解説
「渠」と「時雄」の違い
簡単に言うと、武雄の生活に芳子が影響するかしないか、によって変わると思われます。「渠」は「みぞ」という意味があり、鬱積の状態を表していたのではないでしょうか。逆に「時雄」表記の約3年間は、本来の姿で生活できていた状態だったのでしょう。中盤で恋人の田中に翻弄されますが、それでも芳子のことを思い、師として保護者として尽力していました。
明治時代の女性観
芳子は明治時代の女学生としての長所も短所も兼ね備えた女性として描かれています。詳しくは、原作を読んでいただけたらと思います。
- 容姿端麗で美しいこと
- 理想を掲げ、それに向かって努力すること
- 高貴な家柄で虚栄心の高いこと
明治時代は、江戸時代まで主流だった男尊女卑に代表される儒教を否定し、近代化に伴い女性の学校教育、社会進出が始まった時代です。
そんな新しい時代、明治時代の代表的な女性像として芳子は描かれています。「自分の手で目標を掲げ自由に行動することが認められた社会に生きる」といった新しい時代の女性像をまさに体現した人物です。そのため、流行、再先端を意味する「ハイカラ」という単語が芳子の為人を表す単語として頻繁に出てきます。
芳子と細君の対比表現
芳子は夜も自由に出歩く様子が描かれており、江戸時代では考えられなかったような常識破りの行動をしばしば見せています。これは先に書いた通り、「ハイカラ」な行動の一例ですね。そんな芳子は細君と口論になりました。
時雄の親世代は江戸時代に生きた人である可能性が高く、その世代の習慣が作中の現在でも多少影響していることは容易に想像できます。その証拠として妻の細君は従順な性格の女性として描かれています。本文中にも武雄は細君の性格を「温順と貞節により他に何物をも有せぬ」と言及しました。
つまり、古風な細君と今風な芳子の時代を超えた対比表現です。互いの世代の価値観がぶつかり合うジェネレーションギャップの典型例といえます。
明治、大正期の文学には、社会変化による苦悩や生活の変化が著されている作品が多く存在します。『父帰る』は特にその様子を上手く表現されており、「男性と経済」に関する社会変化の影響が見受けられます。こちらは日本史の教科書にも登場する作品なので、是非読んでみてください。

運命の残酷さ
時雄はしばしば現実の辛さに懊悩し、世の中の残酷さを痛感します。
- 恋人にできない現実
- 田中に芳子を奪われた現実
- 意に反し二人の恋の応援者になった現実
などが挙げられます。
時雄の苦悩を中心として終盤まで描かれていましたが、最後には、時雄だけでなく、芳子や田中も運命の残酷さに直面しています。特に芳子に関しては、運命に抗うこともできないまま呆然とするシーンがありました。あれだけ自由な行動をしていた芳子が大人たちに言われるがままにしか動けなかったのですから、その衝撃はよほど大きかったことが想像できます。
注意すべきは、この時であっても時雄は苦悩から解放されていないことです。芳子を田中から引き離したとはいえ、自身の生活が3年前に戻るという運命を避けることができないからです。時雄は芳子に出会ってからの数か月間を除き、最後まで運命に対し思い悩みました。
田山花袋とモーパッサン[沢2009]
本記事では出していませんでしたが、作中において、モーパッサンという自然主義作家のフランス人作家の作品が数度登場します。この人物は花袋ないし日本の自然主義文学の方向性を決定づけた人物として有名です。
花袋はモーパッサンの本を明治34年(1901年)に入手したと言われており、入手の前には実際にモーパッサンと接触していることが分かっています。モーパッサンの翻訳は『国民之友』や『文学界』で数十篇が翻訳されており、戸川秋骨の翻訳集『西詞余情』によると、「モーパッサンの翻訳は高等学校の雑誌や一部有望の読書家の間で転読されていた。」といいます。その影響力の大きさが窺えますね。
花袋の自然主義の方向性を決定づけた作品は、『Bel-Ami(ベラミ)』という作品です。主人公が美貌と策略を用いて女性たちを利用し、上流社会に上り詰めて栄華を極めるという内容で、花袋これを読んで「不健全なる作品の中にも猶驚くべき人生の新趣の発展せられたるを認めて慄然として肝を寒うせざるを得ず。」と告白しました。花袋は外国文学受容を積極的に行い、その結果、『蒲団』に関わらず他の作品においても外国文学の影響が現れることとなったのです。
参考
沢豊彦2009『田山花袋の「伝記」』星雲社
五井信2008『日本の作家100人 田山花袋-人と文学』勉誠社
まとめ
田山花袋の経歴を見ていると、『蒲団』の世界が実体験に基づいて作られたものだとよく分かります。ただ、この作品の面白い所はそれだけではありません。江戸と明治の女性観の違いや男が異性に対して苦悩する描写、望んでない方向に物事が進むリアルさ、そもそも既婚者でありながら、ましてや未成年に恋するタブー。
物語全体は起承転結をテンポよく踏んでいるのが分かりますが、主人公である時雄はそれに付いていくというより、振り回されている書き方がまた文学的にも優れている点だと思いますね。
前の記事へ << | 次の記事へ >> |