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【一国一城令】なぜ出されたのか?一国二城の藩もあった裏話も解説!

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江戸時代の数ある法令の中でも、かなり有名な『一国一城令』。「国に城は一つまで」と定めた法令です。実はこれといった原文が無く、段階的に諸藩に対して発布されたものになります。

ということはつまり、藩によって対応が違ったということですね。

その影響で、実は、一国二城の藩もあったのはご存じでしょうか。国ごとにひとつというのは誤りなんです。

詳しく見ていきましょう!

結論

『一国一城令』とは

  • 慶長20年(1615)に江戸幕府が発布した法令。同年に大坂の陣
  • 大坂の陣の後、大名同士の戦闘を防いだり、江戸幕府へ反抗する体力を削ぐことを目的とした
  • 一国一城が適用されたのは主に外様大名で、譜代大名などは、二城持つことがあった

一国一城令の背景

『一国一城令』が出された背景として、そもそも日本に城が多すぎたことがあります。

戦国時代、実は最も築城が盛んだったのは、関ヶ原の戦いの後でした。関ヶ原の戦い自体は局所的な戦闘で、徳川側の勝利として決着がつきましたが、豊臣家とそれに従う大名はなおも健在でした。そのため、両陣営、次の戦に向けて全国規模で築城を行ったのです。

大坂の陣のあと

関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は1602年に江戸幕府を開きました。先ほど述べたように、豊臣勢力はまだ残っていたため、徳川家康は、この時点では、来るべき戦に備えて築城を推奨していました。

1615年大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしたことによって、徳川家康は各大名に城を破棄するよう路線変更。大名同士の戦闘や、江戸幕府へ反抗する戦力を削ぐことを目的として、城の数を175まで減少させました。

一国二城有していた国

一国一城といいながら、あまり厳格に決められていなかったのがこの法令の特徴です。まだ江戸時代の確立期で、法整備が未成熟であったことが伺えます。

例えば、以下の通り。

(東)池田家因幡・伯耆を領有(鳥取城・米子城)
(東)浅野家安芸・備後を領有(広島城・三原城)
(西)島津家薩摩・大隅を領有(鹿児島城)

家によっては、複数の城を所有していますし、逆に、二国なのに一城つまりゼロ城の国がある大名もいます。

領有国内に複数の城を持つ池田家と浅野家の共通点は、関ヶ原の戦いの際、東軍だったということです。幕府によって、優遇措置が取られたのでしょう。

また、軍事的側面もあったと思われます。外様大名は数が多く、江戸からは遠ざけらえたとはいえ、全国各地に点在していました。それら西軍の外様大名に対して、軍事力でより優位に立つために、二城が認められたとも考えられます。

西軍についた島津家は、薩摩と大隅の二国を安堵されましたが、一城のみとなっています。領有国内に城があるとはいえ、国単位で見ると、大隅国はゼロ城です。このような場合もあったというわけです。

今回は島津家を例に出しましたが、外様大名は、治める国数に関わらず、一城の場合がほとんどです。名家の毛利家ですら、城はひとつなのですから。

一国二城・一国ゼロ城

領有が二国になる場合や、譜代などは城を複数所有することができた。

対して、西軍に所属した大名の中では、城の所有が認められない国もあった。

外城制

外城制(とじょうせい)という制度をご存じでしょうか。これは、薩摩藩を中心としてみられる、『一国一城令』の抜け道的な制度です。

外城制(とじょうせい)

城のある本城と別に、各地を治めるための小規模な役場。外城という。その周辺に武家集落を形成し、有事の際には軍事拠点としての機能も有した。

農山や漁村、主要な交通都市などに設置されました。薩摩藩の場合、麓集落と呼ばれる武家屋敷が存在し、この外城の屋敷に住む武士を外城士といいました。対して、鹿児島城下に住むのは城下士です。

外城は、あくまで政治機能を有した武家屋敷の集落なので、『一国一城令』には反していません。もし指摘を受けても、一揆対策や治国のためなどと言えば、多少の軍事的機能を備えていても筋は通ります。

他にも、奥州の伊達家は、「伊達四十八館」と呼ばれる城館を勝手に造り、家臣を配置していました。あくまで館です。

まとめ

『一国一城令』とはいえ、その実態は様々であったと分かったのではないでしょうか。

江戸時代に入って相当数減少した城ですが、明治時代、『廃城令』という法令により、さらにその数は減少しました。

加えては、第二次世界大戦で空襲の被害を受けた城も少なくありません。広島市にある広島城の天守閣は、戦後の再現です。爆心地ですからね・・・鉄筋コンクリート製なわけもありませんから、耐えて残ることは残念ながらありませんでした。

このように、現代に残ってる城は奇跡なのです。

お城に興味が無い人でも、観光スポットの一つとして名高い日本の城。その存在意義は、数百年続く、日本人の精神の根底にあるのかもしれません。

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