満州および東部内モンゴルにて得られる各種税収を担保として他国から借款(借金)をする場合。
第六条(10)
第6条。中国政府は、南満州および東部内モンゴルにおける政治・財政・軍事に関して、顧問や教官を必要とする場合には、必ず最初に日本と協議することを約束する。
第七条(11)
第7条。中国政府は、本条約の締結日から99年間、吉長鉄道の管理と経営を日本に委任することを約束する。
第三号
日本政府と中国政府は、日本の資本家と漢冶萍公司(かんやひょうコンス)との間に存在する密接な関係を考慮し、また両国共通の利益を増進するために、以下の条項を締結した。
漢冶萍公司は、中国の大手製鉄会社です。
第一条(12)
第1条。両締約国(日本と中国)は、将来の適当な時期に、漢冶萍公司を日中両国の共同出資による企業とすることを約束する。並びに、中国政府は、日本政府の同意なしに、同会社に属する全ての権利や財産を自ら処分したり、同会社に処分させたりしないことを約束する。
第二条(13)
第2条。日本資本家の債権保護の必要性に基づき、中国政府は、漢冶萍公司に属する鉱山とその周辺鉱山の採掘は、同会社の承諾ある者に限って認めることとする。また、その他同会社に対して、直接的間接的に影響を及ぼす恐れのある措置を取ろうとする場合には、最初に同会社の同意を得なければならないことを約束する。
第四号(14)
日本政府と中国政府は、中国の領土を保全するという目的を確実にするために、ここに次の条項を締結した。中国政府は、中国沿岸の港湾および島々を、他国に譲与したり貸与したりしないことを約束する。
第五号
一(15)
一。中央政府は、政治・財政・軍事顧問として、有力な日本人を雇用すること。
二(16)
二。中国本土に存在する日本の病院、寺院および学校に対しては、その土地の所有権を認めること。
三(17)
三。今日まで、日中間における警察沙汰や事故の発生が多く、また、不快な論争を引き起こしたことも少なくなかったた。そのため、これを機に、必要な地域においては警察を日中合同に再編にするか、または、そのような地域の警察、官庁に関しては日本人を雇用することとする。これは中国警察の刷新と確立を図って行われる。貢献するように。
四(18)
四。日本から一定の数量の兵器の供給を受けるか、または中国に日中合弁の兵器工場を設立し、日本から技師と材料の供給を受けること。
五(19)
五。日本資本家と密接な関係のある南昌-九江鉄道の発展に貢献するため、また南支鉄道問題に関する長年の交渉状況を考慮して、武昌-九江鉄道を連絡する鉄道および南昌-杭州、南昌-潮州を結ぶ鉄道の敷設権を日本に与えること。
六(20)
六。台湾との関係および福建省の不割譲条約との関係を考慮して、福建省における鉄道、鉱山、港湾の設備(造船所を含む)に関して、外国資本を必要とする場合には、最初に日本と協議すること。
七(21)
七。中国において日本人の布教権を認めること。
まとめ
小学校の教科書にも登場する『二十一箇条の要求』。この主張を巡るだけで歴史が大きく動き出しました。
なぜ1915年だったのか、第一次世界大戦の真っただ中に中国に対して提示した理由は既に説明した通りです。この2年後、ロシア革命が勃発。帝政ロシアは崩壊し、ソビエト連邦が誕生します。
ワシントン条約等で中国への干渉が思うようにいかなかった日本。さらに帝政ロシア以上にソ連の南下を警戒する必要が出てくるようになり、より一層中国の領土に対して執着していきます。そして、段階を踏んで、日中戦争、第二次世界大戦と、混沌の時代へと突き進んでいくこととなるのでした。
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