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雨月物語【現代語訳#3浅茅が宿】古典の最高傑作!妻の愛憎が残したメッセージ

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「今までこのように暮らしていたと思うと、どれほどの年月を向こうで過ごしただろうよ。ここを去った年の京にいた時、鎌倉での戦乱聞いた。御所軍は敗れ、下総へ退いて防戦となったところを管領(山内上杉房顕。上杉憲忠の死後の関東管領)がこれを激しく攻めたと。これを聞いた翌日、雀部とは別れ、8月初めに京を発って木曽路に来たが、多くの山賊に取り囲まれて衣服から金銀まで残らず奪われてしまったのだ。命だけはこうして辛うじて助かっている。その時の里人が語るのを聞けば、東海道も東山道も全ての道に新たな関所が設けられていて、人の足を止めているとのことだった。また、それより以前には、京から節刀使(詳細不明内容から東常縁と分かるが、そのような役職に就いていた記録はない)が下って、上杉勢に味方し、下野へと出陣されたと聞いた。

『この国周辺はとっくに焼き払われて、馬の蹄の隙間も無いほどの戦陣となっている。』

というのを聞いて、

『今や故郷も灰塵と化していよう、妻は海に沈んでしまっただろうよ。』

とひたすら思い、足を留めて再び上洛してからというもの、人に養ってもらいながら七年を過ごした。近頃、そぞろに(何となく)故郷が懐かしくなって、せめてその跡だけでも見たいと思って帰ってきたのだ。それがなんと、こうして生きていたとは、ゆめゆめ思いもしなかったよ。これは巫山の雲か漢宮の幻か(※2)。」

と繰り言を果てしなく続けた。

とらちゃ
とらちゃ

※2 李白『清平調(その一・二)』にみられます。該当箇所の訳はこうです。

『巫山(ふざん)での男女の逢瀬は切ない。前漢の宮廷にいる美女の中に、この美しさに似る人はいるでしょうか。それはあなたですよ。』

妻は涙を堪えて言った。

「一度あなたと離れて暮らすことになって後、頼りにしていた秋が来る前に恐ろしい世の中となってしまい、里人は皆家を捨てて、海を漂ったり山に隠れたりしてしまいました。たまたま残った人たちは、その多くが虎狼の心(残忍な心)を持っており、私がひとりになったのをよいことに `言葉巧みに誘惑してきましたが、玉が砕けて瓦になってまで(穢されてまで。瓦は価値のないものの例えとして多く使われる)天寿を全うはしまい、と思い何度も辛苦を忍んで秋を待ちました。しかし、天の川が秋を告げたとしてもあなたは帰って来ません。冬を待っても春を迎えても便りはありませんでした。いっそのこと、上洛してあなたを探しに行こうかとも思いましたが、丈夫(大人の男性)でさえ許されない関所をどうして女が越えられましょうか。雷で折れた軒端の松にすら頼りないこの家(待ってもどうしようもない家)で、狐や鵂鶹(きゅうりゅう。フクロウのこと)を友として今日まで過ごしてきました。今は長い恨みも晴れ晴れとしていて嬉しく思います。逢える日を待つ間に恋い焦がれながら死んでいたら、人知れず怨霊となっていたことでしょうね。」

と、またしゃくりを上げて泣いた。

「夜は短いから。」

と言い慰めて共に寝た。障子の紙が松風をすすり鳴らす夜。その涼しさを肌で感じながら、長い旅路を労わるように熟睡したのだった。

五更(ごこう。午前5時ごろ)。空が明けゆく頃に、夢うつつでありながら何となく寒さを感じたので、衾(ふすま。布団のこと)を被ろう手探りしていると、何かが物に軽く触れ合っている音がして目を覚ました。顔に冷たい何かが零れているのを感じて、雨漏りでもしているのか、思って見ると、屋根は風にめくれて白みを帯びた有明の月が見える。家は戸が有るような、はたまた無いような様子であった。

簀垣(すがき)は朽ち廃れており、その隙間から荻や薄が高く生えているのが見える。朝露が零れる様子は、袖を絞れるほどであった。壁には蔦が延びて架かり庭は葛に埋もれて、秋でもないのに野良のような家となっていた。

それにしても寝ていた妻はどこへ行ったのか、姿が見えない。狐などの仕業だったのか、とも思ったが、このように荒れ果てはいるが昔住んでいた家に違いない。広く造った奥間の渡りから端の方、さらに米蔵まで自分好みの見取りである。呆然として足の踏み場さえ見失いそうになったが、今の状況をよくよく考えてみると

「妻は既に死んでおり、今は狐や狸の棲み処となっているから、このような野良の家となっているのか。怪しい鬼があの人の容姿に化けて見せつけてきたのか。もしや、自分を慕う魂が帰り来て、語り合ってくれたのか。これら思い事、起きても何一つ不思議は無い。」

と腑に落ち、涙は少しも出なかった。

我が身だけは昔のままだと思いながら歩き回ると、昔閨房(けいぼう。寝所)だった所に来た。簀子の床が払われており、土が積まれて塚が設けられていた。雨露を防ぐように拵えてまでもあった。

「夜の霊はここから出たのか。」

と恐ろしく思うも懐かしい。並べられた水向(みずさし。水差しのこと)の中には、端を削った木があり、それに貼られている那須野紙(なすのし。紀伊名産の和紙)は非常に古びていた。文字が消えかかって所々ぼんやりとして読めないが、正しく妻の筆跡であった。法名も年月も記されておらず、三十一字に最期の思いが哀れに書かれていた。

さりともと 思ふ心に はかられて

世にもけふまで いける命か

それにしても、愛する人の私を思う言葉に騙されて、

よく今日まで生きたことよ。

ここで初めて妻の死を確信し、大声で叫び、床に倒れ伏した。それにしても、夫でもあろう人が、何年何月に臨終を迎えたのかも知らないことの呆れること。誰か知っているかもしれない、と思い立ち、涙を堪えて立ち上がり外へ出てみると、日は既に高く昇っていた。まず近くの家に行って家主に会ったが、昔見たことのある人ではなかった。逆に

「どこの国の人だ。」

と聞かれた。勝四郎は挨拶をして言った。

「隣の家の主でしたが、生計を立てるために京で7年暮らしておりました。昨夜帰ってきましたが、既に荒れ果てていて人も住んでいませんでした。妻も死んでしまったようで、塚が設けてあったのは見つけましたが、いつの年に妻がこの世を去ったか分からずに悲しんでおりました。ご存じであればお教え願いたい。」

主人の男は言う。

「哀れな話をお聞かせになりますな。私がここに住むようになってまだ一年ばかりなので、それより遥か昔にお亡くなりになったと思います。隣の家に人が住んでいた頃の話は存じ上げません。この里に昔からいた人は皆、戦乱初期に逃げてしまい、今住んでいる人のほとんどは他から移って来た人です。ただ一人翁がおります。その人は昔から住んでいる人だと見受けられます。時々あなたの家に行き、亡くなった人の菩提を弔っておられるようですので。その翁なら、いつ亡くなったかご存じでしょう。」

と言う。

勝四郎は言う。

「それで、その翁が住んでおられる家とはどこにあるのですか。」

「ここから百歩ほど浜の方に進んだところにある小さな庵にお住まいです。麻をたくさん植えている畑の主でもあります。」と

教えてくれた。勝四郎は喜んでその家へ行ってみると、の驚くほど腰の曲がった70歳ほど老人が、庭竈の前に円座を敷いて茶をすすっていた。翁は勝四郎を見るや否や

「お主、なぜこんなにも遅く帰って来たのだ。」

と言う。見れば、話に聞いた老人は、この里に長く住んでいる漆間の翁という人であった。

勝四郎は、翁の長寿を祝い、次に、上洛したものの不本意ながら向こうに逗留した話から、昨夜の奇怪な体験までを細かく語り、翁が塚を築き弔ってくれたことに感謝を告げながら、止めどない涙を流した。翁は言う。

「お主が遠くへ行った後、ここは夏頃から武器を振るい始めることとなった。里人はあちらこちらに逃げ、若者どもは兵に召集され、桑畑や田は思いがけず狐や兎の出る草むらとなってしまった。ただお主の妻だけは烈婦(強い意志を持つ女性)で、お主の秋に帰るという約束を守らんと家に残ったのだ。わしもまた足が悪くて百歩歩くのでさえ困難だったから家に深く籠って外へは出なかったよ。あの家は、一時期は木霊などという恐ろしい鬼の住処となってしまっていたが、そんな所に若い女が矢武(気丈)に住み続けていたのだ。この人生で見てきた中で最も感動した出来事じゃった。秋が去り春が来て、その年の8月10日に亡くなった。あまりにも可哀そうなので、わしの手で土を運んで棺に納め、女が臨終に残した筆の跡を塚の印として、蘋繁行潦(『詩経』「采蘋(さいひん)」の一部。)粗末ながらも心ばかりはと思って祀らせてもらったが、わしはもともと字を知らないので、その年月を記すことができなかった。寺院も遠く、戒名を授かる術も無く5年が過ぎた。今話していた怪異だが、それは意志の強いお主の妻の魂がやって来て生前の恨みを語ったのだろうよ。もう一度あそこへ行って、懇ろに弔いなさい。」

そう言って杖を突いて勝四郎の前に立った。共に塚の前に伏して、声を上げて嘆きながら、念仏を唱えて夜を明かした。

眠れない夜、翁は語った。

「わしの祖父の祖父さえ生まれていない遥か昔のことよ。この郷に真間の手児女という、とても美しい娘子がいた。家が貧しかったので青衿(せいきん。青い襟のこと)の麻衣を着て、髪さえとかず、履物さえも履かずにいたが、顔は望月の夜の満月のようで、笑えば艶やかで美しい花のようであった。綾錦に身を包んだ京女臈(みやこじょろう。都の美しい女性のこと)にも勝っていたから、ここの里人はもとより、京の防人たちや隣国の人までも言い寄ってくる様で、手児女を恋い慕わぬ者はなかった。じゃが、手児女はそれに心悩ませ思い沈み、『多くの人(結婚相手を除く皆)の気持ちには報えません。』と、この浦曲(うらわ。入江のこと)の波に身を投げたのだ。このことは世の哀れな例として、昔の人の和歌にも詠まれながら語り継がれていったよ。わしが幼い頃に母がしみじみと語ってくれて知ったのだが、この話でさえ本当に哀しい話だと思いながら聞いていたのに、お主の亡き妻の心を思うと、当時の幼心に増して悲しかったよ。」

語る語る涙が流れ、ついには堪えられなくなっていた。老いると何事も堪えられなくなるのだ。勝四郎の悲しみは言う必要もない。

この話を聞いた田舎の人は、思ったことを不器用ながらも詠んだ。

いにしへの 真間の手児奈を かくばかり

恋ひてしあらん 真間のてごなを

既にこの世にいない真間の手児奈(万葉集によく歌われた美女の比喩)を、

これほどまでに恋い慕っているとは。なあ、真間の手児奈。

心の中で沸き上がった僅かな感情さえ口に出さないのは、感情をよく口に出す人の心よりも情緒誘われるものである。これは、その国にしばしば通う商人が伝え聞いた話であった。

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