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第五『仏法僧』
国が心安(うらやす)くなって久しくなって民は生業に精を出すあまり、春は花の下に憩い、秋は錦の林を訪ねるようになった。
「不知火(しらぬい。夏に海上で見られる幻影現象)の筑紫路も知らないのでは。」
と、械まくら(かいまくら。草枕に同じ。旅人の意)する人は、何となく富士や筑波の嶺々(冬に際立って美しくなる)を深く感じってしまう。
これで四季全ての様相を示しました。
伊勢の相可郷に、拝志という人がいた。代を早く子孫に譲り、忌むようなこともないのに出家して、名を夢然と改めた。もともと身に病も無い人で、あちらこちらで旅寝するのを老いの楽しみとしていた。
作之治という季子(すえご。末の子)がいた。夢然は、作之治の生まれながらの頑な性格を憂いて、京の人を見せようと、1月頃に二条にある別荘に逗留し、3月の末に吉野の奥の花(吉野の奥は大峰連山のことで、花は桜のこと。大峰連山は古から桜の名所であった)を見て、知っている寺院に7日ほど滞在して、そのついでに
「まだ高野山を見たことがない。いざ。」
と、夏の初めに青葉の茂みをかき分けながら、天の川という所(現奈良県吉野郡天川村か)から越えて、摩尼山(摩尼山・楊柳山・転軸山を高野三山という)に着いた。
道の行く手の険しさに前に進めず、思いもよらず日が傾く時間になってしまった。壇場やあちこちのお堂、霊廟など残すことなく拝み巡り、
「ここに泊めてくれないか。」
と言ったが、答えてくれる者はいなかった。そこを行く人にこの山の掟を聞くと、
「頼れる寺院や僧、お坊を持っていない人は、麓におりて夜を明かさなければならないのです。この山では、旅人に一夜を貸すことは決してありません。」
と語ってくれた。
「どうしたことか。」
なんとかして老いの身で険しい山路を来たというのに、その上、事の由を聞いて、夢然は心身ともに大いに疲労を感じたのであった。
末っ子の作之治が言う。
「日も暮れ、足も痛くなってしまいました。どうやって多くの山路を下れば良いのでしょうか。若い我が身は草を枕にしても嫌ではありませんが、ただ父上がこれで体を煩わすかもしれないことが心配なのです。」
夢然は言う。
「旅の趣とはこのような時を言うのだ。今夜足を酷使しながら山を下ったとしても、そこは我らの故郷ではない。明日の山路もどれほどか予測ができない。この山は扶桑(古代中国で使われた日本の異称)第一の霊場だ。弘法大師(空海のこと。高野山真言宗の開祖)の広徳は語り尽くせぬ。特別に遥々やって来たのだ、夜通し後世のことを祈願すべきだろうよ。宿もなくかえって幸いよ、霊廟に夜通し法施し奉ろう。」
と、杉の下の薄暗い道を進みに進み、霊廟の前の灯籠堂の簀子に上がって雨具を敷いて座を設け、静かに念仏しつつ夜が更けゆくのを待ちわびてた。
ここは、阿弥陀仏の光明は方五十町(阿弥陀仏の浄土の荘厳さを表す例え)に開け、暗闇をもたらす怪しげな林も見えず、小石さえも掃った福田(福を耕す場所の意。転じて、功徳を得るための勤行の場)であるというのに、寺院は遠くて陀羅尼の読経や鈴錫(れいしゃく)の音も聞こえない。木立は雲をも突き抜けるほど生い茂り、道を分ける水の音は細々と澄み渡っていてもの悲しく思われた。
眠れない夢然は語って言う。
「そもそも弘法大師の徳化は素晴らしいものである。土石草木にも霊を宿し、八百年余り経った今、いよいよ霊験あらたかなものとなり、それは貴いものとなった。大師の辿るべき遺芳歴(いほうれき。故人の高潔な美徳や名声などの記録)は多くあるが、その中でもこの山は第一の道場である。弘法大師が生きていたその昔、遠く唐土に渡り、その国で感化されたことがあった。杳冥(ようめい。遥かに暗い世界)に向かって『この三鈷(さんこ。三鈷杵(さんこしょ)の略で、密教の法具。空海が日本に伝えたとされる。煩悩を断ち切る力の象徴。三叉の金剛杵に同義)が導き、留まった場所が我が道を教導する霊地である。』と言い放つと、三鈷はこの山に留まったのだという。その場所こそが、壇場の御前にある三鈷の松であると聞いている。この山の草木泉石に霊の宿らないものはないという。今夜、思いがけずこの山で一夜を借り奉ったのは、一世一代に留まらない善縁だろう。おまえも若いからといって、ゆめゆめ信心を怠ってはならぬぞ。」
と。そうささやかに語るも、周りは澄んでいて感化してくれそうなものも無く、心細く思われた。
御廟の後ろの林からと思われよう、
「仏法。仏法。」
と鳴く鳥の声が山彦に応えて近くに聞こえた。夢然は目が覚めた心地がして、
「なんと珍しい。あの鳴く鳥こそ仏法僧(ブッポウソウ)という鳥なのだろうよ。かねてよりこの山に棲んでいるとは聞いていたが、『まさにその声を聞いたことがあるぞ。』という人もいなかったから、今宵の宿借りは本当に滅罪生善(悪い行いを滅ぼし、良い行いを育むことで功徳を積むこと)がの前兆だろう。かの鳥は清浄な地を選んで棲むという。上野国の加葉山(かばやま。詳細不明)、下野国の二荒山(ふたらさん。日光の男体山)、山城の醍醐の峰(伏見醍醐寺)、河内の杵長山(きねながやま。詳細不明)。ブッポウソウがとりわけこれらの山に棲むことは弘法大師の詩偈(しげ。教えや悟りの境地を詩で表現したもの)によってよく知られている。
寒林独坐草堂暁
三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心
性心雲水倶了々
暁の頃、寒林の草堂にひとり暁に座り、
三宝(釈迦)の声を一羽の鳥の鳴き声に聞く。
一羽の鳥には声があり、人には心がある。
人の心は雲水のように澄みきっている。
これは、弘法大師の詩『後夜聞仏法僧鳥』です。
また、このような古い和歌がある。
松の尾の 峰しつかなる 曙に
あふぎて聞けば 仏法僧啼く
松尾山(現京都市西京区)の峰が静まり返っている曙の頃、
空を仰いで耳を澄ませば、「仏法僧」と鳥が鳴いている。
その昔、最福寺(現京都市西京区)の延朗法師という僧がいた。法華経への信仰心の厚さは右に出る者はいないほどで、松尾山の神がこの鳥を延朗法師に仕えさせていたと言い伝えられており、また、この鳥はその神社の石垣に棲んでいたという。今宵の不思議な出来事は、既に一羽の鳥の鳴き声があったことから察しがつく。ここにいて何も思わないことがあろうか、いや、感動する。」
と日頃の楽しみとしていた俳諧風の十七言(形式ばらない五七五の俳句)を少し考えてから口にした。
鳥の音も 秘密の山の 茂みかな
聞こえてくる鳥の鳴き声は、ただの鳴き声ではなく、奥深くの山の茂みに息づく神妙さを帯びているよ。
旅硯を取り出して御灯の光を頼りに書きつけ、
「いま一声鳴かないかな。」
と耳を傾けていると、思いもよらず、遠く寺院の方から先払いの声が厳めしく聞こえてきて、次第に近づいて来た。











