登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
15『佐藤庄司の旧跡』では、
24 月の輪の渡し碑
25 瀬上宿
26 大鳥城跡
27 佐場野古屋
が該当します。
原文
月の輪のわたしを越て瀬の上と云宿に出づ
佐藤庄司が旧跡は左の山際一里半計に有
飯塚の里鯖野と聞て尋々行に丸山と云に尋あたる
是庄司の旧館也
麓に大手の跡など人の教ふるにまかせて泪を落し
又かたはらの古寺に一家の石碑を残す中にも
二人の嫁がしるし先哀也
女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かな
と袂をぬらしぬ
堕泪の石碑も遠きにあらず
寺に入て茶を乞へば爰に義経の太刀弁慶が笈をとどめて什物とす
笈も太刀も 五月にかざれ 紙幟
五月朔日の事也
現代語訳
月の輪の渡し(現福島県福島市)を越えて、瀬上宿(せのうえ。奥州街道第五十四番目の宿)に出た。
佐藤庄司(佐藤基治さとうもとはる。信夫荘司であった。藤原秀衡の家臣で、大鳥城を居城としていた。)の旧跡(大鳥城跡のこと)は左にある山際を一里半ほど行ったところにある。
佐藤庄司は、佐藤基治(さとうもとはる)のことです。信夫荘の司でもありました。
藤原秀衡の家臣で、大鳥城を居城としていました。
そこは飯坂の里の佐場野というと聞いて、尋ね行くと、丸山というところに行きついた。
原文の「鯖野」は、佐場野のことでしょう。また、佐場野の所在から考えるに、里の名は「飯塚」ではなく「飯坂」が正と思われます。
丸山は、大鳥城跡がある地名です。
これが庄司の館跡である。
「麓に大手門の跡がありますよ。」
など、人が教えるままに訪れては涙を落とした。
また、傍らの古寺には、佐藤一族の石碑が残っていた。
その中でも、庄司の子である継信・忠信の妻の石碑に何よりも先に哀愁を感じた。
女ながらも気丈な人だったとの評判が語り伝わっていることを思っては、袂を涙で濡らした。
継信・忠信の妻に関するエピソードは見つけることができませんでした。
堕涙の石碑も遠い所、遠い時代の話でもないと思う。
晋の時代、襄陽守であった羊祜の徳を慕い建てられた石碑があるのですが、人々はこれを見ると感涙したといいます。それが由来で、堕涙の石碑と呼ばれるようになりました。
寺に入って茶を頼んだ。ここでは、義経の太刀や弁慶の笈(おい。僧侶が背負う箱のこと)を所蔵し宝物としているという。
笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟
弁慶の笈も義経の太刀も、端午の節句には紙幟(かみのぼり)として立てようよ。
これは、五月一日の事であった。
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