プロフィール帳
81:まぼろし
栃内の字野崎に前川万吉という人がいた。二、三年前に齢三十余で亡くなったという。この人が亡くなる二、三年前の話である。六月の月夜のことである。万吉が夜遊びに出て帰ってきた時に、門の入口から廻り縁に沿ってその角まで進んだ。なにげなく雲壁※を見ると、ひたと廻り縁にくっついて寝ている男がいた。青ざめた顔であった。非常に驚きてその後病を患ったがこれも79同様、何の前兆でもなかった。田尻氏の息子丸吉が万吉と仲が良かったため、生前この話を聞いたという。
82:まぼろし
これは81で登場した田尻丸吉が遭遇した出来事である。少年の頃のある夜のこと。便所に行こうとして常居を出て茶の間に入ると、座敷との境に人が立っていた。闇夜によりかすかにしか見えなかったが、衣類の縞模様や眼、鼻、髪を垂らしている姿はよく見えた。恐ろしかったが好奇心によりそこへ手を伸ばして探っていると、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも触っていた。しかしながら自分の手が見えない。手の上に影のように重なった人の形の何かを見た彼は好奇心によりさらに顔のところへ手を遣った。すると伸ばした手の上にこれまた顔が見えるのだった。常居に行って人々に話し、行灯を持ってその場に戻って見たが、すでに何の痕跡もなかった。一体何だったのだろうか。この人は近代的で怜悧な人であった。また、嘘ごとを言うような人でもなかった。
83:家のさま
山口の大同にある大洞万之丞の家の構造は少し他の家とは異なる。その図は下の通りである。玄関は巽(たつみ)の方を向いており、極めて古い家である。この家には、「取り出して中を見れば祟りに遭う」といって開かずの古文書の葛籠(つづら)が1つある。
84:昔の人
佐々木氏の祖父は七十前後で三・四年前に亡くなった。この人が青年のころとなると、嘉永(1848~1855)年間あたりだろうか。海岸には西洋人が多く来ては住んでいた、釜石にも山田にも西洋館があった。船越半島の先端にも西洋人が住んでいたという。キリスト教徒は秘密裏に活動し、遠野郷においてもキリスト教を信じ通して磔になった者がいたという。当時浜に行ったという人の話では、異人はよく抱き合いよくなめ合うのだとか。そう今になっても話す老人がいる。海岸地方には西洋人とのハーフもなかなか多かったという。
85:不明
土淵村の柏崎の話である。両親とも疑いようのない日本人であるのに肌の白い子供が2人いる家があった。髪も肌も眼も西洋人に同じであった。今は二十六、七歳で、家で農業を営んでいる。話し方や方言はこの土地の人と異なり、声が細く、そして鋭いという。
86:魂の行方
土淵村の中央にあたる、役場や小学校などがあるところの地名を本宿(もとじゅく)という。この地域に豆腐屋を業とする三十六、七歳の政という男がいた。大病で亡くなった政の父の話である。土淵村と小烏瀬(こがらせ)川を隔てたる下栃内に普請があり、業者の者が地固め作業である堂突(どうづき)をしていた。
そこへ夕方、政の父がひとりでやって来て人々に挨拶し、
「おれも堂突をしよう」
ということですぐに仲間に入りして仕事をした。やや暗くなったころに皆と共に帰ったのだった。その後人々は、
「あの人は大病を患っていたはずなのに」
と少し不思議に思っていた。後に聞けば、その日のうちに政の父は亡くなったとのことである。人々がお悔みに行ってそのことを語ったのだが、その語った時刻はあたかも病人が息を引き取ろうとするころであったという。
87:魂の行方
人の名前は忘れたが、遠野の町の豪家の話である。そこの主人が大病を患って臨終であった。ある日、この主人は菩提寺の和尚をふと訪ねた。和尚は主人を丁重にもてなし、茶などを勧めた。世間話をしてやがて帰ろうとしたのだが、その様子に少々不審なことがあったため、和尚は小僧にその後を付けさせた。
門を出て家の方に向い、町の角を廻ったところで見えなくなったという。その道で主人に逢ったという人はまだ他にもいた。誰にでもよく挨拶するのが常の人で、急にこの晩に死去したのだという。もちろんその時は外出などできる容体ではなかった。その後寺にて、茶を飲飲んだのか?そうでないのか?とあの時茶椀を置いていた所を改めて見ると、畳の敷合わせの所に全てこぼしてあったという。
88:魂の行方
これも似た話である。土淵村大字土淵の常堅寺は曹洞宗の寺で、遠野郷十二ヶ寺の触れ頭(ふれがしら)である。ある日の夕方にここの村人の何某という者が本宿(もとじゅく)から来る道で何某という老人に遭った。この老人はかねてより大病を患っている者であったため、
「いつのまに良くなったのだ」
と問うと、
「ここ二、三日気分が良いので、今日は寺(常堅寺)へ話を聞きに行こうと思ってな」
と答えた。村人は寺まで同行し、寺の門前にてまた軽く会話して別れたのだった。常堅寺でも先ほどの話と同じように和尚はこの老人が訪ね来たてめ出迎え、茶を進めてしばらく話をしては帰っていった。この和尚も不審に思ったため小僧に見てくるよう命じた。小僧が門の外を見ると老人の姿が見当たらない。驚いて和尚に語り、出迎えた部屋をよく見ると、ここでも茶は畳の間にこぼしてあったのだった。老人はその日に亡くなった。
89:山の神
山口から柏崎へは愛宕山の裾に沿って行く必要がある。田圃に続く松林で、柏崎の人家が見えるあたりまで行くと雑木林となる。愛宕山の山頂には小さい祠があって、そこまでの参詣の路は林の中にある。登山口に鳥居があり、二、三十本の杉の古木がある。その傍らにはまた一つ、ガランとした堂がある。堂の前には「山神」の字を刻んだ石塔が立っており、昔から山の神が出現するという言い伝えがある場所である。
和野の何某という若者が、柏崎に用事があって夕方に堂のあたりを通った時に、愛宕山の上から降りて来る背の高い人がいた。誰だろうかと思い、林の樹木越しにその人の顔を見ようと歩み寄ると、道の角で不意に遭遇したのだった。
和野の何某は突然のことで非常に驚き、そしてこの人の顔を見ると、顔は非常に赤く、眼は輝いており、そして同様に非常に驚いた顔をしていた。山の神だと思い、振り返りもせずに柏崎の村に走ってそのまま着いたという。
※遠野郷には山神の塔が多く立っており、その場所はかつて山神に逢った、または、山神の祟りを受けた場所とされている。この塔は、神をなだめるために建ててある。
90:天狗
松崎村に天狗森という山があり。その麓にある桑畑にて村の若者何某という者が働いていた。頻りに眠気が襲ってきたので、しばらく畑の畔に腰掛けて居眠りしようとしたところ、顔が真っ赤な非常に大柄の男が現れたのだった。この若者は気軽な男で相撲が好きであったので、この見馴れぬ大男が立ちはだかったのだが、当然上から見下されることとなり、これが憎く思われた。思わず大男に立ち上り、
「お前はどこから来たのか」
と聞いたが何も応えない。突き飛ばしてやろうと思い、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたと思うや否や、かえって自分の方が飛ばされてそのまま気を失ってしまった。夕方に目を覚まし辺りを見るも無論その大男はいなかった。
その後家に帰ってこの事を人に話したのだった。時は移ってその秋のことである。大勢の村人が馬を引き連れて萩を刈りに早池峯の中腹へ行った。さて、帰る頃になったのだがこの若者の姿が見えない。一同驚いて探しに行くと、深い谷の奥で、手と足とが一つ一つ抜き取られて死んでいたという。
この話は今より二、三十年前のことのため、この時の事をよく知っている人は今も存命である。天狗森には天狗が多く住んでいるということは昔から知られている。
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