現代語訳
藤村作 編 昭和4『万葉集 : 校訂頭註』上巻 至文堂 国立国会図書館デジタルコレクション
- 万葉集巻5 雑歌 892
- 万葉集巻5 雑歌 893
貧窮問答歌一首并短歌
風雑(まじ)り、雨降る夜の、
雨雑(まじ)り、雪降る夜は、
術もなく、寒くしあれば、
堅塩を、取り嘰(つゞし)ろひ、
糟湯酒(かすゆざけ)、うち畷(すゞ)ろひて、
咳(しは)ぶかひ、鼻びしびしに、
しかとあらぬ、鬚(ひげ)搔き撫でて、
我を除(お)きて、人は有らじと、
誇ろへど、寒くしあれば、
麻衾(あさぶすま)、引きかゝぶり、
布肩衣(ぬのかたぎぬ)、有りの悉ごと、
著襲(きそ)へども、寒き夜すらを、
我よりも、貧しき人の、
父母は、飢ゑ寒からむ、
妻子(めこ)どもは、乞ひて泣くらむ。
此の時は、如何に為(し)つゝか、
汝(な)が世は渡る。
天地(あめつち)は、広しといへど、
我(あ)が為は、狭(さ)くやなりぬる。
日月は、明しといへど、
我(あ)が為は、照りや給はぬ。
人皆か、我(あ)のみや然る。
わくらばに、人とは生(あ)るを、
人並に、我を生(な)れるを、
綿も無き、布肩衣(ぬのかたぎぬ)の、
海松(みる)の如(ごと)、わゝけ下れる、
襤褸(かがふ)のみ、肩に打懸け、
伏庵(ふせいほ)の、曲庵(まげいほ)の内に、
直土(ひたつち)に、藁解き敷きて、
父母は、枕の方(かた)に、
妻子(めこ)どもは、足(あと)の方(かた)に、
囲(かく)み居て、憂へ吟(さまよ)ひ、
竈には、煙吹き立てず、
甑(こしき)には、蜘蛛の巣懸きて、
飯炊(いひかし)ぐ、事も忘れて、
鵺鳥(ぬえどり)の、呻吟(のどよ)ひ居(を)るに、
いとのきて、短き物を、
端截(き)ると、言へるが如く、
苔取(しもと)取る、里長(さとをさ)が聲は、
寝屋處(ねやど)まで、来立ち呼ばひぬ。
斯くばかり、術なきものか、
世間(よのなか)の道。
世間(よのなか)を、
憂しと恥(やさ)しと、
思へども、
飛び立ち兼ねつ。
鳥にしあらねば。
山上憶良頓首謹上
(貧者の問い)
風混じりの雨が降る。それだけでなく、その雨には雪が混じっている。そんな日の夜は成す術もないほどどうしようもなく寒いので、堅塩を取っては舐め、糟湯酒を取ってはすする。そしてひどい咳をしては鼻はびちゃびちゃになる。
不格好に生えているひげを掻き撫でながら、「自分を除いて、優れた人はいないだろう」と誇らしく思う(そんな自分は貧者)。そう思ってもなんたって寒いのだ。麻でできた布団を頭から被り、あるだけの布肩衣を全部重ね着しても寒いのだから。
こんな寒い夜、私よりも貧しい家族は一体どうして過ごすのだろうか。父母は飢えて、そして寒さに凍えているだろうよ。妻子は弱った声で泣いているだろうよ。
私より貧しい者よ。このような日に、あなたはどのようにして家族を養っていくのだ。
天地は広いというが、私から見れば狭いものだ。太陽や月は世界を明るく照らし、草木に英気を与えてくれるというが、私にも照らしてほしいものだ。人は皆そう思っているのだろうか。私だけがそう思っているのだろうか。
人というのは、たまたまこの世界に生まれたものであり、そして同じような生活をしている。私はどうだろうか。この世界に生まれたにも関わらず、綿も入っていない海松(みる)のように破れ広がった布肩衣を着て、ぼろ切れの布を肩に懸けている。
そして、潰れたような、傾いたみすぼらしい家に住んでいる。土の上に直に藁を敷いて、父母は枕の方、妻子は足の方に寝て、私を囲むようにして過ごしている。
悲しみ呻く日々である。竈の煙は立つことがなく、甑には蜘蛛の巣がはっており、飯を炊くことすら忘れてしまった。生きるために必要なことも忘れて、ぬえ鳥が物悲しそう鳴くように、我々もこの窮状を悲しく思い泣いている。
まさしく、『短きものを端切る(元々短いものを更に切って短くなること。困窮している上に更に困窮する。の意)』と言えよう。そんなことは露知らず、里長は、「税を納めろ。」とムチを持ってやってくる。その声は寝床まで聞こえてくるのだ。
ああ、人生というものは、これほどにまで、どうしようもないものなのだろうか。
(山上憶良詠める)
世の中というのは、悲しかったり辛かったりすることも多い世界である。そう思ったとしてもこの世界から飛んで逃げることはできない。私たちは鳥ではないのだから。
山上憶良頓首謹上
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