三善清行 平安
延喜4年(914年)に醍醐天皇に提出された政治意見書。平安末期の社会情勢と律令制の崩壊を知ることができる。
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現代語訳
旧例に従い、判事を置くことを望みます。
裁判所の構成
職員令によると、大判事2人、中判事2人、少判事2人の計6人が罪の決定権を有していることになっています。しかし、少し前から大判事1人で常に判決を下している現状となっています。また、そのほかの5人の選任については、必ずしも律令を学んだ者が着任する必要はありません。
そのため、寛平4年(892)、勅命が出されました。大判事1人、中判事2人、少判事1人を解任し、大判事1人、少判事1人の2人を置くこととなったのです。大判事は法を司り、少判事はそうでない者です。
古の裁定方法
この度、意見書を提出するにあたり、この勅命の疑惑を述べます。誰が、天皇の定めた刑法を過大評価するでしょうか。
古代中国、皐陶(こうよう)は司法官として立派な人物でした。この時の皇帝、舜は「慎めよ、慎めよ。この刑を受け入れよ。」と罪人に説諭しました。
また、光武帝は真実を見抜いたうえで刑罰を決めていました。漢の政治家、桓譚の言い伝えには、「法に携わる官吏の愛と憎しみによって刑は有罪か無罪に分けられる」とあります。
これらのことから言えることは、疑わしい罪状を裁くというのは今も昔も難しいということです。今を生きる民の人生は全て大判事一人の口先で決まるのです。
不公正裁判の現状
笞杖徒流死の五刑の軽重は、大判事の独断で作られた報告書によって決められています。既に事実の真偽を調べ公正に裁くという道理から乖離しているため、これからも、みだりに刑罰を決める慣習が残ることを恐れています。
最近、安芸守高橋良成の罪について、大判事惟宗善経が独断で判決を下し、良成を島流しの刑に処しました。これによって不安要素というモノノ怪から京を守ったのです。しかし、もし刑部大録の粟田豊門がこの判決を批判していたら、高橋良成は赦されていたでしょう。骨は朽ちても肉は再生しますし、魂は離れても帰ってきます(独断で理不尽な刑に処された者らを憐れむ)。
つまり、法律に従って罪を決めるのです。そうすれば、根拠ある公正な裁断が可能となり、また、法律は民にはその内容を理解することが難しいため口々に批判してきますが、恐れることがないのです。
意見申し上げる
伏して望みます。かつて設置していた判事6人を全員法律の知識を持った人物にすることを。互いに補佐し合い、量刑を共に議論し、法律書を詳しく定めさせるのです。各々の考えを確かにした後で天皇に奏上するのです。
このようにすれば、みだりな判決を下された者共の怨念は永久に絶え、その圧力からの解放により罪人は自白しやすくなるでしょう。
扶南国に伝わるワニの裁決を待つ必要はありません。また、尭や舜の時代に存在した法を司る「かいち」を連れてくる必要もありません。
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扶南国のワニの話
ここで、扶南国に伝わるワニの話を紹介します。この話は、北宋時代に成立した『太平広記』が元ネタです。全500巻構成の壮大な類書で、464巻にこの話は収録されています。
内容を簡単に言うと、扶南国で裁判官を勤めるワニの話。擬人化や憑依ではなく、そのままワニが出てきます。
原文
扶南国出鰐魚。大者二三丈四足似守宮状。常生呑人。扶南王令人捕此魚。置於塹中。以罪人投之。若合死。鰐魚乃食之。無罪者嗅而不食。鰐魚別號忽雷。熊能制之。握其嘴至岸。裂擘食之。一名骨雷。秋化為虎。三爪。出南海思雷二州。臨海英潘村多有之。
現代語訳
扶南国にワニがいた。体は6mから9mと巨体であり、四足歩行、姿かたちはヤモリに似ている。また、常に人を丸呑みして生きている動物である。
ある時、扶南国王はワニを捕まえてくるよう命じた。堀の中にワニを入れ、さらにこの中に罪人を投げ入れたのである。もしワニが罪人を死ぬべきだと判断すれば、ワニは罪人を食べる。逆に、無実の罪の者であれば、臭いを嗅ぐだけで食べないのである。
ワニには「忽雷」という別名がある。クマだけがワニに勝る強さを持っている。クマはワニの牙を掴んで岸まで運び、ここでワニを引き裂いて食うのである。クマは「骨雷」とも呼ばれる。秋には虎と化し、爪は三つとなる。南海を憂い、雷二州まで出てくるのである。そのため、臨海に位置する英潘村で多く語られる。
単語帳
判事 | どし参照 |
---|---|
職員令 (しきいんりょう) |
官職の人数や名称などを定めた法律。 |
明法 | しょくろうにん参照 |
皐陶(こうよう) | 古代中国の伝説上の人物。伝説の皇帝、尭や舜の時代に活躍した。 |
欽哉(きんさい) | 慎めよ |
欽哉〜之恤 | 尭舜に関する記録がある『尚書』を引用している。この文の前に「眚災肆赦,怙終賊」とあり、笞杖徒流死の五刑に従うよう述べている。 |
光武帝 | 「漢委奴国王印」を授けた皇帝 |
桓譚 | 前漢から後漢にかけて(紀元前〜紀元後)存在した政治家。儒学を批判したことで知られる。 |
脣吻(しんぷん) | 口先 |
閲実 | 事実か否か調べること |
貽(おくル) | 伝え残す |
大録(だいさかん) | 四等官制のかみすけじょうさかんのさかんにあたる。刑部省では、卿輔丞録となる。正七位上が相当。 |
駮議(はくぎ) | 他人の意見を批判して持論を述べること |
喁(あぎとウ) | 魚が水面に口を出して開いたり閉じたりすること。転じて、議論すること。 |
扶南 | 現在のカンボジア南部に存在した国。紀元後1世紀〜7世紀まで存続した。 |
扶南之鰐魚 | 北宋時代に成立した『太平広記』に登場する、扶南国のワニの裁判官の話。『太平広記』は全500巻で、上記は464巻に収録。詳しくはこちらで解説。 |
獬豸(かいち) | 中国の伝説上の一角獣。法を司る生物として知られる。なお、尭・舜も伝説上の存在。 |