文学

三教指帰<現代語訳#1>三教の意味とは?分かりやすく解説!

先生視点の蛭牙公子

いざお前の為人をみると、上は両親を侮り、また、外出する際に両親に向かって一言告げることもしない。下は民に驕り高ぶり、憐れみの心を持たない。

狩猟を嗜んでは町外れの山々を歩き回り、漁を生業として大海に繰り出す。

一日中ふざけ戯れる様は、兄の桓公から王位を簒奪した衛の第14代君主、州吁(しゅうく)以上である。

夜通し博打に熱中する様は、母親が死んでも平気な顔をして囲碁を続けた三国時代の思想家、嗣宗阮籍ですら及ばない。

善言とは遠く離れたところで生き、寝食を忘れて遊びに打ち込む。水鏡や氷霜のように透き通った行動はしないし、深い谷川の水が尽きないように欲望は底つきず、常にそれを追い求めている。

食事に関しては、虎が獣を食らうがごとく、よく食べる。その様は魚を飲み込んで食べる鯨ですら及ばない。

忠孝が隆盛していた時代、父や母の肉を食らおうと思う者などいなかった。六道の衆生は動物を見ると、「これは生前の父や母だ」と考え、殺生を行わなかったのだ。お前にはそんな心があるだろうか、いや、ない。

酒を好み、飲んで酩酊する様は、酒好きの猿ですら恥を感じるほどであり、食べ物を探し回る様は、常に血に飢えているヒルでさえ同類と思わないほどである。酒に溺れて喚く様は、まさに蝉。仏教には『艸葉の誡め』というのがある。これは、葉に乗った僅かな酒ですら禁じるという戒律であるが、お前は、このように自分を律する生活とは無縁であろう。昼だろうが夜だろうが関係ない。誰かお前に『麻子の責(何かは不明)』を与えてくれ。

いつも髪の乱れた下女にすら発情する様は、色好漢ですら及ばない。このような奴が、どうして艶かしい婦人を見て発情しないだろうか、いや発情する。発情というよりむしろ、王女への恋が叶わず死んだ術婆伽のように胸を焦がしているのであろう。馬は春に、犬は夏に発情する。お前は、彼らのような悶々とした感情を心に燃やしている。女を老猿や毒蛇のように思う気持ちは起きてこない。

娼婦が多く住む建物でやかましく騒ぎ立てる様は、あたかも猿が木の枝の上で戯れているかのようである。

学校に行っても欠伸ばかりしている様は、兎が木陰で眠っているようである。

頭を懸け股を刺す。禁欲的に学問に励んだ孫敬のような覚悟は毛頭ない。右手に杯を、左手に蟹を持って心ゆくまで飲食を尽くした畢卓のような者を理想としている。車胤のように、数十の蛍を集めてその光のもとで学問に励むこともしない。

いつでも飲み食いや博打ができるよう百枚の銭を常に杖先に括りつけて持ち歩いている。

たまたま寺に入って仏像を見たとしても、罪を懺悔をするどころかかえって邪心を起こす。「南無阿弥陀仏」と唱え続けると菩薩になることができるという仏の教えや、『四銖の果(何かは不明)』によって聖位にまで上り詰めたという基本的な話を未だに知らない。

父が子に教えを享受したとしても、自分の悪を認めず、かえって師匠の教えを恨む。甥よりも親切丁寧に教えてくれるというのに、兄弟の子供よりも懇ろに接すしてくれるというのに、お前はその有難みを感じることはないのだろう。

人の短所を好んで語り、『自分の長所を誇ってはならない』という座右の銘を立てた後漢の崔瑗の教えを顧みることもなく、しばしば喋りすぎても三重に口を塞ぐような配慮もしない。人を謗るような発言は命を落としたりや金を失ったりする可能性があるとはっきり知っているはずなのに、発言が自身を成長させるか辱めとなるかを決めるのに、発言を慎まない。

不品行な振る舞いがたくさんあるこのような者に限って仲間が多い。

命名上手であった禹王ですら筆を止めるだろう。黄帝の家臣で数学家の隷首ですら浪費した額を計算できないだろう。もし、百年もの間美味い物を食い続けることに時間を浪費したならば、それは動物が過ごす百年と同じである。動物は食うことでしか生きる意味を見出せないからだ。そして、暖かい美しい衣服を身につけて徒らに四季を過ごしす。この虚しさは犬や豚のようだといえよう。犬や豚は季節を感じないからだ。

『礼記』にはこう書かれてある。『父母が病にかかっている時、子は髪をとかないし、家から出て遊びに行くようなこともしない。また、音楽遊びをせず、酒を飲んだとしても振る舞いに変化が出ないほどの量で慎み、歯を見せて大声で笑うようなこともしない。』と。

何故このように言われるのか。それは、親が心配でたまらず、己の振る舞いに気を配る余裕がないからである。また、『礼記』にはこう書かれている。

『隣人が喪にふくしていたら、臼をつくようなことはしない。里にまだ葬儀の済んでいない家があったら歌わない。』と。

これは、他人と憂いの気持ちを共有し、配慮の気持ちが生まれるからである。親族も他人も区別は無いのだ。彼の場合、慣れ親しんだ人に対しても不品行な態度である。そうであるから、もし親族が病気になった時には医者を呼んで薬の毒味をするような誠実さはない。賢士ですら、哲人ですら直視できず汗を流す。

住んでいる村里に不幸があったとしても、共に愁い、慰め合うような気遣いはない。無関係な傍観者ですら、その逆の有識者ですら、これを見ては肝を冷やして穴に入る。

人間の外見は鳥や獣のように野性的ではない。人間の心は木や石のように無機質ではない。外見は人類でありながら、心は人語を真似るオウムや猩々(しょうじょう)である、といったような、人の心を持たない人もどきは存在するだろうか、いや、存在しない。

蛭牙公子が改心すると

もし、蛭牙公子が悪を弄ぶその心を改心し、専ら孝行、徳行をするというならば、血を流した聖人となろう(不明。何かの故事であろう。)。

郭巨得釜、わが子を殺してでも母を飢えさせまいとして、黄金の釜を掘り当てた郭巨。母のため冬に凍った池で裸になって体温で氷を溶かし、魚を獲った王祥。それらに加えて、孝行の模範といわれる孟宗や丁蘭といった聖人すらも及ばない、専ら孝行を尽くした者として美名を得るだろう。

朱雲が欄干を破壊したことや、誰それ(不明)が窓を破壊したことや、弘演が殉死する際に自身の肝を取り出して君主の懿公の肝臓と入れ替えたことや、比干が君主の紂王を諌めて胸を割かれて殺されたことといった悪行の例が数々あるが、蛭牙公子が行動を忠義なものに移せば、比干や弘演といったような、直言による名誉を得ることができるだろう。

儒教の経典を講義や討論すれば、東海に住んでいた魏の学者王粛や、西河で弟子に教えていた孔子の門人、子夏ですら舌を巻いてその場を辞退するだろう。

歴史書を読み漁れば、南楚の屈原や西蜀の諸葛亮といった智者も口を閉じて恭しく両手を前で合わせて会釈するだろう。書を好めば、普段飛ばない鶏が飛ぶような、普段伏せない虎が伏せるような、立派な字を書くだろう。

高名な書家である鍾繇、張芝、王羲之、欧陽詢ですら筆を投げ捨てて恥をかくだろう。

弓道を習得すれば、太陽を落としたという羿や弓を整えただけで猿を泣かせたという養由基、その他にも、弓の名手、更羸や薛仁貴は弓を切って自身の弓の腕を嘆くだろう。

軍略を学べば、張良や孫子といった名高い軍略家ですら為す術なしと心を痛めるだろう。

農業をすれば、その見事な生産量から、陶朱や猗頓といった富豪は九穀(黍、糯黍、糯粟、稲、麻、大豆、小豆、大麦、小麦)の備蓄が足りないのではと不安になろう。

政治の道に進めば、四知(「天が知り、地が知り、自分が知り、相手が知っている」秘事もいつかは他に漏れるということ。ここでは、賄賂などの不正政治を指すか。)の潔癖を示し、清廉な名を馳せるだろう。

司法の道に進めば、三度退けられても信念を曲げなかった柳下恵をも超える美名を得るだろう。潔白で慎み深ければ、孟子の母や孝威の流れをくむような聖人となろう。

心が清く、私欲がなく、正しい行いをするようになれば、礼儀を統轄した伯夷や、帝位譲位の話を聞いて耳が穢れたと嘆き節操を極めた許由といった節操をわきまえる類の者と見られるだろう。

もし、いましがた医学の道に思い馳せたならば、心臓や胃を手術する扁鵲や華佗をも超える名医となるだろうし、工芸の道に思い馳せたならば、縄をも難なく削る石工の匠石や、鷹の細工を飛ばしたという工匠の公輸般をも凌ぐ匠となろう。

もしこのようになれば、水がいっぱい溜まっている広々とした湖のような心の持ち主である蔡叔度に同じくし、木々の繁る険しい山々のような徳の高さは庾嵩に並ぶこととなる。あなたを仰ぎ観る者に、その心の深浅や徳の高さを測ることはできまい。

生活

さて、生活というのはまず、住む地域そして住む土地を自分で選んで家を建てる必要がある。家の中は、道を床とし、徳を敷物とし、仁に座り、義を枕にし、礼を布団として寝、信を衣服とするのだ。丸一日を慎み、時には一時の時間を競い、熱心に聖人や偉人の徳を仰げ。そして心に従い物事の善し悪しを判断せよ。食事中にものをはき出すほど書物を優先し手放さず、転けそうになっても書き物と筆は離さず、熱心に励むのだ。

このようにすれば、朱雲が易経の講義で五鹿充宗を完膚なきまでに論破したように、戴憑が問題解決の議論において、打ち負かした相手の着物を取っては敷物にしてその数五十枚にしたように、議論では誰よりも優れた人物となるだろう。果てしなく広い水面から大海を生み出すほどの水が盛んに沸き起こる、そんな弁論術を獲得しているだろう。青々とした木々が生い茂り思うがままに栄えている、そんな美しく達者な筆遣いとなっているだろう。筆音は美しい玉を振るかのようで、達筆で知られる孫綽や司馬相如の名作に続く。完成した文は麗しい金のように輝くようで、文章家の揚雄や班固を凌いで美しい花の名に名を連ねるような名声を得る。屈原が『離騒』を記してしばらく何も作らなかったように力作だと断言し、鸚鵡賦を記してしばらく加筆しなかった禰衡のように初稿で完璧だと確信する。そんな文章家となり、天高く飛ぶ鳥が草原に羽を休めるように、作った詩や賦は高く評価され、一定の地位に着地するのだ。そうなれば、高貴な車が門の外に集まり、多くの玉や布が贈られ、屋敷の中に積み上がるだろう。

かつて、魏の諸侯らは自分の家の門に向かって車の中から敬礼したという。自分自身を敬うのに、どうしてこれ以上抜きん出た才能を卑下する必要があろうか。周王の車が草庵の前を通過した時、人は刀の柄を弾いて仕官していたという。自分自身に能力があるのに、どうして人の下につく必要があるだろうか。それほどの能力を持っていながら三大臣にならなかったのは偶然の幸いである。皆のように、奇を衒わないと公卿に名を連ねることができない、なんてことも無い。高位高官など、地芥のようにいとも簡単に手に入る。

蘇秦は太ももに針を刺してまで眠気と戦いながら学問に励んだが、そのようなこともせず印綬(官吏の証明証)を得られる。親への孝行の姿勢を主君へ移し、誠実さをもって同僚と関わる。干将の作ったような名剣を携え、音を鳴して威厳をしめす。高位高官のみ許される玉の笏を服に挟んで威厳を示す。紫宸殿に出入りし、宮殿の最上階の庭を仰ぎ、天の下にいる民を見下ろす。政治の場に貢献すればその名誉は全国に知れ渡り、外に出て民の声に直接耳を傾ければ民からの不平不満は無くなる。その名は歴史書に刻まれ、栄誉は子々孫々まで続くだろう。生前には高位高官を得て生活は安定し、死後には立派な諡号が贈られるだろう。ああ、何と永遠な功績だろうか。これでいて、更に何を望もうか、いや、もう望むものは無いのである。

配偶者を求めること

さて、生前には楽しい時があるが、死後には共に楽しむ人はいない。天上に輝く牽牛星は一人そこに住んでいることを嘆き、年に一度織姫星と再会する。餌を得んと水中に潜っている母鳥も雄鳥と共にいることを喜ぶ。だから、『詩経』には「七梅の嘆き(摽有梅)」があるし、『書経』には「二女の嬪」がある。「七梅の嘆き」は、召南による婚期を逃して焦りを募らせる歌で、「二女の嬪(舜子変)」は堯帝の二人の娘(娥皇と女英)を舜に降嫁させた話である。このように、人は、朴念仁の展季こと柳下恵ではないのだ。配偶者を求めない人はいるだろうか、いやいない。

結婚のこと

また人は、自ら配偶者を迎えることなく若くして亡くなった子登(子高の誤りか)こと孫登でもない。一人で寝ることを好む人はいるだろうか、いやいない。結婚の話をしよう。配偶者を得る時、行雨朝雲(楚の王が夢で女と出会い、別れる(=寝覚め)時、女が「朝には雲となり、暮れには雨となり、あなたをお待ちします。」と言った(宗玉『高唐賦』)。)のような姫君を迎えるのだ。舞い散る雪のような髪、蝉の羽のように透き通って見える鬢、を備える羌族から選ぶと良い。迎えの車は轟轟と音を立て遠くの辺りまで聞こえるほどであり、それを引く馬はひゅうひゅうと音を立てて勇み立ちながら門外へやってくる。女性の従者は足を揃え、袂を幕のようにして日光を遮る。手輿を肩にかけ、吹き出す汗は小雨のようになり地を濡らす。紫色のきぬがさは大空を飛ぶ雲のように揺られ、刺繍のある服は地を払い風を切る。初めて会う女性でも丁重に迎え、身内の花婿を見送る時でも礼儀を尽くす。それが男性としてのあるべき姿なのだ。式の場では、新郎新婦同じ部屋に座り、互いに尊重し合う。婚礼によって心を結び、その後体を結ぶ。珠簾を上げて鳳凰のように美しい妻の容姿と対面し、金の床の上で初めて鳳凰に相応しい神、つまり夫として成長するのだ。琴と瑟(おおごと)以上に調和のとれた夫婦となり、膠(にかわ)と漆が離れ難い関係であるように親しい仲となる。歳をとるまで夫婦仲良く暮らし、東の海に住むカレイがいつも横たわっているのを嘲笑うほど健康で過ごす。憂いといえば、揃って同じ墓に葬られるか思い悩むことくらいだ。配偶者を迎えれば、一生憂いなく百年の楽しみを味わう事になるだろう。人との付き合いで言えば、時に九族(高祖父母・曽そう祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫)と集まったり、しばしば付き合いの深い友人を呼んだりしては、八つの珍味(牛・羊・となかい・鹿・くじか・豕・狗・狼)を食い、九回発酵を加えた旨い酒を飲むといい。盃を交わし合い満足すること数知らず、交わし回るその姿は輪を描くようである。客は八つの音色(金、石、糸、竹、匏、土、革、木)を奏で、『言帰』の詩をを詠む。主人は左右の車輪のくさびを見ては、「帰りは露が多そうだぞ。うちに留まるといい。」という。何日も帰ることを忘れ、夜々踊り楽しみ、この世界の逸楽をほしいままにする。世俗の遊楽を尽くすこと、なんと楽しいことか。

最後に

蛭牙公子よ、早くその愚かな行いを改め、専ら私の教えに従いなさい。誠実にこれに従えば、親に向ける忠孝は完全なものとなり、主君に向ける忠孝もそれに従って備わるだろう。友と交流する時の美徳は全ての友人に適用され、子孫が繁栄すること誠に喜ばしいこととなる。身を立てる根本的なきっかけも、名を上げるための重要な出来事も、今述べたようなことが関係するのだ。

孔子は「田畑を耕す時、飢えの可能性は常にある。しかし、学問を学べば、俸禄を安定して得られる可能性があるのだ。」と言った。

この孔子の言葉は本当である。骨の髄に書き連ねておくように、肝に銘じておきなさい。」

蛭牙公子の改心

ここで蛭牙公子が膝まづいて言った。

「はい!はい!謹んでその命を承ります。今から、改心して専ら教えに従います。」と。

主人の兎角公が、席から降りて再びかしこまって言う。

「ああ、なんて良い事か。昔、雀が蛤になるという話を聞いたことがあります(志が変わると、中身外見も変わるということ。仲春は鷹から鳩となり、仲秋は鳩から鷹となり、季秋は雀から蛤となった。『礼記集説』)。蛭牙公子はそのようにならないのではと疑問に、そして不安に思っていましたが、今、彼の中の鳩は鷹へと変じたようです。他にも、葛玄が口から出した白飯が蜂に変じたことや、左慈がその体が羊に変わったことなどを聞いたことがあります。ああ、先生の弁論術のお陰で、狂人が聖人へと変貌を遂げました。いわゆる『漿を乞いて酒を得る、兎を打って麞を獲る(望んだもの以上のものを得ること)。』でありましょう。まさにこの事です、期待以上の効果がありました。陳亢は伯魚に尋ねた際、一つの質問から三つの教訓を得たといいます。しかし、今日の優れた儒教への誘いと教えは、陳亢以上です。蛭牙公子の戒めだけではありません、私にとっての一生の教訓として心に刻みます。」

『三教指帰巻』上 終

 

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