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【雨月物語を読む#4夢応の鯉魚】鯉に転生ってコト!?僧が見た世界とは

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プロフィール帳

『雨月物語』

時代:江戸

作者:上田秋成

概要:江戸後期に作られた怪談・怪異本

6

オススメ度

2

日B重要度

4

文量

3

読解難易度

 

解説&一覧

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【雨月物語】怪談と言ったらこれ!全話あらすじと解説まとめ プロフィール帳 『雨月物語』 時代:江戸 作者:上田秋成 概要:江戸後期に作られた怪談・怪異本 ...

第四『夢応の鯉魚』

その昔、延長(923~931)の頃の話である。三井寺(園城寺とも。天台宗延暦寺から独立した天台寺門宗の総本山)に興義という僧がいた。絵に長けていることで世間にその名が知られていた。描くのは、仏像・山水・花鳥に留まらない。寺の勤めに余裕がある日は、湖に小舟を浮かべて網引きや釣りをする泉郎(あま。海女というより漁夫を指す)に銭を与えて、獲った魚をもとの江に放ち、その魚が躍るように泳ぐのを見ては描いていた。このようなことを数年していたら、その道に細妙(くわし)くなったのである。

ある時、絵に心を凝らしていたら眠気に誘えわれた。夢の中で江に入り、大小の魚と共に泳いだ。目が覚めるとすぐに見たままのことを描き壁に貼り、その作品を『夢応の鯉魚』と自分で名付けた。興義の絵の巧みさに感じ入り、彼の作品を欲しがる人たちが現れて前後を争う(我先にと争う)までになった。興義は、花鳥山水の絵に関しては欲しい人の希望に任せて与えたがこの鯉魚の絵は強く惜しんで、人々に戯れて言った。

「命を殺し新鮮なものを食う凡俗のお主らに、法師が養っている魚を与えるわけがなかろう。」

と。その絵は、言葉とともに天下に知れ渡った。

ある年、興義は病に罹って7日後にゆっくりと目を閉じ、息絶えてしまった。徒弟や友人らが集まって嘆き、彼の死を惜しんだが、心臓のあたりが微かに温かい。

「もしや」

と思い死体を座って囲み見守ること3日、手足が少し動き始めた。忽ち長嘘(ためいき。溜息のこと)を吐いて目を開き、覚醒したような勢いで起き上がっては、人々に向かって言った。

「私は意識を失って長い。この状態で何日を過ごしたのだ。」

弟子たちは言う。

「師は、3日前に息絶えました。寺中の人々をはじめ、日頃親しく語られた殿原(とのばら。方々の古称)もいらして、葬儀の準備も進んでおりましたが、師の心臓が温かいのを見て、棺に納めないで、このように見守っておりました。そして今、このように蘇りなさって『よく葬儀をしなかった』と喜び合っていたのです。」

と。興義は頷いて言う。

「誰でも良い。一人、檀家の平の助の殿の館に行って伝えてくれないか。『法師は不思議なことに生きております。あなたは今、酒を酌んだり新鮮な膾(なます)を造らせたりしているとは思いますが、しばらく宴は中止して、寺にお越しください。珍しい物語をお聞かせしましょう。』と。あと、人々の様子を見てきてくれ。私の言葉と全く違わないだろうからね。」

使者は変だと思いながらも檀家の館に行き、表でその由を伝えて館に入った。窺いながら中を見ると、檀那の平の助をはじめ、令弟(れいてい。弟の敬称)の十郎殿や、下人の掃守(かもり。掃除を担当する職名)らが酒を酌み交わしていた。

確かに、師の言葉に違わない。使者は不思議に思った。

これを話すと、平の助の館の人々は非常に怪しく思い、まず箸を止め、平の助をはじめ、十郎殿は掃守を連れて、共に寺を訪れた。興義は頭をあげて寺に足を運んでくれたことを感謝し、平の助も蘇生したことの祝いの言葉を述べた。

興義はまず質問を投げた。

「平の助殿よ、差し支えなければ私の話を聞いてくださいませぬか。まず、あの漁夫、文四に膾を造らせましたね。」

平の助は驚いて

「確かに、そのことはありました。どのようにして知ったのですか。」

と答える。

「かの漁夫は三尺(約30cm)ほどの魚を籠に入れてあなたの屋敷に入りました。あなたは賢弟と南面の所で囲碁をしておられた。掃守は傍らに控え、大きな桃の実を食べながら奕(えき。碁を打つこと)の手を見ていた。漁夫が大魚を携えてやって来たのを喜び、高坏に盛った桃を漁夫に与え、さらに杯も与えて三献(さんこん。酒宴の作法)に従ってそれを勧めた。その後、鱠手(なますで。膾を調理する人。要するに料理人)がしたり顔で魚を取り出して膾にした・・・。ここまでは私の言うことに相違ないはずです。」

平の助のところの人々はこの事を聞いて、ある人は奇妙に思い、ある人は心惑わせ、このように詳しく語ることができる理由について頻りに尋ねた。興義は語る。

「私はこの頃病に苦しんでいた。耐え難い苦しみのあまり、死んだことにも気づかずに、熱い臓を少し冷まそうと杖に寄りかかりながら門を出ると、私は病もやや忘れたらしく籠の中の鳥が雲間に飛び帰る心地がした。山となく里となく進みに進むと、江のほとりに出た。碧い湖水を見るなり夢心地のまま、水浴びして遊ぼうと思い、そこに衣を脱ぎ捨てて、身を躍らせて深みに飛び込んだ。あちらこちらに泳ぎ回っていたあの感覚は、幼い頃から水に親しんだわけではないが、それを思い出させるようで、心ゆくまで戯れた。今思えば、愚かな夢心地でしたがね。人が水に浮かぶ楽しさは魚が快く泳ぐ楽しさに及ばない。ここで私は、魚が遊泳するのを羨む感情が湧き起こったのです。傍にいた大魚が私に言いました。『師の願いはいとも容易いことですよ。お待ちください。』とね。そして、姿が見えないほどの水底へ向かったと見るや否や、しばらくして冠装束を着た人が、その大魚に跨り、多くの亀や魚を率いて浮かんできて、私に向かって言いました。『海若(わたつみ。海の神)より詔です。老僧よ、あなたはかねてより放生の功徳を多く積んでいる。今、江に入り魚と泳ぎ魚と戯れてもらいたい。その権利があるとして、ここに金鯉の服を授ける。海若はあなたに水府(すいふ。竜宮城を指す)の楽しみをお与えくださったのだ。ただし、餌の香ばしさに眩み、釣り糸にかかって身を滅ぼされぬよう。』と。言い終わって去っては、姿が見えなくなった。不思議に思い振り返って背中を見れば、いつの間にか金色の鱗を纏っており、一匹の鯉と化していたのです。ただ私はこれを奇妙なことだと思わず、尾を振りヒレを動かし心のままにあちこち泳ぎました。まず、長等山(ながらやま。現滋賀県の比叡山に連なる山)の山おろしに荒れ立つ波に身を乗せて、志賀の(琵琶湖のこと)入り江のほとりで遊んだ。着物の裾を濡らして行き交う(※1)道行く人に驚かれて、高く聳える比良の山々(比良山地のこと。比叡山ではない)の影映る深い水底に潜ろうとしたが、堅田(琵琶湖西岸)の漁り火に夢現のような心地で引き寄せられた。ぬば玉の夜(真っ暗な夜)の水面に映る月が鏡山(現滋賀県野洲市に位置する)の峰まで澄み渡り、数多の港に八十隈(やそくま。ここでは影を指す。もとは多くの入り江を指す。港との縁語)が見られなかったその風景は趣深かった。沖津島山(詳細不明)や竹生島(ちくぶじま。琵琶湖に浮かぶ島で、その中でも神格が高い。「日本三大弁才天」の1つとされる)の神社の朱い垣根が波に映っているのに驚いて、伊吹山からの山おろしの風に乗って朝妻(琵琶湖北西岸の地名。当時水路の重要拠点であった)の渡し舟が漕ぎ出れば、夢のような幸せな時から目が覚めて、矢橋(やばせ。琵琶湖東岸の地名。朝妻からの終着点)の渡し守の櫂を逃れつつ、瀬田川(琵琶湖から流れ出る唯一の川)の橋守に何度か追われた。日が暖かい時には浮かび、風が荒い時には底の見えない千尋の水底で遊んだ。そうしているうちに急に飢えて食べ物が欲しくなったのだが、あちらこちらを漁っても得られなかった。狂おしく食べ物を求めていると、直後、文四が釣り糸を垂らしているところに会いました。その餌は非常に香ばしかった。河の神(海若)の戒めを守って『私は仏の御弟子だ。しばし食を得られなかったからといって、どうして餌と分かっていながらそれを飲み込めようか。』と思い、そこを去った。しかし、しばらくすると飢えはますますひどくなったので『もう堪えられない。たとえこの餌を飲み込んだとしても、やってしまった、と思うような結末になりはしないだろう。もともと彼とは見識ある者同士だ。何も憚ることなどない。』と重ねて思い、ついに餌を飲んでしまった。文四は素早く糸を引いて私を捕まえた。『これはいったい?おい、どうするつもりだ!』と叫んだが、彼は全く聞こえていないようなしたり顔でした。葦の間に舟を繋ぎ、縄で私の腮(さい。顎のこと)を貫いて籠に押し込んであなたの屋敷の門に進み入ったのです。あなたは賢弟と南面の所で碁を打って遊んでいらっしゃいました。掃守は傍らに控えて桃の実を食べていました。文四は持ってきた大魚を見て人々は大いに感心していましたが、この時私は人々に向かって声を張り上げたのです。『皆様は興義のことをお忘れになったのですか。お許し下さい。寺にお帰しください。』と。何度も叫びましたが、人々は知らない風で私を歓迎し、ただ拍手してお喜びになっていました。鱠手は、まず左手の指で私の両目を強く固定し、右手に研ぎ澄ました刃物を取って、まな板にのせました。まさに切ろうとした時、私は苦しさのあまりに『仏弟子を害する例がありますか。助けよ、助けよ。』と大声を上げて泣き叫びましたが聞き入れられず、ついに切られる!と思った時に目が醒めたのです。」

と語った。

※1 『万葉集』柿本人麻呂伝

志賀の浦に 朝なぎしづく かち人の

裳のすそぬらす 行きかひに

志賀の浦の朝凪が、徒歩で行き交う人の裾を濡らしているよ。

その往来の中で――。これは出会いと別れか――。

人々は非常に感じ入り、そして奇妙に思った。師の話について

「魚の口が動くのを見ましたが、話に言えば叫んでいたのでしょうか。魚は全く声を出すことはありませんでしたよ。このようなことを目の当たりに見ていたとは、本当に不思議です。」

と思い、従者を屋敷に走らせて、残った鱠を湖に捨てさせたのだった。

興義はこの出来事により病が癒えて、遥か後に天寿を全うした。臨終に及び、興義は描いた数枚の鯉魚の絵を手に持って湖に散らしに行った。すると、描いた魚は紙を離れて水に泳ぎ戯れた。これによって、興義の絵は世に伝わらなかった。

弟子の成光という者がいた。興義の神妙な能力を継承したことで当時名を知られていたのだが、成光が閑院殿(詳細不明)の障子に鶏を描いたところ、生きている鶏がこの絵を見て蹴った、という話が古い物語に載っている。

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