文学

『学問のすすめ』<現代語訳>序の段|経緯と学びの必要性を分かりやすく解説!

<画像:福沢諭吉(明治24年(1891年)ごろの肖像)『Wikipedia フリー百科事典』>

作品を知ろう!!!

福沢諭吉 明治

何のために学ぶのか。それは西洋視察が決定付けました。序の段に全てまとめられています。

福沢諭吉の経歴

1835年、大阪市にあった豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士の子として生まれました。

江戸に蘭学塾を開く1858年までの20年間、長崎で西欧の知識を身につけたり、大阪で緒方洪庵の適塾に所属したりと遊学しています。

その後英学に転換し、幕府の「翻訳方」として出仕しました。

また、福沢の欧米に対する好奇心と知識が認められ、1860年咸臨丸の一員として、1862年には文久遣欧使節の一員として、加えて、5年後の1867年に個人で渡航し、計3度の米英視察を果たしました。これが『学問のすすめ』の重要な出来事になってきます。

明治維新後、明治新政府の入閣に応じず、教育や啓蒙活動に専念。

これまでの経験と知識を活かし、『西洋事情』や『学問のすすめ』といった時代を達観した作品を残しました。

3度に及ぶ西洋視察が学問を推奨する根本的な理由につながりました。

これは「序の段」に色濃く反映されています。解説は現代語訳の後に行います。

現代語訳

序の段

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言う。

天から人が生まれるというのならば、人はみな同じ地位であり、生まれながらの貧富の差もないはずだ。また、人だけが持つ、生物で最も優れている体と心を使うことで、衣食住はもちろん、誰かの生活を妨害することなく平和に過ごすことができるのである。しかしながら、人間世界を見渡すと、賢明な人、いい加減な人、貧しい人、裕福な人、身分の高い人、低い人など様々な人がいる。その差は「雲泥の差」という表現に値する。

それははなぜか。その理由は非常に明確である。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とある。賢人と愚人の違いは、「学び」によって生じるという意味だ。世の中には難しい仕事も簡単な仕事もあるが、前者に従事する人を身分が高い人、後者に従事する人を身分が低い人だといえよう。別の表現をすると、頭を使う仕事は難しい仕事で、手足を用いるような力仕事は簡単な仕事であると表現できる。なるほど、医者、学者、政府の役人、または大きな商売をする町人、そして多くの奉公人を召し使う大百姓などは、身分が高く、貴き者と言われるはずだ。

右に挙げたような身分が高くて賢明な人のお家というものは自然とお金持ちになっており、そうでない人からすれば、自分たちでは彼らに及ばないと思うだろう。しかし、両者の大元まで辿っていくと、その差の要因は学問を学ぶ姿勢があるかないかの違いであることが分かった。これは生まれつきの才能ではない。ことわざでいうところの「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」である。

はじめにも言ったが、人には生まれながらの身分や貧富の差は存在しない。ただただ、学問に勤しみ物事の理を知った者が賢明な人や裕福な人となり、学問をおろそかにした者が貧しい人や身分の低い人となる、といった話である。そもそも学問とは、ただ難しい字を知り、難解な古文が読め、和歌を楽しみ、漢詩を作れる、といった文学のことを指すのではない。これらの文学は人の心を自然と清らかにさせるものではあるが、儒学者や和学者は「これら文学はそんなに敬意を払うようなものではない」と昔から言っている。昔は、立派な漢学者に世帯持ちの者は少なく、また、和歌が上手いからといってそれを商売にしていた町人も稀であった。「子供にはそのような数少ない逸材になってほしい」と考える町人や百姓の親もいるが、子供が漢学や和歌といった学問に励んでいるのを見て、「いつかは財産を切り崩していかなければ勉強を続けさせてあげられない」と心配する親も少なくないのである。無理もない話だ。結論を言うと、和歌や漢詩は、一般的な生活を送るには無用の存在であり、また、金銭的な障害でしかないのである。

以上の理由から、今学ぶべきものは、難解な古文や和歌ではなく、生活の役に立つ「実学」といえる。そろばんや天秤の扱い方を学ぶことが主な例として挙げられるが、もちろんそれ以外にも多く存在する。

五つ例に挙げよう。

一、地理学とは、世界中の風土を学ぶ学問である。

二、物理学とは、物事の道理からその性質を知る学問である。

三、歴史学とは、年代記をより詳しく記したもので、歴史的事実から今の世の中を見つめなおす学問である。

四、経済学とは、身の回りの生活状況から世間全体の生活状況を分析、説明する学問である。

五、倫理学とは、自身の行いを見つめなおし、社会生活を上手くこなしていく糧とする学問である。

これら五つの学問を学ぶには、どれも西洋の翻訳書から学ぶ必要があるのだが、実はその先には二つの方法が用意されている。それは、

一、自力でその翻訳書を読むか、あるいは、二、優秀な人に原文を読ませ、その者に付き従いながら学ぶか、

の二つである。また、これら五つの学問はいたって普通の学問であるため、身分や貧富の差など関係無く、皆が学ぶべきものなのである。実学を学んだあかつきには、士農工商が各々の生活に精を出すこととなり、結果として家業は成功し、家は自立するだろう。そして、これが全国民に行き渡れば国家は自立したものとなるはずである。

学問を修めるには身の程を知ることが重要である。人は元来生まれつき自由の身であるが、ただその自由を謳歌し、身の程を知らないでいるとただの自分勝手な人間になってしまう。つまり、身の程を知るということは、時と場合によって周りの人と歩調を合わせ、誰にも迷惑をかけずに自分一人で自由の身になることをいう。自由とわがままの違いは、人に迷惑をかけるか否か、の違いといえよう。例えば自分の金を酒や女遊びに費やしたとしよう。確かに金の使い道は人の勝手であるから、これは自由といえるかもしれない。しかし、これは決して自由とは言えない。なぜなら、一人の不品行は周りの人に対し、その場での振る舞い方の手本となり、その悪い手本が広がることで次第に世間も乱れてしまう可能性があるからだ。そのため、金の使い道は人の勝手ではあるが、酒や女遊びに費やすのは許されないのである。

また、自由とは個人の問題だけではない。国家の問題でもある。特に国家規模の話になると「独立」の意味合いが強くなる。アジア州の東に位置する島国の我が国日本は鎖国によって自国の産物のみを用いて生活してきたが、嘉永年間(1848-1854)にアメリカが来航して以来、外国との交易が始まった。この開国には色々と意見も多く、その中でも鎖国攘夷の主張は特にやかましい。彼らのことを私に言わせてみれば「井の底の蛙」である。議論以前の問題である。

私がこのように言うのは、以下の理由のためである。そもそも日本も西洋諸国も同じ天の下に存在する国家であって、同じ太陽の光を浴び、同じ月を眺め、海を分かち合い、空気も分かち合って生活している。また、同国の人民は似た感性を持ち、思いやりや愛情がある。互いに余ったものを譲り合い、教え合い、学び合う。また、恥じることも誇ることもなく互いに物事の成功を祈り、そして愛を育んできた。このような人としての正しい行いを心に持ち、西洋諸国に対しアフリカの奴隷制の間違いを指摘し、その正しさを示すためならイギリスやアメリカの軍艦も恐れず、他国から我が国をけなしてきたとしたら全国民が命を捨ててでも戦い、祖国の威光を落とさないようにする。国民が人としての正しい行いを身につけている状態、これが、一国が自由で独立した状態だと私は主張したい。

ところが現在、日本人は「世界には日本以外の国はない」といった勢いで中国人を始めとする外国人を見れば「夷狄だ、夷狄だ。」と唱えている。外国人を家畜のように卑しく嫌い、自分の国力も考えずにみだりに追い払おうしているが、その行為が原因でで、かえって外国に苦しめられることとなるのである。まさに国家が身の程を分かっていない状態といえる。いち個人で言う、酒や女遊びに遊び惚けている者と同じ状態である。政治の話をしよう。幕府政治から中央集権に新しくなって以来、日本の政治体制は大きく変わった。国外に向けては外国の法律に合わせて交流を図り、国内に向けては国民に自由と独立の趣旨を提示した。すでに平民には苗字と乗馬の利用を許可している。これは天地開闢以来の賞賛すべきことであり、まさに士農工商の身分差を無くした平等な世界がここに成ったと言えよう。

また、せっかく新時代が始まったのだから、政府の役人も国民に対しての態度を改めるべきである。今後は、生まれつきの家系で身分を決めるのではなく、その人の才知と徳行と住まいによって身分を決めるものとしたい。例えば、政府の役人に対していい加減なことをしてはいけない、といった意見は当然のことはあるが、これはなぜか。それは政府の役人その人自身が賢明であるからといった理由ではない。政府の役人というのは才知と徳行をもってその職務を全うするのが前提であり、日々国民に必要とされる賢明な法律を取り扱うことがその職務である。つまり、本当に賢明なのは政府の役人ではなく、法律そのものなのだ。しかしながら、世間では法律を取り扱っている役人こそが賢明だと捉えられている。繰り返すが、本当に賢明なのは法律そのものである。

幕府政治の時代、お茶壷道中という行事で、幕府の役人が東海道を通行していたことは皆が知っている。それほどほど仰々しい行事であった。その他の行事においても、「御用の鷹」は人間より尊ぶべき存在であり、同じく「御用の馬」は通行人が避けるほどであり、「御用」の二文字を付ければそれが石だろが瓦だろうが尊ぶべき物に見えていた。このようなしきたりは数千年前から存在するが、世の中の人は嫌な思いをしながらも自然とその関係に慣れてしまっている。身分の上下に関わらず見苦しい習慣だ。結局これらの行事はどれも法律を尊重して執り行っているものではないし、御用の品は国民より身分が高いわけではない。幕府のやり方はむやみやたらにその権力を見せびらかすだけの卑怯なやり方であり、また、国民を怖がらせ個人の自由を妨害するという、ただただ虚勢を張っていただけのことといえる。明治の新政府になってからは、日本全国に蔓延っていた呆れるような制度や習慣は消滅したはずなので、人々は安心していることだろう。仮に政府に対して不満を抱くことがあったら、この不満は包み隠し、そして裏で身分が上の者を憎んではいけない。明確な理由と解決策の提案をもって静かに不満を訴えるべきであり、その上で遠慮なく議論すると良い。また、自分の考えが天理人情に値するものだと考えるのなら、命をなげうってでも戦うべきである。右に記したことは、日本国民たる者が知るべき身の程であると私は主張する。

ここまで話した通り、いち個人も一国も自然な状態であれば、束縛されることのない自由な存在なのである。もし国家規模で自由を妨害する者が現れたならば、その者は世界中の国を敵に回すことも恐れないないだろうし、個人の自由を妨害しようとする者が現れたならば、相手が政府の役人であっても気兼ねしないだろう。それにしても、今の時代は四民平等を基本とした社会になったので私は安心している。このような社会になったので私は、思う存分に成すべきことを成せ、と言っているが、一般的に人には社会的な立場というものが存在するので、それぞれの立ち位置に合った、相応の才知と徳行を身につけ、その立場の中で可能な限り成すべきことを成すべきだ。才知と徳行を身につけようとするには、物事の本質を知らなければならないが、そのためには、字を学ぶ必要がある。つまり、才知と徳行を身につけるには字を学ぶことが前提であり、急務の課題なのである。

近頃の社会の様子を見ると、農工商の三つの身分階級は以前と比べ物にならないくらい高くなっており、上に位置する士族と肩を並べる勢いである。優秀な人材がいれば農工商の身分であれ政府の役人として取り立てられる、といった以前では考えられなかった身分の壁もすでに壊されている。そのため、自分の身分の立ち位置をよく考え、軽いものとは考えないで見苦しい行いはしないようにしなければならない。そして、無知文盲の人に対しては憐れみの気持ちを向けるべきであり、また、そのような人を憎らしく思ってはいけない。

恥知らずとは、知恵無き者の極致とも言える。恥知らずの例は分かりやすい。自身の無知が原因で極貧に至り飢えと寒さに晒されているにも関わらず、己自身を反省するのではなく、むやみやたらに裕福な人を恨むようなことをする。また、その程度が過ぎると徒党を組んで強訴や一揆といった乱暴を働くことをする場合もある。彼らは恥など知らないし、法は恐れない。法を犯しながら食いつなぎ、職を転々としながら、時に私欲のために法を犯す、使えるものは使うといった振る舞いは、国家の自由において不都合であることこの上ない。それだけでなく、たまたま裕福な家に生まれ、それ相応の財産がある者であっても恥知らずも者はいる。その家の子孫たちである。親が財産の築き方を知ったとしても、子らにそのやり方を教える必要性に気づかなかった結果が招くのである。何も教わらなかった子らは愚かとも怪しいとも言い尽くせない人になり、結局酒や女遊びに浮かれることとなるだろう。せっかく先祖代々続いていたお家も、いつ消えてもおかしくない朝煙のように没落させてしまう子孫も少なくない。

特に武力をもって解決しようとする愚民は、対話で諭して服従させるにはとても無理があるので、ただただ政府の権威をもって脅す他ない。西洋のことわざに「愚民の上に苛き政府あり」というのがある。まさしくその通りで、この国においても政府の武力行使は苛政のうちに入らない。なぜなら、この武力行使は悪政が引き起こした災禍ではなく愚民が自ら招いた災禍だからである。また、愚民の上に苛政があるということは、視点を変えれば「良民の上に善き政府あり」なのである。つまり、西洋だけでなく、ご多分に漏れず日本においても良民がいて、善政が存在するのだ。仮に、国民の徳義が今日よりさらに衰え、無学文盲の者が増加するような事態になったならば、法律はより一層厳重にし、苛政を敷くべきであり、逆に国民がみな学問を志して、その結果物事の道理を知り、また、文明開化の波に乗って西洋風の生活が普遍するようなことになれば、法律は寛大なものとし、善政を敷くべきなのである。法律の緩厳は国民の徳不徳の程度によって自然と決まる。国民の誰が苛政を好んで善政を嫌うだろうか、国民の誰が祖国の富国強兵を祈らないだろうか、国民の誰が外国からの侮辱を軽く考えるだろうか・・・。これらは国民が一般に感じる心情というものである。

今の世の中に生きる、報国心のある者は、無力な自分を責める必要はないし、社会情勢の心配もしなくていい。今本当に大切にすべきこととは、人としての感情に基づいて行動していくことなのである。自身の行いを正し、学問を強く志し、多くのことを知り、各々の身分相応の智徳を身につける。そうすれば政府は寛大な法律を施行しやすくなるし、対して国民は苛政によって苦しむことはなくなる。つまり、政府と国民が互いの役割を果たしながらこの国の平和を護ることが最も大事なのだ。

まさしく今私が勧めている実学も、ただただこの一点を目的としている。

解説

福沢諭吉の主張の背景

欧米の視察をした福沢は、西洋に対し非常な前向きな考えを持っており、開国と明治維新を通して新しい時代に相応しい「自由」な社会を作ろうとしているのが『学問のすすめ』の大きなテーマでしょう。江戸時代に盛行した古を尊ぶ精神の儒学の批判は、転じて幕府の国民に対する態度や身分制の存在の批判につながっています。

実学を学ぶ意味

実学は普段の生活の中で必要な知識であり、だからこそ身分に関係なく誰しもが学ぶべきだ

と説いています。例えば、経済学、物理学、地理学といったものです。

明治維新後、身分によって限定されていた職業の壁が無くなったことにより、学問次第で人生の選択肢を自由に選べる社会になりました。生まれながらに平等、同じスタートラインから始まる人生のレールを左右する時代になったということは、自身の知恵や行いで切り開いていく必要があるということです。そのために必要な学問は実学であると結論付けています。

個人の自由と国家の独立が必要な理由

福沢はなぜ個人の自由と国家の独立を何度も主張しているのでしょうか。答えは本文中に書いてあります。それは、西洋の「植民地」化に抵抗できる国力を養うためです。欧米に強い憧れを持つと同時に、欧米の悪政に対し危機感を覚えていることが分かります。植民地化の波が日本に及ばないよう手を打つ、そのためには国民一人一人が自分に必要な能力を知り(身の程を知り)、身につけることが早急に求められていたのです。これは富国強兵に賛成している点からも読み取れます。

幕末志士の批判

明治維新に賛成している福沢ですが、意外にも明治維新に絶大な影響力を持っていた幕末志士を批判しています。江戸幕府の終焉に貢献したことよりも外国を追い払う活動のほうが見苦しく感じているのは、前にも述べた理由で、西洋に一刻も早く追いつく必要があるからです。日本では、1862年の生麦事件後の外国からの報復的要求を拒否できず、1864年には下関艦隊砲撃事件でその軍事力の差を見せつけられています。既にその差が明確である以上、「攘夷活動をやめ、国民全員が足並みを揃えるべきだ」と主張しているのです。

国家と個人の関係性

国民の意識を学問に向けるためには、個人任せでは限界があります。そのために法律を上手く調整して国民の意識を向上させる必要があるのです。国の方向性を決める政府の役人と自由に生きる国民のベクトルを法律によって調整し、制約と自由の均衡がとれた状態を維持し続ける、それが個人の意識向上につながり、結果として国力の向上につながると福沢は主張しています。

まとめ

  • テーマは『「自由」な社会を作るために必要なことはなにか』
  • 上記の手段として「実学」を学ぶべきである
  • 周りに迷惑をかけることは、個人の自由と国家の独立の妨げになる
  • 江戸時代の身分制社会を否定した
  • 実学の最終的な目的は国力の向上と平和のためである

文献

本文

任天堂株式会社入力2008『学問のすすめ』青空文庫

参考

飯田鼎1990「福地桜痴と福沢諭吉-『懐往事談』と『福翁自伝』をめぐって-」『三田学会雑誌』82巻4号 慶應義塾経済学会 669-693頁