不明 平安
この合戦に助力、勝利した源氏は東国~奥州の武士団と主従関係を強めた。これが鎌倉幕府の基盤となる。
中巻
吉彦秀武の提案
吉彦秀武が源義家将軍に申し上げる。
「城内の兵は城を堅く守っているため、我々の兵は膠着状態に慣れてしまっています。いくらか攻撃したところで落城はしないでしょう。そのため、しばしの間戦を止めようではありませんか。奴らはただただ城を守り通します。食料が尽きれば、自ずと落城いたしましょう。」
この進言を受けて義家は軍を二手に分けて陣を広く展開した。一方は武衡軍を前に弟義光が、もう一方は家衡軍を前に清衡と源重宗が接するかたちで金沢柵を包囲した。
暇つぶし
武衡のもとには亀次、並次という打手がおり、彼らは無類の強さを誇っていた。それゆえに『強打(こわうち)』と呼ばれていた。義家軍が金沢柵を包囲して数日、武衡は義家将軍の陣へ使いを送り告げた。
「戦を中止してからというもの極めて暇にございます。我が軍には亀次といつ強打がおります。是非ご覧になっていただきたい。そちらからも相応な打手を一人お出しになって、手合わせしようではありまんか。互いに暇つぶしになるかと思います。」と。
亀次対鬼武
将軍が相応しい打手を探し求めていたところ、県次任に仕える舎人、鬼武という者を見つけた。誇り高く、体躯はずっしりとしていた。この者を選んだ。亀次が城から出てきて、二人は庭で相まみえた。両軍の兵は瞬きもしないほど試合を見守った。既に格闘が始まって半時(一時間)が経過したが、互いに隙を見せず睨み合った。
そうしているうちに、亀次が持っている長刀の先が頻りに跳ね上がるように見えた。亀次が防戦に回っているのか、攻撃が弾かれているのか。いずれにせよ、鬼武が優勢になった。亀次は被ってきた兜に鬼武の薙刀の先にかかって落ち、深い傷を負った。義家将軍は大いに喜び、勝どきの声は大きく、天をも轟かした。
この様子を見ていた場内の兵は亀次の首を取られまいと中から騎馬隊が列を成して打って出てきた。対して義家軍の兵は亀次の首を取ろうと同じように飛び出し、義家の郎党、臆病の略頌に詠まれた末割四郎はここで参戦しないことを恥と感じていた。
「今、この戦の武功で、我の剛臆が決まるのだ。」
と言って飯や酒をたらふく食べてから先陣を切って飛び出したのだが、鏑矢が骨に当たり絶命したのだった。射られて切れた首の傷からは、先程まで食べていた飯がそのまま溢れ出ていた。これを見た者は、
「これまでの振る舞いだけでなく、最期までも見苦しいではないか。」
と、ものも言えない程であった。
義家将軍、これを聞いて悲しんで言った。
「元々、先陣を切って出るような剛勇の者を「切り通し」と言うが、そうでない臆病の者がいきなり自分を鼓舞して前線に出たところで必ず死ぬのだ。まさしく末割四郎の最期がそれよ。」
さらに、
「食ったものが腹に入らず喉に留まったまま死んだとは。腹までものが(切り)通らなかった、つまり臆病の者の証拠よ。」と言ったのだった。
平千任の挑発
家衡の乳母に平千任という人がいた。櫓の上に立って義家将軍に大声で言い放った。
「お前の父、源頼義”は”安倍貞任、安倍宗任を討ち取れていない。服従の証である名簿(みょうぶ)をもって故清原武則将軍と口合わせし、ただただ武則将軍の力で貞任らを討ち取っただけである。お前は清原家から恩や徳を受けるのだから、いつかその恩徳に報いるべきではないか。それが今である。源家は既に清原家に下っているから、お前は清原家の家来である。そうであるのに、お前は畏れ多くそして『重恩な主(武衡)』を攻めている。その不義不忠の罪、天命により罰が下されることだろう。」
多くの兵は各々反発しようとしたが、義家将軍はこれを制して何も言わせなかった。義家将軍が言う。
「千任を生け捕りにせよ。命を捨ててでもだ。もしあの者を捕らえる機会に遭遇した者は、己が命は塵芥より軽いものと思い、襲撃せよ。」
交渉1
城内の食料が底つきて、籠城していた者は皆嘆き悲しんだ。武衡は義家の弟義光に使者を遣り、義家に降伏する旨を伝えさせた。義光が兄義家将軍にこれを語ると、義家将軍はあえて降伏許さなかった。その後義光のもとに参上した武衡は慎重に、言葉を選んで義光に語った。
「我が主よ。畏れ多くも申し上げます。降伏いたします故、是非城内においでください。そのお供ができれば、私の心は救われます。未練はございません。」
義家将軍は、義光が城内に向かう、という話を聞いて、義光を呼んで次のように言った。
「古今東西、大将や次将が敵に呼ばれたからといって素直に敵陣へ行くなど聞いたことがない。義光。お前がもし武衡や家衡にとりこめられるようなことがあれば、無駄だと分かっていても、私は何度でも後悔の念を感じるだろう。また、源氏は末代にまで非難され、これがきっかけで様々な事実や栄光が嘲けられかねない。城内への同行は認めん。」
義光が話に乗ってこないので、武衡が重ねて義光に言った。
「あなた様がいらっしゃらないのであれば、相応な使いを一人よこしていただきたい。その者に、我々の考えを申し上げましょう。」
義光は、自分の家来の中から、「誰か行かないか。」と人選していたところ、皆が「季方こそ適任である。」というので、季方を使いとして武衡のもとへ送った。
交渉2
季方は赤色の狩衣に、青色の紋無しの袴を履いて、太刀を携えた。籠城していた城門が初めて開いた。すぐに季方を入れると、そこは兵が垣根のように立ち並んでいた。弓矢や太刀、刀は道の両脇に並んでいた。これら武器が備えられている様はまるで林のようであった。季方は僅かに身を大きくして歩みを進めた。城を登り待機してると、武衡がやってきて非常に喜んだ。対して家衡は季方が近くにいるというのに出てこなかった。武衡は、
「折れていただけませんか。お助けいただきたい。兵衛殿(源義光)にそう申していただきたい。」
と言い、金を多く季方の前に差し出した。
「城内の財物は今日頂かなくても、落城すれば我々のものです。」
そう季方は返し、金を受け取らなかった。
武衡は大きな矢を取り出して、
「これは誰が使う矢でありましょうか。この矢が飛んでくるごとに必ず誰かが被弾する。射られた者は皆死んでしまいました。」
と語った。
季方がこれを見て言う。
「これは私が使っている矢です。」
また立ち上がって言った。
「もし私を人質にとろうと思うのならば、今ここでこの身を好きにしてください。この城から出る時、我が軍の兵が見ている中で、そこら中にいる兵に捕えられるのは、極めて決まりが悪い。人質になるくらいなら、煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。」
武衡が返す。
「仰っているような事をするつもりはありません。ただただ早く自陣にお帰りになって、我々の考えを申し上げてほしいだけなのです。」
季方は来た時と同じように兵の中をかき分けながら城門へ進んだ。その最中、太刀の柄に手をかけて笑みを零していた。少しも変わった様子もなく自陣へ帰っていった季方。この話は世の中の人々の語りぐさとなったのであった。
寒さに堪える
城を包囲してから月日が経ち、季節が秋から冬へと移り変わった。義家将軍の兵どもは、寒く冷たいために凍え、皆悲しみの声を上げた。
『昨年は大雪が降った。あの時のように雪が降るのは今日か明日か、いつでも降りそうな様子である。これに遭遇したら凍え死ぬことは疑いようもない。我々は義家将軍の兵として奥州赴任に随行した。それゆえに妻子は国府に住んでいる。どのようにすれば、都に上る事ができるだろう。』
と言い泣く泣く文を書いた。
『我々は一丈の雪に溺れて死のうとしている。これを売って、得た金でどうにかして都へ帰り上りなさい。』と。
文に付けて、着ていた着背長(=鎧)を脱ぎ、乗っていた馬までも国府へ送ったのだった。
女子供の惨殺劇
城内では飢餓が深刻化しており、最初は下女や子供などが城の門を開いて外に出た。義家軍の兵はこれを通してやった。城内の者はこれを見て喜び、大勢が群がって門を出てきた。季武(詳細不明)が将軍に申し上げる。
「出てきた下女や子供の首をはねましょう。」と。
義家将軍、その理由を問うた。季武は返す。
「目の前で殺されるのを見れば、城内に残った者が出てくることは無くなります。これから出てくるはずだった者が城内に留まるわけですから、城内の兵糧はより早く底尽きます。既に季節は冬。兵は雪の被害を受けることを昼夜恐れておりますゆえ、早く城を落としたいと願っております。それに、今城から出ている子供や女は城内に籠る兵の愛妾や血の繋がった子供です。夫は、食料を妻子に分け与えないで自分一人で食料を食うようなことはしないでしょう。同じ頃に餓死するはずです。つまるところ、見せしめに殺して女子供が出てこないようにして、城内の食料を早く底尽かせ、季節が厳しくなる前に落城させるのです。」と。
義家将軍はこれを聞いて「尤もだ。」と言って、城から出てきた者を皆、城内の者が見ている前で殺した。これ以降、城から出てくる者は現れず、城門は固く閉ざされた。
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