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意見封事十二箇条<全現代語訳>⑨第9条:毎年の課税免除者が多すぎます

作品を知ろう!!!

三善清行 平安

延喜4年(914年)に醍醐天皇に提出された政治意見書。平安末期の社会情勢と律令制の崩壊を知ることができる。

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律令制崩壊と負名体制に移行する移行期の社会を如実に示した非常に史料価値の高い意見書です。
意見封事十二箇条<全体構成と内容>律令崩壊期の社会変化を解説! 現代語訳一覧 各条文の現代語訳はこちらです! 現代語訳一覧 序文 第一箇条 第二箇条 ...

現代語訳

諸国の戸籍を調査し、役の免除対象となる者(勘籍人)の人数把握を求めます

戸籍調査の結果

戸籍を調査したのは、天皇に仕える舎人、諸親王に仕える帳内資人、諸大夫、諸命婦に仕える位分資人、諸役所の勘籍人、諸衛府の舎人です。式部省と兵部省が作成する四季帳に載る者、つまり勘籍人は年間を通して約3000人に及びます。

また、朝廷に保管されている記録から課丁を数えたところ、五畿内を除く国、陸奥国・出羽国、そして大宰府管轄の九州、この他の山陰や南海などの国々を合わせても課丁は30万人にも満ちませんでした。とりわけ、記録の大半は中身がありません。

そのため、正丁は30万人に加えて10数万人はいると思われます。その10数万のうち、毎年3000人が課役を免除されているわけです。

意見申し上げる1

今述べた通り、課丁の人数は多く、盛んです。しかし、『令集解』が施行され40年弱、これを論じるにあたり、役人は皆課税免除とするべきだと私は申し上げます。

すなわち、国内に住む何者かに調庸を備えさせるよう国司に命じるのです。そのためにまず、国司に対して朝廷が送った蠲符を献上するよう命じます。富豪の正丁の課役を除き、証拠のない正丁を計帳に書き出すのです。戸籍を再調査するため、古くから決まりとして進上している調庸は、おのずと徴収する理由が無くなります。

総体、正丁の課役対象である調庸を整備するのが難しかったのは、朝廷が蠲符を杜撰に作成していたからなのです。国司の怠慢は過去にはみられませんでしたが、今現在、国司の怠慢により戸籍管理の引き継ぎが出来ていません。ああ、なんと悲しいことでしょう。

また、非難を申し上げますと、天皇に仕える舎人、諸親王に仕える帳内資人は古来より戸籍の調査を担当されていますが、代々の蠲符を見るに、彼らの戸籍調査を妨げる原因は、これらからは分かりませんでした。今まさに、当時に立ち返って何が原因か調べるべきです。

舎人、資人らは

「勘籍人の損益は、蠲符に記載されている分で合計を出しています。『令集解』にそうするよう書いてありますよ。」

と答えました。課役免除による損失が100人分あったとして、その100人の中から得られる利益は1人分もありません。これが近頃の状況です。

また、近い昔、諸家では家に資人を1人得ると、その分前任者を辞めさせる必要があるのですが、それをしませんでした。資人を補任すると、三宮や諸司の勤務評定の担当が変わるので、異動前後で勤務評定が重複してしまいます。

三省の史生や書生らはこの職の因縁により心がひねくれているため、上司に知らせず、国解を用いず、偽の勘籍を勝手に四季帳に載せています。その中でも最も度が過ぎている者は、本主が1人も補任がいない時、人数を底上げしているのです。このような邪な行為は日に日に倍増しています。損害は甚だしく、この勘籍の件より酷いものはありません。

意見申し上げる2

恐れながら希求します。国の規模に応じて、一年間で勘籍人になれる上限人数を設けるのです。大国は10人、上国は7人、中国は5人、小国は2人を上限に蠲符を発します。この他においては数を増やしません。また、旧例では、近江国では一年に100人、丹波国では50人勘籍人を出していました。現在、近江国、丹波国の両国はすっかり国力が衰えています。勘籍人を過剰に許可したことが原因なのです。

今当然成すべきこととして、両国の例に準じて近江国は10人、丹波国は7人、それぞれ定員を減らすべきです。また、勘籍関係の上官への提出文書は必ず二通提出させます。一通は官底に保管し、一通は外題として用いるのです。つまり、式部省を通すのです。式部省が四季帳を太政官に提出する日、四季帳と官底に保管している解文と照らし合わせ、確認後に請印を押すのです。

また、蠲符を載せる際、符損が多くて符益が少ない者には勘返をし、請印しないようにします。ただし、五畿内に住む京戸はこの制度の適用外とします。

以上の理由により表題の件を強く望みます。そうすれば、調庸は適切に納められ、国司の業務の煩わしさが解消されるのです。

単語帳

勘籍(かんじゃく) 戸籍を調査すること
勘籍人 勘籍により役を免除された者のこと。下級官吏(初めて役人になる者、官僧など)や重度刑罰の犯罪者(徒罪以上)が役を免除された。ちなみに、律令法の五刑は軽い方から「笞杖徒流死」の順番。
三宮(さんぐう) 皇后・皇太后・太皇太后の総称。
舎人 天皇の近くに仕えた下級役人
帳内(とばりのうち) 親王の近くに仕えた下級役人
資人(しじん) 諸王、諸臣の近くに仕えた下級役人
位分資人 帳内資人より下級。大夫や命婦といった六位相当の貴族に仕える。
蠲符(けんぷ) 課役免除者を記した太政官符。蠲は「取り除く」の意。詳しくはこちら。
四季帳 四季ごとの符損符益をまとめた帳簿。式部省・兵部省が作成する。蠲符(けんぷ)作成時の基礎資料となる。
計帳 国ごとに作成された、調・庸の課税対象者を記録した帳簿
国解(こくげ) 国司が太政官や中央官庁に提出した公文書
解由(げゆ) 交代による事務手続きのこと。事務手続き文書のことを解由状という。
符損 蠲符によって課役対象の戸(課戸)が減ることを指す。蠲符によって課役が免除されるということはつまり、課役対象の戸(課戸)が減るということを意味する。
符益 蠲符によって得られる利益。
外題(げだい) 提出された解文の内容に対して、確認、了承の旨を記した紙。
勘返(かんべん)状 返事を書いて返送した書状。勘とは、返事の対象となる箇所の冒頭に線を引くことを指しており、その線の付近に返事を書くことを勘返という。
勘合 動詞の場合、「照らし合わる」の意となる。
請印(しょういん) 公文書に内印や外印を押印する儀式。内印は天皇御璽(てんのうぎょじ)、外印は太政官の印。
課丁(かてい) こちらを参照
就中(なかんずく) 特に、とりわけ
傍薄 広く盛んであること
満ちる
四十年 本書が提出された914年の約40年前である877年、令集解が編纂された。
国宰(くにのみこともち) 弩師参照
見丁 その年の課役を負担する正丁のこと
猥濫(わいらん) 秩序や規律が乱れている様子
難じて云く 非難する
改補 前任者を辞めさせ、後任者を補任(ぶにん)すること。
補任 官職や位階を与えること。この儀式が除目と呼ばれる。
内考 内位の者(位階を有する者)の勤務評定。なお、対義語にあたる「外位」は位に「外」が付く者を指す。五位以下において内外の区別が用いられた。例:外従六位上。
改請 担当を変えること
三省 唐の中央官制である三省六部の、三省(中書省、門下省、尚書省)を指す。日本では、「中書省→中務省」「門下省→不明」「尚書省→太政官」
史生(しじょう) 日照り参照
書生 史生の補助員的立場にあたる下級役人。
心がひねくれていること。
本主 所有者
姧濫 弩師参照
国の分類 中央集権国家の樹立を目的として、国を国力に応じて四等級に分類しました。大国ー上国ー中国ー小国(下国)
凋残(ちょうざん) すっかり衰えること
官底 文書を保管した書庫。太政官弁官が管轄していた。官文殿(かんのふどの)と呼ばれる。
京戸(きょうこ) 京に本籍を持つ人を指す言葉。貴族や官人に付与された。その多くが京以外に一族の発祥地(本貫)を持っている者である。

蠲符の作成手順は以下の通りです

式部省・兵部省:四季帳を作成

太政官:民部省へ下知

民部省:国ごとに整理し、太政官へ返す

→太政官:諸国へ下知

 

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