三善清行 平安
延喜4年(914年)に醍醐天皇に提出された政治意見書。平安末期の社会情勢と律令制の崩壊を知ることができる。
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現代語訳
五節に動員する舞妓の数を減らすことを願います
舞妓の費用
私は恐れ多いながら、五節の舞妓を見物する身であります。大嘗会では五人動員し、皆に位階をお与えになっています。しかしその後数年、新嘗祭では四人動員したのですが、慣例に従い位階をお与えになりませんでした。大嘗会の場合、権力を持つ家々が競って舞妓を推薦し、その中から祭りに動員される舞妓が選ばれます。特に何もない年だと、舞妓は皆動員から断り逃れ、神事で人数が足りない可能性があったことがありました。その時、新制度が作られました。公卿と女御に代わる代わる舞妓を推薦させたのです。しかし、それには費用が非常にかかり、務めに耐えることが出来ませんでした。
意見申し上げる
伏して昔採られた案を申し上げます。弘仁(810~824)と承和(834~848)の二代では、最も内寵が好まれた時期でした。そのため、あまねく家々は推薦する舞妓を内寵している者の中から選んでいました。選定の都合によるものかと思われます。家々は推薦した舞妓が選ばれるために、無駄遣いを顧みず、破産をしてまで競って献上していました。
現在の朝廷は、貴族と愛妾との風紀の乱れを正し、その再発防止に取り組んでおります。遊女らは舞が終わると家に帰るため、天皇の居間に連れ入れる遊女はいません。すなわち、呼び寄せる遊女数人に何の用があるのでしょうか。古い記録より重く立案します。その昔、舞には天女(=処女)が来ていました。舞妓には定員があると言いますが、それは大嘗会や新嘗会で動員した五人や四人ではありません。つまり定員が決まっていないのです。
ここに舞妓の定員について新制度を立案申し上げます。家柄の良い家の女子のうち、未婚の者を二人、五節の舞妓として採用しましょう。五節の際の給与は、やや多く与えます。また、衣装はこちらで用意し、それを与えます。もし、貞節を守り嫁がないまま十年を過ぎた者がいたならばその者は女叙で預かり、こちらが仲介役となって嫁がせます。もし、それでも嫁がないまま留まることを希望すれば、蔵人として登用します。すなわち、前年の舞妓を退かせ、今年替えとして新しく舞妓を採用する、この繰り返しです。
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単語帳
五節 | 年中行事として行われる五回の節句。1月7日「人日」。3月3日「上巳」。5月5日「端午」。7月7日「七夕」。9月9日「重陽」。 |
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大嘗会(だいじょうえ) | 天皇即位後の国家安寧、五穀豊穣を祈る祭り。即位月によって開催月は変わる。 |
新嘗祭(にいなめさい) | その年の五穀豊穣の感謝を神に捧げる祭り。11月に行う。 |
権貴(ごんき) | 権力を持ち、尊い身分 |
弘仁 | 嵯峨天皇、淳和天皇 |
承和 | 仁明天皇 |
内寵 | 天皇が愛妾を密かに寵愛すること。 |
僥倖(ぎょうこう) | 思いがけず得られた幸運 |
天恩 | 天の恵み |
靡費(びひ) | 無駄遣い |
貢進(こうしん) | 貢ぎ物を献上すること |
方今(ほうこん) | 現在 |
帷薄(いはく) | 男女の関係 |
妓女 | 遊女 |
燕寝(えんしん) | 君主が普段休息している居間 |
良家(りょうか) | 家柄の良い上品な家 |
月料 | 貴族や官人に支給される食料と給与 |
饒給(じょうきゅう) | 多く与える |