奥の細道【マップ付き!分かりやすい現代語訳#23】松島
登場する場所
番号と対応した地図です。東北地方の名所は頻繁に立ち寄っていることが分かります。
23『松島』では、
49 松島
50 雄島
51 松ヶ浦島
が該当します。
原文
日既午にちかし
船をかりて松島にわたる
其間二里余雄島の磯につく
抑ことふりにたれど松島は扶桑第一の好風にして凡洞庭西湖を恥ず
東南より海を入て江の中三里浙江の潮をたたふ
島々の数を尽して欹ものは天を指ふすものは波に匍匐あるは二重にかさなり三重に畳みて左にわかれ右につらなる
負るあり抱るあり
児孫愛すがごとし
松の緑こまやかに枝葉汐風に吹たわめて屈曲おのづからためたるがごとし
其景色窅然として美人の顔を粧ふ
ちはや振神のむかし大山づみのなせるわざにや
造化の天工いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ
雄島が磯は地つづきて海に出たる島也
雲居禅師の別室の跡座禅石など有
将松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて
落穂松笠など打けぶりたる草の庵閑に
住なしいかなる人とはしられずながら先なつかしく立寄ほどに
月海にうつりて昼のながめ又あらたむ
江上に帰りて宿を求れば窓をひらき二階を作て風雲の中に旅寝するこそあやしきまで妙なる心地はせらるれ
松島や 鶴に身をかれ ほととぎす 曾良
予は口をとぢて眠らんとしていねられず
旧庵をわかるる時素堂松島の詩あり
原安適松がうらしまの和歌を贈らる
袋を解てこよひの友とす
且杉風濁子が発句あり
現代語訳
日は既に正午に近い。船を借りて、松島に渡った。岸からの距離は二里余りである。雄島の磯に着いた。
そもそも、松島は古くから好風景だと言われているので補足するまでもないが、松島は扶桑(ふそう。日本の異称)第一の好風景で、およそ洞庭湖や西湖(いずれも中国の湖で、漢詩にも詠まれる景勝地)にも劣らない。
東南から海水が流れ込む入江は三里で、浙江(せっこう。中国のベネツィアと呼ばれる水都)に比肩する。
入江の島々は尽くせないほど多く、そばだつ島は天を指し、臥す島は波に腹這う。
ある島は二つに重なり三つに折り重なり、左に分かれ右に連なる。
背負われる島があれば、抱かれる島もある。
子や孫を愛する親の姿のようだ。
松の緑は細やかで、枝葉は潮風に吹かれて弛んでおり、屈曲している幹は、人が手で矯(た)めて曲げて作ったように美しい。
この景色は、窅然(ようぜん。神秘的で奥ゆかしい様)として、化粧を施した美人の顔のようである。
ちはやぶる(神代の枕詞)昔の、大山祗神(おおやまつみのかみ。イザナミとイザナギの間に生まれた山の神の祖)の成せる業であろうか。
筆を振るって、この造化の天工(ぞうかのてんこう。天地自然が作り出した人智を超えた素晴らしい景観)を、言葉の限り表現し尽くせる人はいるだろうか。
雄島が磯は、地続きで海に突き出た島である。
ここには、私が尊敬して止まない雲居禅師の別室の跡や座禅石などがある。
雲居禅師は、江戸時代初期の臨済宗の僧です。瑞巌寺を中興しました。「9雲岩寺」で登場した仏頂和尚の師でもあります。
また、松の木陰には遁世僧が時々見かけられ、草の庵に静かに住んでいた。
落穂や松笠(松ぼっくりのこと)などを焚いて煙が上っている。
何者か知らないながらも、まず心惹かれた。立ち寄ってみると、月が海に映って、昼の眺めとはまた異なる景色が広がっていた。
入江のほとりに帰って宿をとり、窓を開けて二階から見ると、風雲の中に旅寝をするかのような、妖しく不思議な心地になった。
曾良
松島や 鶴に身を借れ ほととぎす
ホトトギスよ、松島に似つかわしい鶴の身を借りてみてはどうだ。
鶴の見た目の美しさ(視覚)とホトトギスの囀りの美しさ(聴覚)
私は口を開かないまま(句を詠まず)眠ろうとしたが、寝つけない。
旧庵(江戸深川の庵)を出立した時、山口素堂(芭蕉の弟子)が松島について歌を詠んでくれた。
夏初松島自清幽
雲外杜鵑声未同
眺望洗心都似水
可憐蒼翠対青眸
夏初の松島自ら清幽
雲外の杜鵑声未だ同じからず
眺望心を洗う都て水に似たり
憐れむ可し蒼翠の青眸に対するを
初夏の松島は、もともと清らかで奥深い趣がある。
雲のかなたから聞こえてくるホトトギスの鳴き声も、ひとつとして同じではない。
その眺めは、人の心を洗い清めるほどで、信仰厚い都の水のようである。
青々とした緑の景色は、ほんとうに愛すべきことである。
原安適(はらあんてき。医者であり歌人)は松が浦島の和歌を贈ってくれた。
頭陀袋を解いてこれを取り出し、今宵の友として慰めた。
また、その中には、杉山杉風(すぎやまさんぷう。蕉門十哲のひとり)と中川濁子(なかがわじょくし。大垣藩士であり俳人)の発句も入っていた。
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