柳宗悦 昭和
人が民芸品に魅力を感じる理由とは。それに美を見出したのは誰か。民芸品の見方が変わる一作。1941年出。
皆さん、伝統工芸品は家にありますか?高そうに思えて意外に安価な品が多く、お土産にも人気の伝統工芸品。佐賀の有田焼や京都の西陣織が有名ではないかと思います。
では、なぜそれら品物が伝統工芸品として扱われるのでしょうか。安価で大量生産であるから、その希少価値も低いはずです。極め付けには「買ってどうするのか」といった現象まで起こってしまうのがこの伝統工芸品の現状ではないかと思います。
本記事では、工芸美術論の第一人者である、柳宗悦氏の著書から民芸(工芸)について解説します。本記事を読めば、伝統工芸のはじまりや伝統工芸がなぜ魅力的に見えるのか分かると思います
伝統工芸品と民芸
まずは、伝統工芸を理解するために民芸が何か理解しましょう
結論から言いますと、
「民芸」とは、民衆が日々用いる工芸品のこと
です。
そして、経済産業省のHPには伝統工芸品の条件のひとつとして「主として日常生活の用に供されるものであること。」とあります。
民芸の意味と共通しますね。
つまり、伝統工芸=民芸という関係性が成り立ちます
それでは、本文から説明していきます。
民芸の意義
「民芸とはどういう意味か」より
民芸とは、民器であり、日常と切り離せないものを指し、下手(したて)とも表現されるものです。
下手の定義は、
- 「下」は「並み」という意味
- 「手」は「質」「類」という意味
であり、決して品質の悪い物を指すわけではありません。
そして、これは大小に関わらないことから、民衆の建物も民芸と言えると主張しています。
以上のことから、
民芸=下手=民器=並の物=大小関わらない
といえます。
ではなぜ「並みの物」であるのに、「下手」と言われるのか。それも言及されています。
下手とは、上等品の対義語として用いられることが多いため、つまらないもの、安いものという印象を受け、結果その美を正しく認識されていない
なるほど、上の反対は下ということですね。これは誤解を受けても仕方ありません。
そして柳宗悦は
上等品のことを貴族的、民芸品のことを民衆的と表現しました。
貴族的と民衆的
上等品(貴族的)と民芸品(民衆的)の違いは以下のように対比されます
図から分かるのは、生産される段階から、そもそもの出発点が異なるということです。
ではその出発点とは何か。柳宗悦は心の置き場が異なるといいます。
貴族的:自由な心(個性)
民衆的:伝統的な心
このことからつまり、物を観る時はその出発点の違いを大前提に置く必要があると主張しました。
民芸が論じられる理由
柳宗悦は4つ挙げています
- 民芸品の美しさが認められていないため
- 上等品が過剰に評価されすぎているため
- 工芸の美を正しく理解してもらうため
- 工芸論の根本を見直すため
②上等品が過剰に評価されすぎているため
上で説明しました民芸品の対義語として扱われる「上等品」。どのような点が過剰に評価されているか、以下の通りです
- 技巧を凝らし、用途を離れた上等品は美も失われる
- モノそのものではなく、銘や技巧を見て判断している
- つまり、人々はものを見る目『直観の基礎』がないのである
③工芸の美を正しく理解してもらうため
「美」とはいわば精神論の観点です。
- 個性よりも伝統の方がより美を見出すことが出来るのである
- 人知よりも自然のほうにより賢い叡智が潜んでいる
④工芸論の根本を見直すため
銘をもつ作品が美しいのはなぜでしょうか。
例として「赤絵」を挙げています。赤絵とは、そもそも中国の民器です。そこに美を見出したから「美しい」と思われるのですが、この「美しい」という価値観を見出すプロセスが重要だと主張しました。
というのも、その過程に、「見る」という不可欠な要素が含まれているからです。
つまり、民芸にを正しく認識するためには、「下手モノ」を「見る」必要があるのです。
民芸の歴史
①誰が最初に民芸の美を見出したのか
「2民芸の美を最初に見出したのは「初代の茶人達」」より
利休をはじめとする茶人が民芸の祖であると柳宗悦は主張しました。
「茶の美」=「下手の美」である
茶器、茶道具、茶室・・・全てが美を語っているといいます
というのも、そもそも茶に関わる道具は全て中国から渡ってきたものです。それらは元来実用品であり、民芸品でした。
- 茶入れ→薬壺
- 水指→塩壺
先人らはそのような下手物に加工することなく、ましてや茶道という「道」すらも見出したのです。そのため、料理にも下手の美を見出しました。「茶料理」と呼ばれます
- 茶料理→厳選された食材ではなく、その土地その季節の料理を出す
茶人は茶碗を見て「七つの見処」があるといいます。これは民芸品でないと成り立ちません。「見所を見出す」という行動は見る人(主体)の意識から起きるため、見処を前提に作った茶碗では破綻してしまうのです。
これは「④工芸論の根本を見直すため」で述べた事の源流にあたります
そのことに気づかず、先入観に囚われた後世の人は、「大茶人の言う見所があるものが美しい」と勘違いしてしまいました。
この価値観によって生まれた品には「先代の語る美しさに基づいて加工された人工的な美」であり、これは個性が生まれていることを意味するため、民芸品と言えないことはもうお分かりだと思います。
そして上記のとおり、民芸品を扱わないため、茶道が破綻してしまっているのです。つまり、茶道という道は民芸品でなければ極めることができないのです。
民器の奥深さは千利休ら茶人らが既に見出していました。
では、それら民器はいったいどこから生まれたものなのでしょうか。何者が魅力的な民器を作ったのか。次に、その源流を探ります。
②誰の手によって、どのようにして民芸の美は生まれたのか
「4我々は民芸に盲目であっていいのか」「2 民芸の美は誰の手から生まれた?」より
答えは民芸の意味についての分類ですでに記しました。
そう、「誰の手からも生み出されている。つまり、民衆の作。」なのです。
なぜそうなのか。哲学的に柳宗悦氏は主張しています。
無力な民衆を庇護する自然の意思に異常な力があり、その自然に従順であるから驚くべき作品を生み出される
「大名物」と呼ばれる名高い品がありますが、これは民芸品であるからこそ「大名物」に認められています。「大名物」は美の極致でありますが、民芸の域内である以上民衆の手によって作られたものなのです。名工によって技巧みに生み出されたものではありません。
このことから、
「無力な民衆は何かを成そうという気持ちに従い行動している(自然の意思)ため、自然と驚くべき作品を生み出す。結果民芸に美が生まれる」
そう言っているのです。
また、民芸の特徴で挙げられる、「多産で廉価」という点も要因であると述べています。多く作る故に技巧への関心がないわけです。そして安いという点は、無駄な意識を省くことに貢献しています。多産は技巧を無くし、廉価は工夫などの意識から遠ざける。これが洗練されて熟達した民芸が生まれるのです。
工夫がないからこその雅致
これが柳氏の表現する「自然の美」なのです。
では、現代の機械生産はどうでしょうか。
と言われると、これは「利」のために作られたものであるため、民芸の美から離れます。多産というよりは濫造、廉価というよりは粗悪です。これは市場の競争によって生まれたものです。競争がなければ高く売っていたでしょう。「安いもの」という民芸の意義に外れるわけです。
③茶人らが民芸に心惹かれた理由と今
「4 我々は民芸に盲目であっていいのか」より
民芸が心惹かれる理由は直観的に「美しいから」です。ではなぜ直観的に美しいと感じるような感性を持っているのか、根本的なところを柳宗悦氏は追究しています。
初代の茶人が民芸に美を見出せた理由は
「茶器が外国からの将来品であったため、新鮮な印象を受けたから」
と主張しました。
浮世絵が欧州で注目を浴びたのと同じことです。新鮮なうちはものを自由に見ることができました。
しかし、時間を経るごとに、その新鮮さが失われ、固定観念や先入観によって因襲的にしか、ものを見ることが出来なくなってしまったのです。見方が自由を失っているのが分かります。
近代では、明治時代以降勃興した資本制度によって、民芸の美が急速に沈みました。手工を奪って機械が生産するようになったためです。そして、今に至ります。
工芸に現れる美とは
これまでの工芸は「どれだけそれが美的であるか」によって評価されていました。そのため、自然と「貴族的」な品が高く評価され、同時に美の基準として考えられてきました。
しかし、正しい見方は「どれだけ美的に作られたかではなく、どれだけ用途のために作られたか」であると柳宗悦氏は主張しています。
一般的な工芸の「美術的」:実用を超越した世界
→用(工芸)と美(美術)が混合している
柳氏の工芸の「美術的」:実用の世界で見出す
「用」の意味
ここで「用」の意味を正しく把握しておくと、工芸の鑑賞の仕方が見えてきます
「用」とは、単に物としての役割だけでなく、「心の用」も伴っている
ただ使うのではなく、見て、触れて、満足感を得る。物と心の二つが揃ってこそ美の価値が生まれると主張しています
「美」に視点を移しましょう。
「美」として見出せる部分があります。しかし、その部分が物として機能していなかったらどうでしょうか。物として成り立ちません。物全体を含めて用を満たしているかが美的に見える条件と言えるのです。
例えば、持ち手部分に見事な龍が彫刻されている鋭利な持ち手の急須があったとします。龍の部分だけ見れば非常に美的に見えるでしょう。しかし、その品全体を見ると、それは「急須」であるわけです。使いにくいですね。
美と急須としての用がすれ違っているわけです。
このことから、工芸品というものについて二面から一つの真理を見出すことができます
- 用から美が生じなければ真の美ではない
- 美が用に混じらなければ真の用にはならない
工芸が美しいのはそれが用品中の用品であるからと柳宗悦氏は主張しています。工芸は必ず使う人がいます。それも日々日常においてです。そのため、工芸は丈夫でなくてはいけません。
ここで、工芸に特徴的なある事象が説明できます。「使えば使うほど味が出る」です。「用」は生命だと表現しました。「手ずれ」や「使いこみ」といった形で美が現れるのです。
では、最終的に工芸の美をまとめましょう
工芸の美とは・・・
- 「用」という考え方が根底にある
- 日常で使うことで真の美が見出される
- 単なるものとして日常生活に貢献する品ではなく、それに加えて見たり触れたりして心に充足も得られるような品に現れてくる
伝統工芸品とは
柳宗悦氏の考えをまとめて、伝統工芸について考えてみます。
伝統工芸とは、経済産業省のHPにもあるように、「主として日常生活の用に供されるものであること。」を指します。
民芸品と伝統工芸品は同じものです。
ではなぜ違う単語なのか。それは、国が特定の民芸品に対して「継承すべき技術、素材」があると判断したから、です
そう、現代の価値観で判断されたのです。かつて、伝統工芸品は一般に使われていた民芸品にすぎませんでした。これ以降はすでに説明した通りです。
言い換えれば、国から保存が推奨されている日用品ということです。文字通り使うことを前提としています。
ということは、「使えば使うほど味が出る」のです。「用」から「美」が生じることを言います。そのため、飾ったり、イベント時に使用したりするのも良いですが、普段使いしてからこそ、価値が生まれるものかと思います。
そして、「日用品」であるため、基本的に安価に設定されています。「何万円もするではないか!」と言われるかもしれません。それはそのはずです。材料、技術のコストが高い需要の減少に供給の減少が重なり、高価となっているものも少なくありません。これは現代だから言えることです。
重要なので繰り返しましが、伝統工芸はもともと「日用品」です。明治時代以前は一般に流通していました。
伝統工芸の歴史について触れる機会があるかもしれません。その時は、その伝統工芸がいつから作り始められたかに注目してください。
戦国時代以降であることがほとんどだと思います。戦国時代、千利休らが日本で最初に民芸に魅力を見出した人物であるからです。歴史的な見方をしても面白いですね。
おわりに
伝統工芸品とは民芸品のことであり、民芸品とは、これまで述べてきた通りです。
柳宗悦氏の著作から解説してきました。
旅行なんかに行くとほとんどと言っていいほど伝統工芸品ないし民芸品を目にするでしょう。
その時、目にした品に どのようなバックボーンがあるのか、どのような点に美を見出すことができるか、考えてみてください。何を思うでしょうか。
知識のあるなしでは全然物の見え方が違います。当記事を読んだ、『民芸とは何か』を読んだからこそ出てくる感想があるのではないかと思います。
それはつまり、視野が広がっているということではないでしょうか。
当記事だけでなく、『民芸とは何か』も読んでみてください