プロフィール帳

『世間胸算用』

時代:江戸

作者:井原西鶴

概要:大坂の生活がよく見て取れる、処世術を記した本。

8

オススメ度

3

日探重要度

6

文量

7

読解難易度

 

現代語訳

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京は天下の町人

今日の三番叟(さんばんそう。能・狂言の『翁』(おきな / 式三番)において、翁の舞の後に登場して舞う役、およびその舞事)も『所繁昌』と語って無事に舞い納めた。盛況である。京は天下の町人ゆえ、

「京都の人々の心はどんなものなのか。」

と聞かれたら、人は皆

「大気(度量が大きいこと)である。」

と言うのだが、本当である。

これは、日頃から胸算用をして、十分に始末しているからこそ言われる。

金持ちの江戸の人

この前の秋、京都で加賀の金春流(こんぱるりゅう)の勧進能を寺社の建立や修繕の費用を集めるために行われた有料の能興行)が催された。

四日間の桟敷(土間や平土間よりも一段高く作られた板敷きの特等席)料について、一間につき銀十枚と定めたところ、全て借り切られて明所(空席)は無く、しかも能の開催前に銀子を支払っていた。

「今回は大事な演目として『関寺小町(せきでらこまち。100歳になった小野小町を主人公とする能の最高峰・最奥曲(秘曲)の一つ)』を上演する」

と言うと、

「これは第一級の見物だ。」

と、人々は勇み立って、鼻笛を吹くほど喜んだ。ところが、鼓に差し障りが生じたため、『関寺小町』の演目が変更になったのだが、それでも、木戸口(きどぐち。興行場の出入り口)には、夜のうちから見物人が山のように集まっていた。

中でも、江戸から来た者に、自分一人で見るために銀十枚の桟敷を二間借り切った者がいる。

一間は、猩々緋(しょうじょうひ。緋色の中でも特に強い黄みがかった鮮やかな朱色のこと)の敷物を敷いては道具置きの棚を吊るし、腰屏風(こしびょうぶ。立っている人の腰の高さくらいしかない、丈の低い屏風)に枕箱(そば殻やもみ殻などを詰めた日本伝統の木製枕)まで備えた。

その後ろの空間は料理の間とし、様々な魚や鳥の料理を拵え、髭籠(ひげこ。竹や針金で編んだかごの端を、切り落とさずにひげ(鬚)のように上へ長く残した伝統的な竹細工)には季節の水菓子(みずがし。果物)を入れた。

二間目として借りた隣の桟敷には、風炉釜を設け、杉製の割蓋手桶(割蓋は、半々にした蓋のこと。水張桶のこと)には「宇治橋」「音羽川」と書き付けて並べた。

芝居の観客席の様子

見渡せば、医者、呉服屋、儒者、唐物屋、連歌師などが入り交じっており、その後ろの方には、島原の揚屋(あげや。太夫や芸妓を招いて歌舞音曲や酒宴を楽しんだ、現在の料亭にあたる饗宴施設。島原は現京都府京都市下京区あたりに島原花街として栄えていた)、四条の子供宿(子供宿は、歌舞伎の若衆(わかしゅ)や「陰間(かげま)」と呼ばれる少年たちを抱え、主として男色(男性間の性風俗)を売らせていた場所のこと)、京都で名の知られた末社(まっしゃ。小規模な神社)、按摩取(あんまとり。按摩の術を行なうこと。また、それを業とする人)、兵法を使いの浪人まで座っていた。

桟敷の下には供駕籠(身分の高い人が公式の用務や行列で移動する際、主君や中心となる人物の駕籠(乗物)に随行させて、側近や家臣を乗せたり荷物を運ばせたりするために用意したお供用の駕籠)や仮設の湯殿、仮設の便所まで用意し、何についても不自由することが一つもないように整えられていた。

このような栄華を極めた見物ぶりを見ると、彼らの心持ちは何となく豊かであるといえる。

江戸の人から言いたいこと

この江戸の人は、大名の子では無い。

ただただ金を持っているから、このようなことが成せるのである。つまり、何につけても金を稼ぎ、思いのままに楽しむべきなのだ。

このような人は、将来財産が減らないよう分別をもって楽しんでいるので、その楽しみも深い。身代(しんだい。財産)がそれほどない人は、この時期に楽しみたければ、霜降る季節の前に、金を無駄に使わないことが肝心である。

9月から年末まで早い

九月の節句(9月9日。菊の節句。重陽とも。)から大暮(おおぐれ。大晦日のこと)まで、まだ先のことのように思ってしまい、誰もが渡世(生計を立てる)に油断してしまうのである。

そして、十月の初めからは天候が定まりにくくなり、時雨や凩(こがらし。木枯らし)が激しくなる。人の気持ちもこれにつられて自然と落ち着かなくなり、何事も

「春になってから。」

と先延ばしにして、当分(とうぶん。しばらくの間)は生活費の工面に明け暮れることになる。花車商い(きゃしゃあきない。趣味的な道具や装飾品といった、ぜいたく品を扱う商売、またはそのお店のこと)の者から様々な職人まで、心変わりして仕事をやめてしまう。

次第に、朝霜や夕方の風が厳しくなり、人々は皆冬籠りをするようになる。炬燵に入っては宵(よい。夕暮れ)のうちから寝てしまう。それぞれの家業も疎かになって最後、年の暮れに行き詰まってしまい、困るのだ。

10月、11月になると

さて、九月の節句が終わると、法華寺での御影供(みえく。祖師の肖像画や木像である「御影(みえい)」を掲げ、その遺徳を偲んで行われる法要)、浄土宗の十夜談義(じゅうやだんぎ。阿弥陀如来への感謝と、極楽往生を願って念仏を唱える行事の中で、教えを分かりやすく説く。例年10月から11月頃(旧暦10月5日から15日に行われていた名残)に開催される)、東福寺の開山忌参り(かいさんきまいり。そのお寺を初めて開いた僧侶(開山・初代住職)の命日に営まれる法要に参拝すること。東福寺の場合、現代は10月17日に行われる)、一向宗(=浄土真宗)の御取越し(おとりこし。浄土真宗で最も重要な法要である「報恩講(ほうおんこう)」を、京都の本山や本堂での正式な命日(御正忌)よりも日程を繰り上げて行う慣習のこと)、また玄猪の祝儀(げんちょのしゅうぎ。旧暦10月(亥の月)の最初の「亥の日」、およびその日に行われる無病息災や子孫繁栄、五穀豊穣を願う伝統行事の呼び名)に伴う夜の遊びなどがある。

そして、稲荷の御火炊(いなりのおひたき。五穀および万物を育み、実りをもたらしてくれた稲荷大神の神恩に感謝する伝統ある祭事。毎年11月8日開催)がある11月頃になると、河原の役者が入れ替わって顔見世芝居(歌舞伎において1年に1度、その年の新しい顔ぶれ(役者や一座)が顔を揃えて行う、最も重要な伝統行事)の時期(12月)になると、同じような日々を過ごす人々も珍しく感じ、見物する人も浮き立つ。

「今日はあの座、明日はこの太夫、その次は誰の座に行こうか。大坂の若衆方(わかしゅがた。歌舞伎における男性の役柄の一つで、前髪のある元服前の美しい少年(若衆)に扮する役、またはそれを演じる俳優のこと)が出演するそうだ。」

などと噂をする。

無駄な見栄を張る1

水茶屋(みずぢゃや。江戸時代に道端や神社仏閣の境内などで、旅人や庶民に湯や茶を提供して休息をとらせた簡易的な休憩所のこと)を通してあらかじめ桟敷を取らせ、内々のつてを通じて水茶屋と近附(ちかづき。親しい。縁のある)の芸者に祝儀の花代を渡す者もいる。

公演の際、桟敷に向かうと

「旦那様がお越しになりました!」

と言われるのだが、それまでの間、世間体を保つために、必要もない見栄を張る。

提重(さげじゅう。屋外で酒食を楽しむための携帯用のアウトドアセット(手提げ付きの重箱・酒器入れ))を持って座を見に行った後は、自分の宿へはまっすぐ帰らない。

石垣町(現京都府京都市東区石垣町)の二階座敷(料理屋や茶屋の二階の座敷は、客をもてなす空間や、人目を避けた密会の場所として利用された)で、切狂言(歌舞伎の一日の上演狂言のうち、最終幕に演じられる演目)をもう一度演じさせるのだ。

王城(内裏)の辰巳(東南)の方角まで響くような大声を上げ、比叡山まで響くほど騒ぐ。

京都の人に顔を知られているほどの者であれば、「誰々様の御服所(ごふくしょ。内裏や院庁・摂関家政所などに設置されていた役所のひとつ。主に装束のことを掌った)の旦那様」とか、「誰々様の掛屋(幕府・諸藩の公金出納を扱った商人)」などと言われるわけだが、庶民からすれば、有力者と関係があるというだけで、悪所(あくしょ。遊里や芝居町を指す)での騒ぎ方は贅沢にみえる。

ましてや、端金を扱う商人なら、隣が煙草を吸うか酒を飲まないかどうかを見定めた上で、円座を借りる程度で良いのだ。たとえ気晴らし目的で芝居を見るにしてもである。

無駄な見栄を張る2

ところが、役者や若衆の名前もよく知らないで見る者もいる。

与次兵衛(荒木与次兵衛。歌舞伎の草創期から江戸時代中期にかけて、京都や大坂(上方)で大活躍した名優)の顔見世の初日に、左方の二間目の桟敷で、親から勘当を受けても気にしないような顔つきをした若者が五、六人座っていた。わざわざ身なりを整えて着飾り、芸子に目配せをさせ、下の見物人たちにけならせていた(羨ましがらせていた)。

この若者たちを知っている人がいて、その評判を聞いてみた。

「内証(心の中に真理を悟ること)を知らないというのは恐ろしいものですよ。あれは皆、川西(詳細不明)の者どもです。中京(現京都府京都市中京区)の人々と同じように、大きな顔をしているのがおかしい。知らない人が見れば、歴々(れきれき。身分が高いこと)な人物だと思うでしょうよ。黒い羽織の男は、米屋へ入縁(いりえ。入り婿のこと)した者です。欲深い年上の女房なのですが、年が十四、五も違うらしい。母親には二斗入りの臼を踏ませ、弟には蠶豆(蚕豆。そらまめ。そら豆のこと)を売り歩かせているというのに、白柄の脇差を着たがっているのです。その次の玉虫色の羽織を着た男は、どこの牛の骨とも分からない牛涎屋(よだれや。牛のヨダレのように、細く長く辛抱強く商売してる店)の者です(つまり、平凡な収入の家)。(牛のくせに)人間が着るような立派な衣装を身につけていますね。家は質に入れていて、借銀(しゃくぎん。借金のこと)に対して目安(めやす。訴訟のこと。目安箱に意味は同じ)を受けていながら、東隣の家には無理なお願いをしているのですよ。細目論(さいもくろん。細かな目論見)も片付いていないのに、遊山(ゆさん。気晴らし)に出かけるとは、キチガイの振る舞いです。三番目の、銀煤竹(ぎんすすたけ。竹のすすけたような赤黒い色に銀色を加味したような色)色の羽織を着ている男は、利息を付けて銀五貫目を借り、それを敷銀(しきぎん。敷金に同じ。不動産の賃貸の敷金ではなく、婚姻の際の持参金のこと)として、家具屋のところへ養子に行った者です。後家(ごけ。未亡人のこと)の養母を蔑ろにしています。養父が亡くなって三十五日も経たないうちに芝居を見に来ているのです。礼儀に外れた男ですよ。米や薪さえ、その日その日に当座買い(とうざがい。現金払い)する暮らしぶりなのに、酒の相手に色子たちを呼んでいるのです。ああ、かわいそうに。神ならぬ身(つまり人間)の浅ましさを体現している。金を持っている客だと思われたいのでしょう。いかないかな(とてもとても。決して)、この四、五年、買い掛けの代金を払い終えたことなど一度も無い連中ですよ。あの中にいる、染縮(そめしゅく。水洗いや熱処理などによってあえて布地を縮ませる縮絨(しゅくじゅう)加工を施した生地)の羽織を着た男は、小さな銭店を出している者なのですが、三井寺(園城寺のこと)の僧侶の兄から合力(ごうりき。援助)を受けています。この援助金であちこちに借金をしているのです。今度の正月を越せるのでしょうか。彼の他にも、京都で正月を迎えられる者などいないでしょうね。」

そう言って指さして笑ったかと思えば、若者たちが羨ましがるだろうと思い、懐紙に椿や水仙の花、金柑を二つ三つを延紙(のべがみ。江戸時代の高級な鼻かみ紙。杉原紙が有名)に包んで投げ与えていた。

若者たちが紙を開けるのを見てまた嘲笑した。

「本当の上客なら、この金柑一個でさえ銀払いで二分の価値になるはずです。でも、こいつらに渡しても食べられて終わりですよ。損になることぐらい分かりきっています。」

そう言い捨てて、芝居が終わると帰っていった。

とらちゃ
とらちゃ

本当の上客相手なら、もしかしたら交渉次第では高値で金柑を買ってくれるかもしれません。ですが、この若者らの場合は、動物のように食べられるしかなく、損するのは確定だ、ほら見ろ、と、からかっているのです。

その後も、彼らは毎日河原へ芝居を見に通った。

同じ種類の着物を着て、同じ色の羽織を身につけ、色茶屋(いろぢゃや。表向きは休憩やお茶を出す茶屋でありながら、実際には性風俗(売春・遊女の斡旋)を主に行っていた店の呼び名)には世話を焼かせていた。

借金のことを言っても支払いの見込みは立たない。

遂には道を切ってきた(みちをきる。縁を切る。関係を遮る)ので、催促しても効果は無かった。

大晦日に待ち受けていたもの

程なくして、大晦日になった。

一人は、

「夜抜け(夜逃げのこと)は古くせえ。」

と言って、昼抜けをし、行方が分からなくなった。

また一人は、気が狂い者として座敷牢へ。

一人は自害に失敗し、取り調べ中である。

かつて彼らを引き合わせた太鼓持ち(正式には幇間(ほうかん)と言う。お座敷や宴席で客の機嫌を取りながら場を盛り上げる男性の職業および芸人)は、とある盗人の請けに立った(請けに立つ。保証人になること)ということで、町への出入りを厳しく断られた。

色茶屋は、取り付く島も無く(相手が全く取り合ってくれない様子)泣き寝入り。

悪い夢でも見たような気持ちで、本気で尻に帆をかけて(慌てて逃げ去ること)逃げ帰った。

とらちゃ
とらちゃ

江戸時代の性風俗は、遊郭のみに限定されていました。取り調べが進んで営業がバレたら牢獄繋ぎですね。

予め見込んでおいた算用では、十五両ほどは回収できるはずだった。しかし、彼らが店に預け置いた編笠が三つ残っただけで、それが大晦日の被り物となってしまった。

とらちゃ
とらちゃ

笠を被る。害を被る。でかけています

まとめ

この作品の面白さは、華やかな芝居見物を舞台に、人間の見栄と金銭感覚を痛烈に風刺している点といえましょう。

大金を使って贅沢を楽しむ江戸の豪商が描かれる一方で、借金を抱えながら金持ちを装う若者たちも登場します。

彼らは立派な羽織を着て芸者に目配せさせて、周囲から羨ましがられようとしますが、その実態は、家族に苦労をかけたり、借金すら返せなかったりと、酷い有様でした。

事情を知る者が、彼らの懐事情を次々と暴露する場面は、非常に痛快です。

年の暮れには夜逃げや自害未遂など、その末路を明らしているその落差も読み物としての完成度の高さを思わされます。

身の丈に合わない浪費の愚かさ、他人によく見られたいという人間の欲深さ、これらを滑稽に、そして皮肉に描いた作品でした。

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