文学

三教指帰【現代語訳#4】儒教の観点からみた「結婚」とは?

プロフィール帳

『三教指帰』

時代:平安

作者:空海

概要:出家の訴え状ともいえる作品。仏教の優位性を説く

6

オススメ度

4

日探重要度

7

文量

10

読解難易度

現代語訳

亀毛先生の論(続き)

生活

猶須択●為家簡土為屋握道為床挈徳為褥席仁而坐枕義而臥被礼以寝衣信以行日慎一日時競一時孜孜鑽仰切切斟酌縹嚢黄巻吐握不弃青簡素鈆顛沛不離如是則会宴講義摧五鹿角諸生論●重五十筵淼淼辯泉與蒼海以湧涌彬彬筆峰●碧樹以縦栄玲玲玉振凌孫馬以連瑤曄曄金響踰揚斑而貫蘂奏離騒不過時賦鸚鵡不加点翺翔詩賦之苑休息藻製之野然則翹翹車乗門外接軫戔戔玉帛囿中連廛魏矦之輅軾於蓬門何更扣角周王之輦畋於草盧何暇弾鋏不儌倖以登台鼎不自衒以歯塊棘拾青紫於地芥瞬目可致總印綬於股錐旋踵可期爰則移孝竭主流涕接僚佩干将以鏘鏘搢圭笏而濟濟進退紫宸俯仰丹墀人議万機誉溢四海出撫百姓毀断衆舌名策簡牘栄流後裔高爵所綏美諡所贈豈非不朽之盛事哉何亦更加

さて、生活というのはまず、住む地域そして住む土地を自分で選んで家を建てる必要がある。家の中は、道を床とし、徳を敷物とし、仁に座り、義を枕にし、礼を布団として寝、信を衣服とするのだ。丸一日を慎み、時には一時の時間を競い、熱心に聖人や偉人の徳を仰げ。そして心に従い物事の善し悪しを判断せよ。食事中にものをはき出すほど書物を優先し手放さず、転けそうになっても書き物と筆は離さず、熱心に励むのだ。

このようにすれば、朱雲が易経の講義で五鹿充宗を完膚なきまでに論破したように、戴憑が問題解決の議論において、打ち負かした相手の着物を取っては敷物にしてその数五十枚にしたように、議論では誰よりも優れた人物となるだろう。果てしなく広い水面から大海を生み出すほどの水が盛んに沸き起こる、そんな弁論術を獲得しているだろう。青々とした木々が生い茂り思うがままに栄えている、そんな美しく達者な筆遣いとなっているだろう。筆音は美しい玉を振るかのようで、達筆で知られる孫綽や司馬相如の名作に続く。完成した文は麗しい金のように輝くようで、文章家の揚雄や班固を凌いで美しい花の名に名を連ねるような名声を得る。屈原が『離騒』を記してしばらく何も作らなかったように力作だと断言し、鸚鵡賦を記してしばらく加筆しなかった禰衡のように初稿で完璧だと確信する。そんな文章家となり、天高く飛ぶ鳥が草原に羽を休めるように、作った詩や賦は高く評価され、一定の地位に着地するのだ。そうなれば、高貴な車が門の外に集まり、多くの玉や布が贈られ、屋敷の中に積み上がるだろう。

かつて、魏の諸侯らは自分の家の門に向かって車の中から敬礼したという。自分自身を敬うのに、どうしてこれ以上抜きん出た才能を卑下する必要があろうか。周王の車が草庵の前を通過した時、人は刀の柄を弾いて仕官していたという。自分自身に能力があるのに、どうして人の下につく必要があるだろうか。それほどの能力を持っていながら三大臣にならなかったのは偶然の幸いである。皆のように、奇を衒わないと公卿に名を連ねることができない、なんてことも無い。高位高官など、地芥のようにいとも簡単に手に入る。

蘇秦は太ももに針を刺してまで眠気と戦いながら学問に励んだが、そのようなこともせず印綬(官吏の証明証)を得られる。親への孝行の姿勢を主君へ移し、誠実さをもって同僚と関わる。干将の作ったような名剣を携え、音を鳴して威厳をしめす。高位高官のみ許される玉の笏を服に挟んで威厳を示す。紫宸殿に出入りし、宮殿の最上階の庭を仰ぎ、天の下にいる民を見下ろす。政治の場に貢献すればその名誉は全国に知れ渡り、外に出て民の声に直接耳を傾ければ民からの不平不満は無くなる。その名は歴史書に刻まれ、栄誉は子々孫々まで続くだろう。生前には高位高官を得て生活は安定し、死後には立派な諡号が贈られるだろう。ああ、何と永遠な功績だろうか。これでいて、更に何を望もうか、いや、もう望むものは無いのである。

配偶者を求めること

若復遊俗之前有日行楽返真之後莫人相娯天上牽牛猶歎獨住水中鴜鳥必歓比宿所以詩有七梅之歎書貽二女之嬪然則人非展季誰莫伉儷世異子登何可隻枕

さて、生前には楽しい時があるが、死後には共に楽しむ人はいない。天上に輝く牽牛星は一人そこに住んでいることを嘆き、年に一度織姫星と再会する。餌を得んと水中に潜っている母鳥も雄鳥と共にいることを喜ぶ。だから、『詩経』には「七梅の嘆き(摽有梅)」があるし、『書経』には「二女の嬪」がある。「七梅の嘆き」は、召南による婚期を逃して焦りを募らせる歌で、「二女の嬪(舜子変)」は堯帝の二人の娘(娥皇と女英)を舜に降嫁させた話である。このように、人は、朴念仁の展季こと柳下恵ではないのだ。配偶者を求めない人はいるだろうか、いやいない。

結婚のこと

必須行雨之蛾眉筮彼姫氏飄雪之蝉鬢占此姜族轟轟訝輅隠隠溢衢驫驫送騎霈艾側郭従者躡踵袂幕蔭天徒御駕肩汗霂灑地紫蓋飛空而雲翔繍服拂地而風歩尽訝迎礼極媵送義同牢同尊合巹合體褰珠簾而対鳳儀拂金牀而比龍體凌琴瑟以調韻超膠漆而同契笑偕老於東鰈悝同穴於南鶼消一期愁快百年楽又時聚九族数速三友則陳八珍之嘉肴酌九醞之旨酒蜚羽觴以無数挙満白而如環客調八音詠言帰之詩主投二轄称途露之滋重日忘帰疊夜舞蹈縦寰中之逸楽尽世上之賞般寧不楽哉

また人は、自ら配偶者を迎えることなく若くして亡くなった子登(子高の誤りか)こと孫登でもない。一人で寝ることを好む人はいるだろうか、いやいない。結婚の話をしよう。

配偶者を得る時、行雨朝雲(楚の王が夢で女と出会い、別れる(=寝覚め)時、女が「朝には雲となり、暮れには雨となり、あなたをお待ちします。」と言った「宗玉『高唐賦』」)のような姫君を迎えるのだ。舞い散る雪のような髪、蝉の羽のように透き通って見える鬢、を備える羌族から選ぶと良い。迎えの車は轟轟と音を立て遠くの辺りまで聞こえるほどであり、それを引く馬はひゅうひゅうと音を立てて勇み立ちながら門外へやってくる。女性の従者は足を揃え、袂を幕のようにして日光を遮る。手輿を肩にかけ、吹き出す汗は小雨のようになり地を濡らす。紫色のきぬがさは大空を飛ぶ雲のように揺られ、刺繍のある服は地を払い風を切る。初めて会う女性でも丁重に迎え、身内の花婿を見送る時でも礼儀を尽くす。それが男性としてのあるべき姿なのだ。

式の場では、新郎新婦同じ部屋に座り、互いに尊重し合う。婚礼によって心を結び、その後体を結ぶ。珠簾を上げて鳳凰のように美しい妻の容姿と対面し、金の床の上で初めて鳳凰に相応しい神、つまり夫として成長するのだ。琴と瑟(おおごと)以上に調和のとれた夫婦となり、膠(にかわ)と漆が離れ難い関係であるように親しい仲となる。歳をとるまで夫婦仲良く暮らし、東の海に住むカレイがいつも横たわっているのを嘲笑うほど健康で過ごす。憂いといえば、揃って同じ墓に葬られるか思い悩むことくらいだ。配偶者を迎えれば、一生憂いなく百年の楽しみを味わう事になるだろう。

人との付き合いで言えば、時に九族(高祖父母・曽そう祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫)と集まったり、しばしば付き合いの深い友人を呼んだりしては、八つの珍味(牛・羊・となかい・鹿・くじか・豕・狗・狼)を食い、九回発酵を加えた旨い酒を飲むといい。盃を交わし合い満足すること数知らず、交わし回るその姿は輪を描くようである。客は八つの音色(金、石、糸、竹、匏、土、革、木)を奏で、『言帰』の詩をを詠む。主人は左右の車輪のくさびを見ては、

「帰りは露が多そうだぞ。うちに留まるといい。」

という。何日も帰ることを忘れ、夜々踊り楽しみ、この世界の逸楽をほしいままにする。世俗の遊楽を尽くすこと、なんと楽しいことか。

最後に

宜蛭牙公子早改愚執専習余誨苟如此則事親之孝窮矣事君之忠備矣接友之美普也栄之慶満也。立身之本揚名之要蓋如斯歟孔子曰耕也餒在其中学也禄在其中誠哉斯言当鏤書紳骨耳

蛭牙公子よ、早くその愚かな行いを改め、専ら私の教えに従いなさい。誠実にこれに従えば、親に向ける忠孝は完全なものとなり、主君に向ける忠孝もそれに従って備わるだろう。友と交流する時の美徳は全ての友人に適用され、子孫が繁栄すること誠に喜ばしいこととなる。身を立てる根本的なきっかけも、名を上げるための重要な出来事も、今述べたようなことが関係するのだ。

孔子は「田畑を耕す時、飢えの可能性は常にある。しかし、学問を学べば、俸禄を安定して得られる可能性があるのだ。」と言った。

この孔子の言葉は本当である。骨の髄に書き連ねておくように、肝に銘じておきなさい。」

蛭牙公子の改心

粤蛭牙公子跪而称曰唯唯敬承命也自今以後専心奉習於是兎角公下席再拝曰猗歟善哉昔聞雀変為蛤猶懐疑怪今見蛭牙鳩心忽化作鷹葛公白飯忽為黄蜂左慈改形倐作羊類豈如先生之勝弁変狂為聖乎所謂乞漿得酒打兎獲麞斯之謂歟聞詩聞礼之客何過今日之勝誘勝誨非只蛭牙之為誡余亦充終身之口実矣
三教指帰巻上終

ここで蛭牙公子が膝まづいて言った。

「はい!はい!謹んでその命を承ります。今から、改心して専ら教えに従います。」と。

主人の兎角公が、席から降りて再びかしこまって言う。

「ああ、なんて良い事か。昔、雀が蛤になるという話を聞いたことがあります(志が変わると、中身外見も変わるということ。仲春は鷹から鳩となり、仲秋は鳩から鷹となり、季秋は雀から蛤となった。『礼記集説』)。蛭牙公子はそのようにならないのではと疑問に、そして不安に思っていましたが、今、彼の中の鳩は鷹へと変じたようです。他にも、葛玄が口から出した白飯が蜂に変じたことや、左慈がその体が羊に変わったことなどを聞いたことがあります。ああ、先生の弁論術のお陰で、狂人が聖人へと変貌を遂げました。いわゆる『漿(しる)を乞いて酒を得る、兎を打って麞(くじか)を獲る(望んだもの以上のものを得ること)。』でありましょう。まさにこの事です、期待以上の効果がありました。陳亢は伯魚に尋ねた際、一つの質問から三つの教訓を得たといいます。しかし、今日の優れた儒教への誘いと教えは、陳亢以上です。蛭牙公子の戒めだけではありません、私にとっての一生の教訓として心に刻みます。」

『三教指帰』巻上 終

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