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日本の律令制に宦官が存在しない理由とは?

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最近、某アニメ等で世に知られるようになった宦官(かんがん)。よくよく考えてみれば、日本の律令制には存在しません。日本の律令制は古代中国に倣ったものであるが故に、こうした疑問が脳裏を過りました。

そこで今回は、そもそもの宦官とは何かを知ることから始め、日本の律令制にそれが存在しない理由について調べてきました。

宦官(かんがん)について

まずは宦官について知りましょう。

宦と官

  • 宦:宮廷の役職に就く の意
  • 官:公的な役職 の意

このことから考えると、本来の宦官の意味は「宮廷に仕える官人」であり、去勢した男子官人を指すのは、後から制度化されたものによる、ということが分かります。

宦官の定義

一般に宦官と言うと、制度化された後の、去勢された男子の官人のことを指す場合がほとんどです。特徴は以下の通りです。

  1. 男性器を切除した男子
  2. 皇帝や王の側近として仕える官人
  3. 後宮(皇帝や王の妻の居住域)への出入りが認められた官人

宦官の仕事

基本的な仕事は、皇帝や王の世話、後宮の管理になります。

  1. 皇帝の身の回りの世話(例:侍中・十二監)
  2. 後宮の管理・雑務(例:内官)

なぜ去勢するのか

特に、古代中国における「国」は、日本と比べて土地をはじめ人材、文化、技術等々あらゆる面で規模が大きく、それ故に、王朝の後宮では皇后から妃、それに仕える女官など、無数の女性が生活していました。

そこへ何の制限なく男子を出入りさせると、性交による血統の乱れが発生しかねません。内部の混乱、側近から国民までの信頼度の低下、革命の隙を生むなど、十分傾国の要因となります。

かといって、現代より性差が強い時代なので、女子にはできない役割もあり、完全に男子の出入りを禁止することはできませんでした。

そこで、この矛盾を解決するために、生殖能力を失った男性(宦官)が設置されることとなったのです。

宦官が見られる地域

中国の文化圏となる、朝鮮王朝や、ベトナム王朝で確認されます。

存在時期と起源

古くは紀元前14世紀ともいわれ、最後はなんと清王朝まで存続していました。

起源は、征服した異民族の奴隷を使役する際に、生殖器を切断したことに始まり、次第にその使われる舞台は政治の場へと変動、制度化していきました。

宦官は、皇帝の側近に仕える者だけで無く、刑罰(腐刑)によって去勢された者もいました。これの場合、使用場所に限らず、宮廷で使役されることとなります。

問題点

メリットの多そうな宦官ですが、デメリットも存在します。常に皇帝の側にいるため、その信頼を利用して権力を得ようとしたり、その地位を利用して賄賂を受け取ったり悪事を隠蔽したりと、政治腐敗の要因にもなりました。

日本の律令制に宦官が存在しない理由

古代中国に倣って作られたはずの古代日本の律令制に宦官が存在しない理由はつ6あるとされています。

①宦官の存在意義が日本に無かった

上で説明したように、宦官の起源は、征服した異民族を捕虜とし、奴隷として使うために始まったものでした。しかし日本の場合、奈良時代の段階ではそのような民族闘争は存在しなかったため、宦官を動員する必要がありませんでした。

②後宮の規模と管理体制

古代中国王朝と異なり、日本の後宮は規模が非常に小さいものであったため、宦官を設置するまでもなかったという考えもあります。

また、中国と違って、天皇の側近に仕える身分は、殿上人に限定されてあり、後宮であっても、五位以上(諸説あり)に限定されていました。根本的に、下賤な身分を使用人として登用することが無かったため、宦官は必要ないとされました。

③神道的価値観

奈良時代は仏教が隆盛し始める時期ですが、神道の精神は依然浸透していました。神道に代表される土葬文化が反映された古墳が奈良時代以降も山陵(天皇陵)として造られるのがその最たる例です。

その神道は縄文時代のアニミズムのルーツを含み、身体の一部を意図的に損なう行為が忌避される傾向が強く残っていました。そのため、去勢は不浄視されやすく、制度として根付かなかったのです。

とらちゃ
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④仏教的価値観

仏教的な考えでも、同様のことが言えます。神道が薄れた平安時代に入っても、宦官は制度化されていません。これは、仏教では身体破壊は戒律に反する行為とされていたためです。

⑤技術集団の不足

そもそも去勢といっても、ただチョッキンすれば良い話ではありません。医療技術が必要です。日本には去勢技術を有した家、集団が無いため、導入が困難でした。

さらに言えば、官職の一つとしてあり続けるのであれば、専門の教育機関を設ける必要があります。当然、そのようなノウハウは日本にはありませんでした。

⑥中央集権化の時期の問題

中央集権化が始まったのは、7世紀ごろで、この時期の中国は北周にあたります。この北周ですが、武帝が改革によって宦官を縮小したとされています。

律令制導入時期と宦官縮小時期が重複して、採用されなかったともいわれています。

まとめ

俯瞰してみると、確かに宦官を導入する理由が無いですね。今回調べて気づいたのですが、奉衣まで登り詰めた井真成は宦官になったのでしょうか・・・?

たった数十文字の漢字が明らかにした、当時の日本と中国の関係は驚くべきものでした。いったいこの墓誌にどのような情報があり、史料価値があるのか解説します。
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これは面白いテーマかもしれませんが、史料が墓誌しかないのが惜しいですね。

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