史料

桂・タフト協定【現代語訳】会話形式で交わされた合意書!?内容を解説!

プロフィール帳

『桂・タフト協定』

時代:昭和

作者:桂小五郎

概要:桂小五郎とタフト間で交わされた合意書。条約ではない。

4

オススメ度

6

日探重要度

1

文量

1

読解難易度

解説

桂・タフト協定は、明治38年(1905)7月29日、日露戦争終結前に取り交わされた、日本アメリカ間の秘密協定です。東京で会談が行われ、協定の覚書を交わしました。

公表されたのはアメリカが1924年、日本では戦後に至ってからです。

アメリカの目的

この覚書が交わされた当時の日露戦争は、日本はロシアに対して非常に優勢の状況で、和平交渉に向かおうとしていました。日本の急成長を目にしたアメリカは警戒心を示し、アメリカに不利に働かないように秘密裏に動き出します。

目的は極東における支配領域の明確化です。当時の日本は大韓帝国の支配と保護を強化という領土拡大の動きを目にして日本の南下を警戒しました。これは、当時アメリカがフィリピンを植民地支配していたためです。

「極東での影響圏を確認したい」というルーズベルト大統領の意志を受けていたタフトはフィリピンからアメリカへの帰路を利用して来日しました。

内容

現代語訳をまとめると、以下のようになります。全3条構成となっています。

  1. 日本はフィリピンに対する野心を持たないと表明(第一条)

  2. 極東の平和には日本・アメリカ・イギリスの三国によって維持されるべきである(第二条)

  3. アメリカは、日本の大韓帝国における指導的立場を承認(第三条)

見ての通り、極東の日本アメリカ各国の支配領域を明確にしたものとなっています。

韓国に対する日本の国際的地位

この合意によって、アメリカの後援が明確化。アメリカとの摩擦を避けたいロシアは、敗戦国の立場もあり、ポーツマス条約において、韓国における日本の優位的地位を承認しました。

また、この年の8月には第2次日英同盟が締結され、イギリスも日本の優位的地位を認め、これでアメリカ、ロシア、イギリスの列強諸国が日本の韓国における支配的地位が絶対的なものとなり、この年の末には第2次日韓協約を締結、韓国の外交権を奪い、5年後の1910年の韓国併合へと準備を加速させました。

現代語訳

THE TAFT-KATSURA AGREEMENT.(note)

桂タフト協定(注)

… COUNT KATSURA and Secretary Taft had a long and confidential conversation on the morning of July 27…

桂太郎伯爵とタフト長官は7月27日の朝、内密に長い会話を交わした。

First, in speaking of some pro-Russians in America who would have the public believe that the victory of Japan would be a certain prelude to her aggression in the direction of the Philippine Islands, Secretary Taft observed that Japan’s only interest in the Philippines would be, in his opinion, to have these islands governed by a strong and friendly nation like the United States, … Count Katsura confirmed in the strongest terms the correctness of his views on the point and positively sta-ted that Japan does not harbor any aggressive designs whatever on the Philippines….

一。アメリカの一部の親ロシア派が主張する「『日本の勝利はフィリピン諸島方面侵略の確実な序章になる。』と国民に信じさせようとしているのでは。」という意見について。これに関してタフト長官は、「フィリピンに日本が関心を示したのは、米国のような、強力で友好的な国家に、これらの島々を統治してもらうことであろう。」と述べた。・・・桂伯爵は、彼の見解の正しさを、最も強い言葉で確認し、「日本はフィリピンに対して如何なる侵略的意図も抱いていない。」と積極的に述べた。

Second, Count Katsura observed that the maintenance of general peace in the extreme East forms the funda-mental principle of Japan’s international policy. Such being the case,… the best, and in fact the only, means for accomplishing the above object would be to form good understanding between the three governments of Japan, the United States and Great Britain….

二。桂伯爵は「極東における全般的な平和の維持が日本の国際政策の根本原則を形成している。」と述べた。そうであるならば、左記の目的を達成するために最良で、そして事実上唯一の手段は、日本・米国・英国の三国政府が、互いに良好な関係を築くことであろう。

Third, in regard to the Korean question Count Katsu-ra observed that Korea being the direct cause of our war with Russia, it is a matter of absolute importance to Japan that a complete solution of the peninsula question should be made as the logical consequence of the war.

If left to herself after the war, Korea will certainly draw back to her habit of improvidently entering into any agreements or treaties with other powers, thus re-suscitating the same international complications as ex-isted before the war.

In view of the foregoing circum-stances, Japan feels absolutely constrained to take some definite step with a view to precluding the possibility of Korea falling back into her former condition and of pacing us again under the necessity of entering upon another foreign war.

Secretary Taft fully admitted the justness of the Count’s observations and remarked to the effect that, in his personal opinion, the establish-ment by Japanese troops of a suzerainty over Korea to the extent of requiring that Korea enter into no foreign treaties without the consent of Japan was the logical result of the present war and would directly contribute to permanent peace in the East.

三。朝鮮問題に関して桂伯爵は、「朝鮮半島は日露戦争の直接的な原因であり、戦争の論理的帰結として朝鮮半島問題を完全に解決することが、日本にとって絶対的に重要な問題である。

もし、戦後、韓国を放っておけば、韓国は他国と不用意に協定や条約を結ぼうとする習性に戻り、戦前と同じような複雑な国際関係を再び引き起こすことは間違いない。

以上のような状況を鑑み、日本は、韓国がかつての状態に逆戻りし、再び対外戦争に突入しなければならなくなる可能性を排除するために、何らかの明確な措置を講じる必要性があると強く感じている。」と述べた。

タフト長官は桂伯爵の見解の正当性を全面的に認め、長官の個人的な意見として、「日本軍が『韓国が日本の同意なしに外国との条約を結ぶことができない。』といった条件を要求できる程度に韓国に対して宗主権を確立することは、現在の戦争終結後の論理的な結果であり、このことは東洋の恒久的平和に直接貢献するだろう。」と述べた。

His judgment was that President Roosevelt would concur in his views in this regard, although he had no authority to give assurance of this….

タフト長官の判断では、「セオドア・ルーズベルト大統領はこの点に関して私の見解に同意するだろう。」ということであったが、長官にはそれを保証する権限はなかった・・・。

とらちゃ
とらちゃ

この後、タフトは協定の内容を電報でルーズベルトに報告。ルーズベルト大統領は7月31日までに全面承認し、8月7日に正式な電報が桂小五郎に伝達されました。

(Miscellaneous Letters of the Department of State, July, Part III, 1905.)

(1905年7月の国務省雑書第三部)

Note:this document, dated July 29, 1905, was “an agreed memorandum” of a conversation between Count Katsura, Prime Minister of Japan, and Wil-liam Howard Taft, personal representative in Japan of President Theodre Roosevert, who later gave his full approval of the agreement.

注:1905年7月29日付のこの文書は、日本の首相であった桂伯爵と、セオドア・ルーズベルト大統領の日本に関する個人的代理人であったウィルリアム・ハワード・タフトとの間で交わされた会話の「合意覚書(桂タフト覚書)」である。

まとめ

影の薄い桂・タフト協定ですが、実は韓国併合という歴史的出来事を加速させたものになります。

ぜひ日露戦争時代の歴史を振り返ってみてください。

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