文学

遠野物語【現代語訳#5】41話~50話:猿の妖怪「経立」が登場!

プロフィール帳

『遠野物語』

時代:明治43年(1910)

作者:柳田国男

概要:東北地方に伝わる逸話や伝承を記した説話集

9

オススメ度

5

日探重要度

6

文量

2

読解難易度

41:狼(おいぬ)

和野の佐々木嘉兵衛(3・60・62に同じ)という男は、ある年、境木越(さかいげごえ)の大谷地(おおやち)へ狩りをしに行った。死助(しすけ)の方から走って来ることができる原(あるいは、死助の方から続く原)である。

木の葉は散り尽し山も露に染まった秋の暮のことである。佐々木嘉兵衛は、向こうの峰から何百とも知れない数の狼がこちらの方へ群れを成して走ってくるのを見た。恐ろしさに堪えることができず、樹の梢に上っていたところ、その樹の下を夥しい数の足音が走り過ぎ、北の方へ去ったのであった。

その頃に比べると今の遠野郷は、狼が非常に少なくなったとのことである。

42:狼(おいぬ)

六角牛(ろっこうし)山の麓にオバヤ、板小屋という所がある。広い萱山(かややま)で、村々がこの山まで萱刈りに行っていた。

ある年の秋のことである。飯豊村(いいでむら)の者どもが萱を苅っている時、岩穴の中から狼の子を三匹見つけた。そのうち2匹を殺して、生かし残した1匹を持ち帰ったのだが、その日から狼が飯豊衆(いいでし)の馬々を襲いはじめ、この襲撃は止むことがなかった。

しかしこの狼、他の村々の人馬には少しも害を加えなかった。そのため、飯豊衆は相談して飯豊衆のみで狼狩りをすることにした。その中には相撲取で日頃から力自慢であった者がいた。

さて、野に出て狼を見ると、雄の狼は遠くにいて、この場に来ていなかった。雌の狼が一鉄という男に飛びかかったところ、一鉄はワッポロ(※)を脱ぎ腕に巻き、すぐさま雌の狼の口の中に突き込んで、雌の狼にこれを噛ませた。

なおも強く突き入れながら狼の動きを止め人を呼んだが、誰もが怖れて彼等に近寄ることができなかった。そうしているうちに一鉄の腕は狼の腹まで入り、狼は苦しまぎれに一鉄の腕骨を噛み砕いたのだった。狼はその場で死んだ。そして担がれながら村へ帰った一鉄、彼も程なくして死んだのだった。

※「ワッポロ」は上羽織のことである。

43:熊

一昨年の『遠野新聞』にも載せた記事と同じものをここにも記載する。

上郷村に住む、熊という名前の男が、友人たちと一緒に雪の降る日に六角牛へと狩りに出かけた。谷の深いところまで入った時に、クマの足跡を見つけたので、手分けして足跡を追い本体を探した。

熊が峰の方へ探しに行くと、いつのまにか岩陰から大きなクマがこちらを見ていた。矢を射るにはあまりにも近かったので、銃を捨ててクマに飛びついたが、その結果雪の上を転がりながら谷の方へ落ちていってしまった。友人らは熊を救おうと思うも力及ばず、熊とクマはやがて谷川に落ちていった。

さてどうなったか。谷川へ落ちた際、熊がクマの下になっていたので、その隙をついてクマを討ち取ったという。熊はクマの引っかき傷を数ヶ所受けたけれども、水に溺れることもなかったので命に別状はなかったのだとか。

44:猿の経立(ふったち)

六角牛の峯続きに、橋野という村があり、その上の山には金坑がある。

この鉱山で炭を焼いて生計を立てる者がいた。この者は笛が上手で、ある日、昼間に小屋にいた時に、仰向けに寝転がって笛を吹いていたところ、小屋の入口である垂菰(たれごも)をかいくぐる者がいた。

驚いてその者の姿を見ると、なんと猿の経立だったのだ。恐ろしくなって起きると、経立はゆっくりと踵を返し、どこかかなたへ走り行っていった。

※上閉伊郡栗橋村大字橋野

45:猿の経立(ふったち)

猿の経立は人によく似ていて、女を好む。そのため里の婦人を盗み去ること多が多い。松脂(まつやに)を毛に塗って砂をその上につけているため、毛皮は鎧のように硬く、鉄砲の弾を通さない。

46:猿の経立(ふったち)

栃内村の林崎に住む何某という五十歳前後の男がいた。十数年前に六角牛山に鹿狩りに行ったときのことである。

オキ(※)を吹いたとき、猿の妖怪、経立に遭遇した。何某はこれを「正体は鹿だろう」と思ったが、経立は素手で地竹を割りながら、大きな口をあけ嶺の方から下ってこちらへ来たのだった。

非常に驚いて、オキを吹きやめると、すぐに経立は向きを変えて谷の方へ走って行った。

※「オキ」とは鹿笛のことである

47:猿

子供を脅す言葉に、「六角牛の猿の経立が来るぞ」というのがあり、この地方では一般的である。六角牛の山には猿が多い。おがせの滝を見に行けば、崖に自生している樹の梢にたくさん生息しているのを見ることができる。猿は人を見つけると木の実などをこちらに投げつけながら逃げいく。

48:仙人堂

仙人峠は登りも下りも十五里ある峠である。その中間地点に仙人の像を祀っている堂があるのだが、昔からの習慣で、旅人がこの山の中で不思議な出来事に遭遇したらこの堂の壁に書き記すようになっている。

そこに書いてある内容はというと、例えば、

『我は越後の者である。いつぞやの夜、この山路で髪を垂らした若い女に出会った。その女はこちらを見て「にこ」と笑った。』

というようなものである。

また、『この辺りで猿に悪戯された』とか、『三人の盗賊に遭遇した』というような、超常現象とは無関係なことも書いてあった。

49:猿

仙人峠には猿がたくさん住んでおり、通り行く者に戯れとして石を投げつけてくるなどしてくる。

50:花

死助の山にカッコ花という花がある。遠野郷でも珍しい花ということである。

五月、閑古鳥の鳴くころに、女や子どもがこの花を採りに山へ行く。この花は酢の中に漬け置きすると紫色になる。また、ほおずきの実のように吹いて遊ぶこともできる。

この花の採集は若者の最も大きな遊楽である。

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