奥の細道【マップ付き!分かりやすい現代語訳#34】市振
登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
34『市振』では、
93 親不知子不知
が該当します。
原文
今日は親しらず子しらず犬もどり駒返しなど云北国一の難所を越てつかれ侍れば
枕引よせて寝たるに一間隔て面の方に若き女の声二人斗ときこゆ
年老たるをのこの声も交て物語するをきけば越後の国新潟と云所の遊女成し
伊勢参宮するとて此関までをのこの送りて
あすは古郷にかへす文したためてはかなき言伝などしやる也
白浪のよする汀に身をはふらかしあまのこの世をあさましう下りて定めなき契日々の業因いかにつたなしと物云をきくきく寝入て
あした旅立に我々にむかひて
行衛しらぬ旅路のうさあまり覚束なう悲しく侍れば見えがくれにも御跡をしたひ侍ん
衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ
と泪を落す
不便の事には侍れども我々は所々にてとどまる方おほし只人の行にまかせて行べし神明の加護かならず恙なかるべし
と云捨て出つつ哀さしばらくやまざりけらし
一家に遊女もねたり萩と月
曾良にかたれば書とどめ侍る
現代語訳
今日は、親不知子不知、犬戻り、駒返しといった北国一の難所を越えて疲れたので、
いずれも北陸道の難所です。親不知子不知は、現新潟県糸魚川市にある断崖絶壁の難所、犬戻り、駒返しは親不知子不知の一部。
声のする方に枕を寄せて寝ていると、一間隔てた道の方から、若い女の声が聞こえてきた。
二人と思われる。
年老いた男の声も聞こえてくる。
語り合うのを聞くと、若い女は、越後国の新潟という所の遊女のようである。
遊女は伊勢神宮へ参詣に行く途中で、男は遊女をこの市振の関まで送りに来たらしい。
明日は、故郷への返事の文をしたためるようである。
また、遊女に対して、とりとめもない伝言などをしているところであった。
『新古今和歌集』よみひとしらず
白浪の よする渚に 世をつくす
あまの子なれば 宿もさだめず
私は、白波の寄せる渚に世(夜)を過ごす海人の子です。
定まった宿などありません(身を寄せる男性もいません)。
という歌のように、白波の寄せる渚に身を委ねる海人の子のように、望んでいなくとも世の下層に落ちる定めない運命や、日々受ける業因(ごういん。前世の報い)がどれほど辛いか、そのような話をしているのを聞きながら寝た。
翌日、旅立つ我々に向かって、遊女たちは言った。
「行衛(ゆくえ。行方の当て字)もしらない辛い旅路があまりにも頼りなく悲しく見えますので、あなた方の後を行きます。」と。
乞食同然の僧衣に、お情けとして大いなる慈悲を恵んでくださった。そして、
「私も、あなた方との縁を結ばせてください 。」
と、涙を落としたのだった。
「不憫な旅ではありますが、我々には所々に泊まる所が多くあります。ただただ、修験者の行く先に着いて行きます。神明なる神の御加護は、必ずや、我々の旅を無事に終わらせてくれるでしょう。」
そう言い捨てて出たものの、哀しさはしばらく消えなかった。
一家に 遊女もねたり 萩と月
同じ宿に遊女も泊っているのか。
折りしも、庭の萩に月が差したよ。
僧衣つまり悪く言えば乞食同然です。そして遊女も身体を使って乞食する常ならぬ存在です。そんな芭蕉と遊女の違いは、遊女の方が美しいということでしょう。その、儚くも(萩)美しい存在(月でスポットライトを当てる)を萩と月で表現しました。
そう曾良に語ると、書き留めてくれた。
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