天を仰ぎ地を叩き泣き悲しみ、
「我も共に逝くぞ!」
と物狂いするのを、彦六が色々言って慰めた。とはいえこのままにしてはおけないので、亡骸を荒野の煙にし、骨を拾い塚を築いて卒塔婆を立て、僧を迎えて懇ろに弔った。正太郎は俯いて黄泉へ向かう袖を偲んだが、招魂の術を成功させるすべなど無い。天を仰いで故郷を思ったが、かえって黄泉より遠くに思われた。
進もうにも橋は無く、退こうにも道を失い、昼に臥しては、夕に塚に手を合わせに行く日々を送った。塚を見れば、早くも草が茂っており、虫の声が何と無く悲しく響いていた。
この寂しい秋は身一つか、と思っていると、天の雲の向こうにも同じ嘆きがあるらしく、並んで新しい塚ができていた。そこへ参りに来た女が、世にも悲しげな面持ちで、花を手向け水をかけているのを見て、
「ああ哀れなこと。若い方がこのような寂しい荒野を彷徨っておられるとは。」
と言うと、振り返って、
「私は毎晩ここへ参っていますが、貴方は必ず私よりも先にいらっしゃいます。忘れ難いお方とお別れになったのでしょう。お心をお察しすると悲しくなります。」
と言って静かに泣く。
正太郎は言う。
「その通りでございます。十日ほど前に愛しい妻を亡くしました。私はこの世に残って寄る辺のない日々を送っておりますので、ここにお参りに来ると少しだけ心が晴れるのです。あなたもそうなのでしょう?」
女は言う。
「このようにお参りしているのは、仕えていた主人のお墓で、いついつの日にここに葬りました。家に残された奥様は非常にお嘆きになって、それが原因でこの頃重い病に罹ってしまいましたので、こうして私が代わりにお参りし、線香や花を持ってきているのです。」
と。正太郎は
「刀自の君(奥様のこと。刀自は奈良時代などに使用された、女性を表す語)が病気になるのも尤もなことです。ところで、そのご主人とはどのような方で、お住まいはどちらなのですか。」
と尋ねると、女は
「お仕えしていた主人はこの国では由緒あるお方でしたが、讒言によって領地を失い、今はこの野原の隅にひっそりと住んでいました。奥様は隣国まで噂になる美人ですが、この方が原因で家や領地を失ったのですよ。」
と教えてくれた。この話を聞いて正太郎は浮気心がでてきて、
「さて、その奥方が寂しくお住まいになっているという家はここから近いのですか。お訪ねして、同じ悲しみを語り合って互いに慰めたいのです。連れて行ってください。」
と言った。
「家はあなたがやって来た道から少し入った所にあります。あての無い人ですので、時々お越しください。人を待ち侘びていらっしゃるはずです。」
そう女は言って、前に立って歩き始めた。
二町あまりを歩くと細い道があった。そこからさらに一町ばかり歩くと、薄暗い林の奥に小さな草庵があった。竹の扉は古びており、明るく射し込む七日あまりの三日月がすぐ傍の庭を照らすので、家の荒れた様子がよく見えた。仄かな灯火の光が窓の紙(障子)から漏れている様子が物寂しい。
「ここでお待ちください。」
と言って女は中へ入っていった。苔むした古井戸の傍に立って家の方を見ていると、唐紙と格子の僅かな隙間から、吹き揺れる火影に黒い棚がきらめいていて趣深く思われた。
女が出てきて
「お訪ねの旨を申し上げましたら、奥様は『お入れなさい。几帳越しに語り合うことにいたしましょう。』と仰って、端にある部屋へ移動なさいました。ですので、そちらにお行きください。」
と言って、前庭を廻って奥の方へと案内してくれた。二間の客間の障子を人が入るくらいに開けると、低い屏風が立ち、その横からは古い衾の端が覗いていた。女主人がそこにいると分かった。正太郎はそちらに向かい、
「私も愛しい妻を亡くしました。重い病に罹っていると伺いましたが、同じ悲しみを語り合って慰めたいと思い、推して参りました。」
と言った。すると女主人は屏風を少し引き開け、
「これは珍しい。このようなところでお会いしますとは。辛かった報いを思い知らせてやりましょう。」
と言うので、驚いて見ると、故郷に残した磯良ではないか。顔色はひどく青ざめており、たゆんだ目から放たれる眼光はすさまじく、自分を指した手は青くほっそりとしていた。正太郎は恐ろしさのあまり
「わあ!」
と叫んでは倒れて気を失った。
しばらく時間が経って、正太郎は正気を取り戻した。細く目を開いて見ると、見ていた家はもともと荒野にあった三昧堂(寺にある複数のお堂の総称)で、黒い仏像だけが立っていた。遠くの里から聞こえてくる犬の遠吠えを頼りに家へ走り帰って彦六にかくかくしかじかと話をすると、
「なにさ。狐に騙されたのだろうよ。心が臆している時というのは、必ず惑わそうとしてくる神が襲ってくるものなのだよ。あなたのような弱い人がこうして落ち込んだ時は、神仏に祈って心落ち着かせるといい。刀田の里に尊い陰陽師がいる。禊をして、厭符(えんふ。魔除けの札)をいただいてきなされ。」
と言うので、彦六を誘って陰陽師の所へ行き、事情を始めから詳しく語って占いを頼んだ。
陰陽師は占い考えて言った。
「災いはすでにその身に迫っていて容易には避けられない。降りかかるより先にその女の命を奪っても怨念はなお尽きぬ。そなたの死は朝夕に迫っている。この鬼が世を去ったのは7日前。よって今日から42日間は戸を閉ざして徹底的に物忌みされよ。我が言う禁忌を守るなら九死に一生を得るが、一時でも過ぎた行いをすれば死は免れられぬぞ。」
と。そして、正太郎に強く教えてから筆を取り、正太郎の背から手足に及ぶまで篆書(てんしょ)のような字を書いた。さらに、朱色でたくさんの厭符に書いてこれを正太郎に与え、
「この呪符を戸ごとに貼って神仏に念じよ。誤っても身を滅ぼすことのないようにな。」
と教えたのだった。正太郎は、恐れと喜びの感情が混ざったまま家に帰り、朱の呪符を門や窓に貼って、徹底的に籠り、物忌みを始めた。
その夜、三更(さんこう。主に古代中国で使われた時刻制度「更制度」による。深夜0時ごろ)の頃、恐ろしい声が聞こえてきた。
「ああ憎い。こんな所に尊い呪符を用意しているなんて。」
と。そう呟き声がしてから再びそのような声を聞くことは無かった。恐ろしさのあまり、長い夜を嘆いた。
ほどなくして夜が明けた。精気が出てきた正太郎は急いで彦六がいる方の壁を叩いて昨夜の出来事を語った。彦六もこのような話は初めてで、陰陽師の言葉は不思議なものだ、と思い、興味が湧いた。その夜は彦六も寝ずに三更の時を待った。松を吹き鳴らす風は物を倒すようで、雨まで降ってきた。普段と違う夜の様子に、正太郎と彦六は壁を隔てて声を掛け合った。
そうしているうちに四更(午前2時ごろ)になった。下屋(したや。屋根の下に母屋と下屋がある。一般に、屋根の低い部分の部屋を指す)の方でさっと赤い光が射してきて、
「ああ憎い。こっちにも尊い呪符を用意しているなんて。」
という声が聞こえた。深い夜にはすさまじく響く。髪も産毛も残らず逆立って、しばらく気を失ってた。
夜が明ければ昨夜の様子を彦六に語り、日が暮れては夜明けを待ち詫びた。この日々は千年の時が過ぎるよりも長く感じられた。あの鬼は毎夜現れては、家の周辺を巡ったり屋根の上で叫んだりした。怒りの声は日に日に凄まじくなっていった。
こうして42日目の夜になった。残すは一夜。これまで以上に慎んだ。そして五更(午前4時ごろ)の空も白々と明けてきた。長い夢から覚めたような気分になり、正太郎は彦六を呼んだ。彦六は壁に寄って、
「どうかしたか。」
と答える。
「厳しい物忌みもついに終わる。しばらく兄上の顔を見ていないので懐かしくなった。この物忌みの月日の憂さ怖さを心ゆくまで語り合いたい。目をお覚ましください。私も外に出ます。」
そう正太郎は言った。彦六は不用意な男なので
「今になってもう何も無いだろう。さあ、こちらへ来てくれ。」
と言った。戸を半分開けてないくらいで、隣の部屋から
「わあ!」
という叫び声が耳を貫き、思わず尻もちをついてしまった。
これは正太郎の身に何かあったな、と思い斧を引っ提げて表の道に出ると、明けたと思っていた夜はまだ暗く、月はまだ天の真ん中の朧月夜に、冷ややかな風が吹いていた。さて、正太郎の部屋は、戸が開けっ放しで当の本人がいない。
「奥に逃げ入ったか?」
と駆け込んで中を見たが、そもそもどこかに隠れるようなことができる住まいでもないので、
「表の道に倒れているのか?」
と探しに出たが、道には物一つ無かった。
「どうなってしまったのだ。」
と奇妙に思いつつ恐れつつ、灯火を掲げてあちらこちらを見回っていると、開いていた戸の脇の壁に、生々しい血が流れて地に伝っていた。しかし死体も骨もない。月明りを頼りに見ると、軒端に何かがある。灯火を掲げて照らして見ると、男の髻(もとどり)であった。それ以外には一切何もなかった。
その時の驚きと恐ろしさというのは、文字で書き尽くせないほどである。夜が明けて近くの野山を探したが、遂に、彼の痕跡は見つからなかった。
このことが井沢家に伝えられると、涙ながらに香央にも告げられた。正太郎が頼った陰陽師の占いは正しかったのだ。また、御釜の吉凶も違わなかった。これは本当に尊いことであると語り伝えられている。
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