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第九『貧福論』
陸奥の国蒲生氏郷の家臣に、岡左内(岡定俊とも)という武士がいた。家禄は重く誉れ高く、勇猛の将としてその名を東国に轟かしていた。この武士は極めて偏屈なところがあった。富貴を願う心が並の武士と違っていたのである。家の掟を倹約を旨としたことで、年を重ねて富み栄えた。
また、調練(ちょうれん。軍事から武芸まで鍛錬全般を指す)の間に茶味翫香(ちゃみがんこう。茶を飲み香りを楽しむこと。ティーブレイクというより、禅宗、茶道的概念が強い)を嗜むことはせず、その代わり、庁上(ちょうじょう。上間)に数多の金を敷き並べて心慰めていた。その満足感は、世の人が月や花に心躍らせるのに勝っていた。人は皆、左内の行跡(ぎょうせき。振る舞い、過去の功績や記録)を奇妙に思い、
「吝嗇(りんしょく。ケチ)で野情(無風流な心)な人だ。」
と、爪弾きをして憎んだ。
何に対して憎んでいるのか。それは、家禄や武功が立派で富も持っているのに、それを使って楽しまなかったり(吝嗇)、世の人にはできない楽しみ方をしたり(野情)しているのが、常識を超えているためです。理解できないものに対して嫌悪を抱く感情に同じです。それを本文では「憎い」と表現しています。
左内は、家に長く仕える男の中に、黄金一枚を隠し持った者がいると聞きつけて、その男を近くに呼んだ。
「崑崙(こんろん。神仙の住む崑崙山のこと)の玉も、乱れた世では瓦礫に等しい。このような世では、弓矢をとる身というのは、棠谿や墨陽(とうけい。ぼくよう。名剣の代名詞。転じて、優れた才能、器)の剣に等しい。とはいえ、本音、欲しいのは財宝だ。良剣に等しい身であっても、一人で千人の敵には立ち向かうことはできない。しかし、金の徳は天下の人々をも従わせることができるのだ。武士たる者、金はみだりに扱うべきでない。絶対に貯蔵するべきだ。お前は卑しい身分でありながら、身の程以上の財を得た。これは驚くべきことだ。褒美を与えないことなどあるか。」
と言って、十両の金を与え、帯刀も許して召し使った。人はこれを伝え聞いては、
「左内が金を集めるのは、まさしく長啄(ちょうたく。何度も執拗に求め続けること)であり、飽きずに続けているなんて類の話ではない。当世の一奇士(一人の奇人)だ。」
と言い囃したのであった。
その夜、左内は枕元に人が来た音がしたので、目を覚まして見ると、行灯の下に、小柄な翁が笑みを浮かべて座っていた。左内は頭を起こして、
「そこにいるのは誰だ。我に何か乞おうとするならば、勇猛な男どもが参って払い捨てるだろうよ。お前のような老いぼれた身なりの者が寝込みを脅かそうとするとは、狐やら狸やらが戯れているのか。何か覚えた術でもあるのか。秋夜の目覚ましに少し見せてみよ。」
と、少しも騒ぐ気色はない。
翁は言う。
「このように参りましたわたくしめは魑魅(ちみ。魑は山に住む妖怪。魅は人の心を惑わす霊)でも人でもありませぬ。貴方が大切になさっている黄金の精霊です。長年、手厚くもてなしてくださる嬉しさに、夜話をしようと推参したのです。今日、家子(家に仕える下男)に褒美をお与えになった貴方の姿に感じ入り、翁の思う心ばえでも語り和まそうと、仮の姿をお見せしました。十の話を聞いても一つも有益でない閑談ではございますが、言わずにいるのは腹が膨れますので、こうして参り、眠りを邪魔させていただいたわけでございます。それにしても、富を得て驕らないのは大聖人の道理です。それなのに、この世では悪い言葉草に『富ある者は必ずケチで、富ある者の多くは愚かだ。』というのがあります。この言葉は、晋の石祟(西晋の最高位貴族。皇室と姻戚関係があった。傲慢な人物で名高い)や唐の王元宝(おう・げんぽう。豪商。客に対して食事も出さない逸話があるほど)のように、犲狼蛇蝎(さいろうだかつ。犲は野犬、蝎はサソリ。心が獣や蟲のように残忍で害があること)な輩にだけに言えるものなのです。古来より、富ある人というのは、天の時を測り地の利を察して、なるべくして富貴を得てきました。呂尚(りょしょう。太公望のこと)は斉の国に封ぜられた時(周の武王が商を滅ぼした時、功臣であった太公望に斉国の統治を任せた)に民に産業を教えたので、海辺の人は利益を求めてここに来朝しました。管仲(斉の宰相。斉を強国にした人物)は九度も諸侯の会盟を主導し、自身は陪臣の身分でありながら、その富貴さは列国の君主らに勝りました。范蠡(はんれい。春秋時代、越王勾践を補佐し、呉を滅ぼした大君臣。斉に移り住み、商いで巨万の富を得た。この時の名前が陶朱公)や子貢(しこう。孔子の高弟。弁論家でありながら、商売で巨万の富を築いたことでも知られる)、白圭(はくけい。春秋時代の経世理論家。商業の聖人とも呼ばれる)などは、財を売り利を追って巨万の金を築きました。『史記』「貨殖伝」では、これらの人が連ね書かれているわけですが、後世の博士らは筆を競って、それらを賤しいと謗りました。これは富貴を深く理解していない人からそう主張するのです。孟子は言いました。『恒産なき者は恒心なし(一定の収入や資産(恒産)がなければ、安定した心や道徳(恒心)は保てない)』と。百姓は勤めて穀物を産み、工匠(職人)らは技術を修めて物を作ってこれを助け、商売(商人)は努めてこれを流通させる。各々が各々の労働に励み、その中で家を富まして、祖先を祀り子孫を繁栄させるべきなのです。それ以外に、人たるもの何を成すべきでしょうか。ことわざにも言います。『千金の子は市に死せず。富貴の人は王者とたのしみを同じくす。『史記』「貨殖伝」大金を持つ家の子は、市場で身を滅ぼすようなことはしない。富貴を備えた者は、王のような楽しみを嗜むことができる)』と。淵が深ければ魚はよく泳ぎ、山が広ければ獣がよく育つ(『管子』「水深則魚生之、山深則獸生之」に由来か)というのは、まことに天に則った道理です。ただ、『貧しうして楽しむ(出典不明)』という言葉もありますが、これは受け入れられません。字を学び詩歌を嗜もうとする人は、それが惑いを起こす発端となるし、弓矢を手に取る益荒男(ますらお。勇猛な男)は、富貴が国の礎となっていることを忘れるし、陰湿な計略ばかりする人は、物を壊し人を傷つけ、徳を失って子孫が絶える。こういった人というのは、富貴を軽んじて名誉を重くしようという心の惑いから生じているのです。思うに、名誉と富貴とを求めるのに心が二つあることはないのです。文字というものに囚われ、金の徳を軽んじた人は自らを清廉潔白だと言い、鋤を放り捨てた人は賢いと言います。そういう人は確かに賢いかもしれませんが、金の徳については賢くないのです。金は七つの宝のうち最たるものです(仏教における七宝のこと。価値の高い順に、金・銀・瑠璃・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくじゅ)・瑪瑙(めのう))。金は、土に埋もれては霊泉を湧き上げるし、不浄を除いた美しい音を秘めています。このような清らかなものが、どうして愚昧で貧酷(ひんこく。貧しくて、心が狭く冷酷なこと)な人に集まりましょうか。今夜、憤りと日頃の思いを吐くことができたのは、嬉しいことです。」
と。左内は興じて座を進めた。
「さて、そのようにお語りになりました、富貴の道が貴いことについて、私が常に思うところと全く違いませんでした。ここで愚かな質問がございます。どうか詳しくお教えください。今の話された道理というのは、『専ら金の徳を軽んじて、富貴が大業である事を知らないことを罪とする。』というものでございましたが、古の紙魚(しみ。本にいるあの虫。古の学者の主張は古本となっていることを揶揄している)の主張するところも理由が無いわけではありません。今の世において富ある者は、十人のうち八人ほど、つまり大半で貧酷で残忍な人が多いです。私は俸禄に飽き足りていながら、兄弟一族をはじめとして先祖から長く仕えているというのに、彼らを貧しさから救うこともしなかったり、勢いを失って他人の援助が無くなり、世の人に渡ってしまった隣人の田畑を、値切って無理やり我が物としたりしてきました。また、今、私は村長として敬われておりますが、昔借りた人の物を返さず、礼節ある人が席を譲ってくれればその人を下部のように見下し(席を譲ってくれただけだが、この行為で左内は自分の方が立場が上だと思っている)たり、たまたま旧友が夏冬の季節の挨拶に訪ねに来ただけなのに、来たのは金を借りるためか、と疑ってしまい、家にはいないと返答させた試しが大勢あったりしました。また、『主君に対しては忠義の限りを尽くし、父母に対しては孝廉(科挙の試験のひとつ。父母への孝順の姿勢、物事への廉正な態度を指す)の義ありと噂され、貴人を尊び賤民を助ける意思はある。三冬(さんとう。初冬、仲冬、晩冬。現在の11月~1月中旬)の寒い時も衣一枚で寝起きし、三伏(さんぷく。初伏、中伏、末伏。7月中旬~8月上旬)の暑い時も衣一枚すら洗う暇なく、豊年でも朝も晡(ほ。夕方)も一椀の粥で腹を満たす。』という人がいますが、そんな人というのはもとより朋友が訪れることなど無く、さらにその中には、かえって兄弟一族にも通りを塞がれ交わりを絶たれ、その恨みを訴えるところさえなく、汲々として(きゅうきゅう。一つのことに心奪われ、あくせくする様子。ネガティブな使い方が多い)一生を終える者もあります。
吝嗇家はケチ故にお金は貯まりますが、その中には人との繋がりに不具合が生じる人がいると言っており、また、吝嗇家は、利益を出してお金を持っているわけではない人がほとんどで、そのまま人生を終える人が多いと言っています。
そして、そのような人は生業に疎いかというとその通りで、夙(つと。朝早く)に起きて遅くに寝て精を出し、西に東に奔走する様子は蹺蹊(シーチャオ。現代にも残る中国語。奇妙、怪しいの意)で少しの暇もない有様をしています。
愚かではありませんが、才能をうまく使って成果を出すことは稀で、これらの者らは、瓢(ひさご。ひょうたんで作った小さな器)一杯の味わいを知らない顔子(がんし。顔回のこと。孔子の高弟のひとり)のようなものです。
『論語』に、「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り」というのがあります。これは、顔回が「粗末な食事と飲み物で貧しい路地に住んでいても、顔回は楽しみを失わなかった」という逸話です。
このような状態のまま死に果てることを、仏教では『前業(前世の業(カルマ)のこと。前世からの報い)故に。』として説き示し、儒教では『天命故に。』として教えます。特に、仏教の教えでは、もし来世があるのなら、現世の陰徳善功(いんとくぜんこう。人に知られないところで積む徳(よい行い)は、やがて大きな功徳や報いとなること)は来世の果報になると言います。これを説法すれば、人々はしばらく現世で安心するでしょうが、儒教で富貴の道は説明できましょうか。仏教にのみこの道理は通っても、儒教で説明しようとすると、荒唐無稽となってしまうのでしょうか。霊の貴殿も仏の教えに信じられているとお見受けしました。違うのなら、詳しくお教しえください。」
翁は言う。
「貴方が問われたことは、往古(おうこ。古来)より論じ尽きない道理です。かの仏の教えを聞くと、富貧は前世の脩否(しゅうひ。善し悪し。「善行、悪行」「徳、罪」など)によると言いますが、これは大雑把な教えです。前世において、己をよく修め、慈悲の心深く、他人にも情け深く接した人は、その善報によって、現世で富貴の家に生まれます。自分の財を頼りに他人にその力を振るい、あらぬ暴言を言い捨て、あさましい蛮心(ばんしん。理性や礼節に欠けた未熟で愚かな心)をさらけ出す。前世の善心がこれほどまでに堕落するなど、どれほどの報いが成せる芸当でしょうか。仏や菩薩は、名聞利要(めいぶんりよう。名聞は、名声や世間からの評判。利要は利益や得られる財)を嫌うと聞きますが、どうして貧福などの話にお関わりになりましょう。つまり、富貴や貧賤を仏法に説き寄せるのは間違っているのです。『今の富貴は前世の行いが良かったから。』『今の貧賤は前世の行いが悪かった報いだから。』とばかり説くのは、尼媽(ニーマ。相手の母親を侮辱する言葉。数ある中でも非常に下品な表現)どもをたぶらかす生仏法(エセ仏法)です。貧福を厭わず、一心に善を積む人は、その身に報いは来なくとも、子孫は必ず幸福を得るでしょう。『宗廟(そうびょう。先祖を祀る神殿、祭祀の場)これを饗し子孫これを保つ(宗廟に供物を捧げ、子孫がこれを守り伝えていく)』という言葉は、この道理を細妙に表しています。自分が成した善の報いが自分に来るのを待つは、素直な心ではありません。また、悪業慳貪(あくごうけんどん。慳はケチ、惜しむ心。貪は欲深い心)の人が富み栄えるだけではありません。天寿をめでたく全うすることについて、私は異見があります。霎時(さつじ。一瞬。少しだけ)お聞き下さい。私は仮の姿を現して語っておりますが、神でも仏でもないのです。もともと非情の物なのです。故に、人と異なる思うところがあります。古の富貴な人は、天の時に適い、地の利に逆らわず、産業を興して富貴となりました。これは、天の随意に則った生業の方法ですから、財がそこに集まるのも天の随意のままなのです。全くもって道理に適っています。対して、卑吝貪酷(ひりんどんこく。低俗でケチで欲深くて無慈悲なこと)な人は、金銀を見ては父母のように親しみ、食うべき物も食わず、着るべき物も着ず、得難い命さえ惜しいとも思わず、起きる時は思い、寝る時は忘れません。財がある以上、そのような人がそこに集まるのもまた道理なのです。私はもともと神でも仏でもありません。ただただ非情の物です。非情の物の分際で人の善悪を糺す道理もなければ、私の意見に従うべきいわれもありません。善を愛でて悪を罰するのは、天であり、神であり、仏であるのです。これら三つが正しい道であり、私はそれらに及びません。ただただ、彼らが司る正しい道の素晴らしさ(善や徳を積むと報いがあること)に、金が集まることを知っていただきたい。
これは、善悪の裁定の話です。神仏は金のことに興味はなく、あくまでもその人の行いの善悪、徳罰を裁く存在です。金の精は、その裁きの結果が富貴に影響していると言っています。
金に霊は宿っても、その霊の心と人の心は異なります。また、富を得てから善根(ぜんこん。善い報いを生み出す要因となる善行。ここでは、金を他人に与えたり貸したりする行為)を蒔くのは良いですが、理由なく恵みを施し、その人の不義も察せず、ただただ貸し与えるような人は、その行為が善根であっても、財は最後には無くなってしまうでしょう。こうなるのは、金の使い道を知っておきながら、金の徳を知らずに軽く扱うからです。また、身の行いが良くて、他人に志誠(しせい。純粋な心)があるというのに、暮らしに困窮して苦しむ人は、天蒼氏(てんそうし。造化の神。天地万物を創造した神のこと)の恵みが少なく生まれ落ちた人のため、どんなに精を出しても、生きているうちに富貴を得ることはありません。だからこそ、古の賢人は、益があると分かれば求め、益がないと分かれば求めず、己が好むに従って、世から山林へと逃れ、静かに一生を終えたのです。心の内はどれほど清々しかったでしょうと羨むほどです。こうは言いますが、富貴の道というのは、要はやり方なので、巧みな者はよく集め、能力不足な者は瓦を捨てるより簡単に失います。それに、私という存在は、人の生業について回り、宿主も定めず、その宿主に心が集まったかと思えば、その宿主の行いによって忽ち別の所に走ります。水が低い方へ流れるようなものです。夜に昼にあちらこちら動いて休む時間もありません。仕事もしない閑人に宿れば、泰山(たいざん。中国の名山。権威や不動の象徴)すらも食い尽くすように、江や海すらも飲み干すように、金を貪ります。何度も申し上げます。不徳の人が財を成すのは、これとは相いれない理屈なのです。君子は言い争いません。時の流れを掴んだ人が、倹約を守り無駄を省いてよく働けば、自然と家は富み、人は付き従うでしょう。私は仏教の前世も知らない、儒教の天命にも関わらない、別の価値観の世界で揺蕩う存在なのです。」
左内はいよいよ興が進んだ。
「貴方の議論は極めて霊妙だ。長年の疑念も今夜晴れました。では、試しにもうひとつお尋ねします。今、豊臣の威風は天下をなびかせ、五畿七道もようやく鎮まったように見えますが、或いは亡国の義士があちらこちらに潜み隠れ、或いは大国の主に身を寄せて世の変化を窺い、かねての志を遂げようと画策しています。民もまた戦国の民なので、鋤を捨てて矛を手にして農事をしないので、武士は枕を高くして眠ることができません。今のような国体では、末長い、不朽の治世とはならないでしょう。誰が統一して民に安寧をもたらすのでしょうか。そして、貴方は誰の味方をなさるのですか。」
翁は言う。
「これもまた人の道ですので、私の知るべきところではありません。ただ、富貴をもって論じましょう。信玄のよう知謀は百発百中でも、その威勢は、一生三国(甲信越)に振るうのみでした。それでも、世はこぞって名将だと評判し、賞賛しています。信玄は最期、こう言ったと言います。『今の信長はたいへん果報ある大将である。我は常に織田家を侮って征伐を怠っていたから、こうして病に罹った。我が子孫もやがて信長に滅ぼされるだろう。』また、謙信は勇将で、信玄が死んでからは天下に敵無しでしたが、不幸にも早く死にしました。信長は、その器量は人より勝れていましたが、信玄の智謀に及ばず、謙信の勇敢さに劣っていました。しかし、信長は富貴を得たのです。だから、天下は一度この人に味方した。後を任せる者(光秀)を虐めて命を落としたのを見るに、文武を兼ね備えていたとは言えません。秀吉の志は大きいものですが、もとより天地に満ちるほどのものではありませんでした。柴田勝家と丹羽長秀の富貴を羨んで、羽柴という氏をつけたのが何よりの証拠です。今の秀吉は、龍と化して太虚(天空)に昇ってしまい、池中を忘れているようです。秀吉は龍と化しましたがもともと蛟蜃(こうしん。古代中国や日本に登場する伝説の生物。水に関する生物で、蛇のような姿が一般的だが、定説はない)の類です。龍に化した蛟蜃というのは、命わずかに三年に過ぎません。ゆえに、秀吉もまた後はないでしょう。そもそも、驕りをもって治めた世というのは、往古(おうこ。古来)より長く続いた例はありません。人の守るべきことは倹約ですが、度が過ぎれば卑吝に陥ります。つまり、倹約と卑吝の境を、よく弁えて過ごすべきなのです。そう思うと、今の豊臣の政治は長くなくとも、万民は平和となっておりますので、それぞれの家が千秋楽を唱える(せんしゅうらく。最終日の意味。つまり、戦国の世の終わり)日も近いでしょうな。」
「では、ここで貴方の望みに応えましょう。」
と、八字の句を詠んだ。
尭蓂日杲
百姓帰家
蓂(びょう。生い茂った草木のこと)は尭々(ぎょうぎょう。高々と)として、日が杲く(あかるく)輝いている。
そんな世界となった今、百姓は家に帰るのである。
「乱世が終焉に向かい、世界が明るくなった世界では、百姓は武器を捨てて、生業に戻るべく、家に帰る。」の意です。
数々の面白い言葉は興を尽き、遠くの寺の鐘が五更(ごこう。夜明け前)を告げた。
「夜は既に明けました。お別れいたします。今宵の長談義、まことに、貴方の眠りを妨げてしまいました。」
立ち上がって去るような様子であったが、その場で消えて見えなくなってしまった。
左内はよくよく夜中のことを思い、その句を考えた。『百姓家に帰す』の句はその大意を理解して、深くここに信心を発した。本当に、瑞草の瑞(めでたいことの始まり)であった。
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