さて、快庵禅師は山寺に向かった。山寺は人が留まらないため、楼門は荊の棘に覆われ、経閣(きょうがく。経典などを保管するための堂舎)もむなしく苔生していた。蜘蛛が巣を張って仏像同士を繋いでいた。燕の雛の糞が護摩壇(密教における、護摩木を焚くための炉。要するに、この寺は密教)の床を埋め、方丈(ほうじょう。高僧の居所・寺院の主たる居室)から廊房(ろうぼう。廊下と僧房。僧房は、僧侶が生活する部屋)に至るまで、すさまじく荒れ果てていた。
日が申(さるの方角。西南西)に傾く頃、快庵禅師は寺に入り、錫(しゃく。錫杖のこと)を鳴らし、
「遍参の僧ございます。今夜ばかり宿をお貸しください。どなたかいませんか。」
と何度も叫んだが、返事は全く無かった。
宿は荘主が貸してくれてます。あえてこの山寺を尋ねました。その理由はひとつですね。
すると、眠蔵(みんぞう。仏教用語では潜在能力の意。ここでは寝室)から痩せこけた僧がゆっくりと歩み出てきて、咳びた(かすれた)声で言った。
「貴方はどこへ向かうのにここへ来たのですか。この寺は故あってこのように荒れ果て、人も住まない野良となってしまいましたので、一粒の斉糧(さいりょう。斎戒(修行や法会)に備えて蓄えられている食糧。要するに備蓄米)さえないのです。宿を貸せるような予定もありませぬ。陽が沈む前に、早く里へ出られよ。」
「私は美濃国を出て、みちのく(奥とついているだけあって、陸奥国を指す。時に東北地方全体)へ向かう旅をしています。この麓の里を通ったのですが、山に宿る霊気や水の流れ(霊気と対照的)の趣深さに、思わずここにやって来たのです。日も傾いてしまい、里に下るも遠いので、どうか一夜の宿をお貸しください。」
「このような野良の所は、良くないことが起きることもあります。なので、強いて留めることもできませぬし、日が日なので強いて去れとも言えませぬ。貴方の心に任せます。」
そこまで言って、僧は何も言わなくなった。こちらもも一言も問わず、主の傍に座った。
みるみる日は暮れる。宵闇の夜はとても暗いというのに灯りも付けないので、目の前さえ分からない。耳が冴え、澗水(かんすい。谷間を流れる水)の音が近く聞こえた。主の僧は寝室に戻っていくと、そちらから物音ひとつ聞こえなかった。
視界が奪われているので、五感が研ぎ澄まされている状況です。特に耳が冴えている状況だというのに、僧の方から何も音が聞こえてこないのは、怪しいですね。
夜が更けて月明かりの夜になった。月影は玲瓏(れいろう。清らかで曇りなく精巧な様子)として、照らされていない暗がりはどこにも無い。そんな夜であった。子の刻(23時~1時頃)と思われる頃、主の僧が寝室から出て、慌ただしく何かを探して始めた。見つけることができず、大声で叫んだ。
「禿驢(とくろ。仏教的な罵倒語。クソ禿げ野郎)め!どこに隠れた!このあたりにいたはずなのに!」
と、禅師の前を何度も走り過ぎるのだが、全く禅師に気づかない。堂の方へ駆けゆくかと思えば庭を廻って躍り狂い、ついには疲れて横になり、そのまま起き上がらなかった。
夜が明けて朝日が差すと、主の僧は酔いから醒めたように目を覚ました。禅師が元の場所にいるのを見て、ただあきれた様子で何も言わず、柱にもたれかかって長嘘(ためいきと読む。溜息のこと)をついて黙った。禅師は近くに進み寄った。
「住職よ。何をお嘆きになっているのですか。もし飢えておられるなら、我が肉でも食って腹を満たしてください。」
「貴方は夜もすがら(一晩中)そこにいらっしゃったのですか。」
「眠らずここにいました。」
「私は浅ましくも人の肉を好みますが、いまだ僧侶の肉の味を知りませぬ。貴方は真の仏です。この鬼畜の暗き眼で、活仏(かつぶつ。生き仏)の来迎を見ようとしても見えないのは当然です。ああ尊し。」
そう言って頭を垂れて口を閉じた。
「里人から話を聞きました。貴方は一時の愛欲に精神が乱れ、たちまち鬼畜の罪に堕ちたと。浅ましくとも哀しくとも、前例すら稀なほど、前世と悪い因縁があったのでしょう。夜な夜な里に出て人を害するが故に、付近の里人は心穏やかでいません。私はこれを聞き捨てるには忍びなかったので、貴方を仏道へ導き本来の心を取り戻そうと思って、あえて来ました。貴方は、私の教えを聞きますか。聞きませんか。」
主の僧は、
「貴方は真の仏です。このような浅ましい悪業をすぐに忘れられるような術をお教えください。」
そう答えた。
禅師は言う。
「貴方が聞くというのなら、ここに来てください」
簀子の前の平らな石の上に座らせ、自分の被っていた紺染めの頭巾を脱いで、主の僧の頭に被せ、証道歌(しょうどうか。証道は、会得した悟りを実践すること。その手段として、歌がある)二句を授けた。
江月照松風吹
永夜清宵何所為
川を照らす清らかな月、松に吹く爽やかな風。この清らかな夜は、何のために存在しているのか。
この漢詩は、唐代の禅僧である永嘉玄覚(ようかげんかく)禅師(8世紀)が著した『証道歌(しょうどうか)』の一節です。
「貴方はここから動かず、静かに、この句の意味を探し求めてください。意味が分かった時、自ずと本来の仏心に出会うことができましょう。」
そう懇ろに教えて禅師は山を下った。その後、里人は重い苦しみから逃れることができたが、僧の生死は分からなかったので、疑い恐れて、人々は山に上ることを禁じたのだった。
一年が瞬く間に過ぎた。翌年の冬十月の初旬、快庵禅師は、陸奥国からの帰りに、再びここを通り過ぎた。あの夜、宿を貸してくれた荘主の屋敷に立ち寄り、僧の消息を尋ねた。
荘主は喜んで迎えた。
「貴方の大徳により、鬼は再び山を下って来なくなったので、人は皆、浄土に生まれたような心地です。しかし、山へ行くのは恐ろしがって、一人として上る者はおりません。ですので、その後の消息は存じ上げませんが、今日まで生きてはいないでしょう。今夜お泊りの際に、あの僧の菩提を弔ってください。それから皆もそういたします。」
「彼が善き果報にもとづいて遷化(せんげ。僧侶が亡くなったことを表す仏教用語)したのなら、私にとっての仏道の先達の師と言えるでしょう。対して、生きているのなら、私の一人の徒弟(とてい。弟子のこと)です。いずれにせよ、消息を確かめないわけにはいきません。」
禅師はそう言って再び山に登ると、まさしく人の行き来が途絶えていたと見え、去年踏み分け歩いた道とは思えないほどであった。
寺に入って見れば、荻や薄(すすき)が身の背丈よりも高く生い茂り、露は時雨のように降り零れ、三の径(さんのみち。門・井戸・便所。この三か所は、気の出入りや汚染など、変化するとされている)へさえどこか分からない。中は、堂閣の戸は左右に倒れ、方丈や庫裏(くり。僧侶の住居かつ事務所、応接間)に続く廊下も、雨が朽ち目に染み込んで苔生していた。
そして、あの僧を座らせた簀子の辺りを見てみると、影のような人がいた。葎(むぐら。雑草)が結び絡まり、尾花(おばな。ススキの穂)が風や重みでたおやかに垂れている中、僧か俗人かも判別できないほど髭や髪も乱した人が、蚊が鳴くようなか細い声で、言葉になっていない言葉でまれまれに(ごくたまに)唱えるのを聞けば、
『江月照松風吹 永夜清宵何所為(川を照らす清らかな月、松に吹く爽やかな風。この清らかな夜は、何のために存在しているのか。)』
と言っているではないか。
禅師はこれを見て、すぐに禅杖を握り直し、
「作麼生(さもしょう。どういうわけで。どうして)、何の為にあるのか!」
と、一喝してその頭を叩くと、たちまち氷が朝日を浴びたように消え失せて、あの青頭巾と骨のみが草葉の上に残っていた。実に、長い執念の炎がここに燃え尽きたのだろう。尊い道理があるに違いない。
こうして、禅師の大徳は雲の裏、海の外にまで知られ、
「達磨禅師(だるまぜんし。禅宗の祖)の肉はいまだ乾かず。」
と、称嘆(しょうたん。賞賛)したのだという。その後、里人が集まって寺内を清め修繕を施し、禅師を推し尊んで、禅師はここの住職になったという。それから、元々密宗(みっそう。密教のこと)であったのを改、曹洞宗の霊場をお開きになったのであった。今もなお、この寺は尊く栄えているという。
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