三善清行 平安
延喜4年(914年)に醍醐天皇に提出された政治意見書。平安末期の社会情勢と律令制の崩壊を知ることができる。
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現代語訳
大学生徒に支給する食料を増やすことを求めます。
治国に必要なもの
私は、国を治めるには、賢能が基本だと思っております。賢さを習得した者は、学校の手本となっています。
古の聖王は、必ず学校を設立し、徳義を教え、政治に関する学問を習い、人倫を授けました。周礼卿大夫は賢能の道しるべとなる書物を王に献上し、王はそれを受け取りました。王は家臣が信じている道を尊重したため、受け取ったのです。
古い記録を拝見しました。朝廷が大学を設立したのは大宝年中であります。天平期(729-749)に至り、当時の右大臣、吉備真備は学問と芸術を大学生徒に対して、自ら伝授し、教え広めました。そして、学生400人は五経、三史、明法、算術、音韻、籒篆の六つの道を学ぶこととなっております。
勧学田の現状
本題に入ります。8世紀中頃以降、代々に渡り様々な勅命が下り、
- 罪人(大)伴家持が所有していた越前国加賀郡の没官田:百数町
- 山城国久世郡の公田:三十数町
- 河内国茨田郡・渋川郡:五十五町
を勧学田と号して大学生徒の食料に充てていました。
また、それに加えて、毎日大炊寮から学生に対して大量の食料が補充されていました。その量は一石五斗、1人あたり3升、つまり50人分です。これは学習の疲れを癒す糧となっていました。
また、勅命により、
- 常陸国:毎年九万四千束の稲を貸し付け→その利益分を大学寮の雑用料に
- 丹後国:八百束の稲を貸し付け→その利益分を大学寮の口味料に
充てていました。しかし、時代が経るにつれて、事態が変化します。承和年中(834-848)、伴善男は先祖である伴家持の無罪を主張し、加賀郡の勧学田の返還を要求。朝廷はこの返還に応じ、加賀郡は伴善男の所領となりました。つまり、没官以降有していた勧学田を失ったことを意味します。
またさらに勅命がありました。山城国久世郡の三十町は全てが勧学田だったのですが、この勅命により四等分されたのです。3/4を典薬寮、左馬寮、右馬寮の三寮で分配し、僅かに残った1/4が大学寮に充てられるようになりました。つまり75%の収入減です。
また、河内国茨田郡・渋川郡では洪水が頻発しており、川が大河を形成していました。つまり、五十五町の勧学田が洪水により失われたことになります。
また、常陸国、丹後国の出挙稲では、度々国司の交代が欠けていたため、本稲は全て失われ、そのため自動的に利稲も失われました。大学の雑用料、口味料も全て失われたことを意味します。
意見申し上げる1
述べた通り、勧学田は困窮を極めております。そのため、今まさに、山城国久世郡の遺田を没官する時です。ただただ、大炊寮の飯料に充てます。六斗を補うには、遺田三十数町のうち、七町ですらいいのです。小さな儲けですが、これで数百の生徒を賄えます。とはいえ、薄い粥を作ったとしても、それでもなお、全ての学生に行き渡らせることはできません。
このように衰退した大学ですが、それでも学生らは身を立てることを深く望み、飢えや寒さといった苦しみを忘れて学問に励んでいます。学生は学校で共に過ごしながら、各々鑽仰に勤めています。この性質には賢愚の差があります。僅かに愚者と賢者の差があるのです。
例えば、意見が食い違った際に難しい方を述べたり、非常に優れている才能を発揮したりといったことです。しかし、総じて見ても、凡才以上の者はかつて3割4割もおらず、非常に少ないものでした。そのため、才能ある3割4割に入る者は破格の昇進により仕事を与えられ、そうでない大部分の者は志折れてそのまま老い衰えて死ぬのです。
また、かつて住んでいた故郷が落ちぶれ、身を寄せる所が無い者は、頭に白雪を積もらせ、飢えて壁から滴りできた水溜まりの上で寝ています(路頭に迷っている)。後学の者は、特定の輩と群れを作って大学を不平不満の場とみなし、貧しく凍え飢える故郷で父や母に対し、子孫には学校に付き合ってはならないとの教え諭すのです(後に説明があるが、『当時の登用には世襲勢力との繋がりが無ければ候補にすら挙げられなかったため、その他の学生は大学教育に絶望している』ということを言っている)。
そのため、南北の講堂では目標を失い行き詰まる者で溢れかえり、曹局では人がおらず静まり返っている有様です。博士らは文官登用の際、功績だけを見て推薦する者を決めています。文官登用では、かつて才能の上下は不問で、その人の仕事に対する姿勢を見ていました。登用してもらう為に請託が横行したのですが、その際、無能の者が才能があるように装ったために中央に無能の者が増えてしまいました。
世襲勢力による恩恵に授かっている者は、羽が生えて空に飛び立ち(順調に昇進し)、孔子が没したとされる遺跡を踏み入る者は、子衿を詠み学び舎を旅立つ(叶わぬ志を持ったまま死ぬ)のです。丘陵が平らになるように、かつて勢いがあったものが衰退すると元には戻れません。そのため再興する理由はないのです。聖王が建てた学校は遂に、丘墟とりました。
意見申し上げる2
私は伏して思います。大学に人材を集めるためには、食の心配することなく学問に励むことが出来る環境を作ることだと思います。望み申し上げます。既に失われた常陸国、丹後国の出挙稲94800束のうち、利息分となる28430束を諸国の田租穀で補填するのです。内訳は、縁海国5割、内陸国5割です。これを学生らの食料に充てます。
また、罪人伴善男が所有している加賀郡の勧学田も重ねて没官し、穀倉院に補給させます。これは道や橋の整備に使います。重ねて望みます。かつて返給した田を勧学田とすることを。
また、『延喜式』には、「寮に住まない学生は推薦される権利を得られない」とあります。しかし近年、この条文がありながら、法が機能していません。そのため、然るべき学生に与える食料が不足しています(寮に住んで学問に励む才知ある者を推薦するのが道理であるのに、今は世襲勢力に縁がないとそのような才知ある者であっても推薦されないという状況と、真面目に学問に励む学生に対して相応の食料が行き渡っていない状況を言及している)。
今、才芸があっても寮に住まない者には推薦の権利を与えないという、厳しい勅命を博士と寮長らに出すべきです。このようにすれば、神頼みの不真面目な者は祖国で跡継ぎとして帰り、偉大な者は仰ぐ博士の示す道を修める者達の列に名を連ねるでしょう。
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単語帳
原文に登場する単語と、現代語訳に用いた単語の意味です。
賢能(けんのう) | 賢くて才能があること |
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経書 | 政治に関する学問書 |
庠序(しょうじょ) | 学校のこと |
彜倫(いりん) | 人倫のこと |
大学 | 式部省管轄の官吏育成機関。国学は地方に設けられた官吏育成機関で、大学より身分や位階が劣る。 |
大宝律令 | 大宝律令の中に学令と呼ばれる法律があり、大学や国学についての記載がされている。 |
吉備真備 | 遣唐使として派遣された人物。また橘諸兄政権の際に起きた藤原広嗣の乱(740)にも関係した人物。藤原広嗣が吉備真備と玄昉を排斥しようと大宰府で反乱を起こした。 |
恢弘(かいこう) | 教えを広めること |
道芸 | 学問と芸術 |
五経 | 『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』の5つ |
三史 | 『史記』『漢書』『後漢書』の3つ |
明法 | 『明法道』のこと。詳しくは検非違使乱暴参照 |
音韻 | 言語学のこと。漢文を日本語に翻訳するといった学問。 |
籒篆(ちゅうてん) | 中国の文体のひとつ。周代が起源とされている |
大伴家持 | 718-785。原文で「大」が抜け落ちているのは脱字ではなく、淳和天皇(786-840)の諱名が「大伴」であることから、重複を避けるために伴に姓を変更された。 |
勧学田 | 学生の食料や費用を賄うために設けられた田。不輸租田であった。 |
一石五斗 | 1石=10斗なので、一石五斗=150斗。1人あたり3升が基準なので、150/3=50(人分)。 |
雑用料・口味料 | 律令では、米を支給しただけでなく、主食や副食、調味料なども支給していた。 |
伴善男 | 811-868。大伴家持の従兄弟である大伴古麻呂の曾孫だとされている。つまり、伴善男は先祖大伴家持の無罪を主張し、勧学田の返給を求めたのである。なお、本人は866年、応天門の変で失脚している。 |
典薬 | 宮中に仕えた医師のこと。典薬寮では、医療や薬の調合を担当した。宮内省に属する。 |
馬寮 | 馬の育成や飼料の管理を行っていた役所。左右に分かれていた。 |
出挙稲(すいことう) | 利子として貸し付ける稲そのもののこと |
本稲(ほんとう) | 返済の際に必要となる稲の、利息でない部分の稲を本稲いう。利息の部分は利稲(りとう)という。 |
大炊寮(おおいづかさ) | 米や雑穀を管理した役所 |
鑽仰(さんぎょう) | 先人の教えや徳を仰ぎ尊ぶこと |
利鈍(りどん) | 賢者と愚者 |
愚智 | 愚者と智者 |
捍格(かんかく) | 意見が食い違うこと |
穎脱(えいだつ) | 才能が非常に優れていること |
中才(ちゅうさい) | 凡才のこと |
超擢(ちょうてき) | 破格の昇進をすること |
挙用 | 元の地位より上の地位に昇格させて仕事をさせること。 |
凋落(ちょうらく) | 落ちぶれること |
帰託 | 身を託すこと |
迍邅(ちゅんてん) | 悩み苦しむこと |
坆壈(かんらん) | 思い通りにならず満たされないこと |
府 | 物事の中心となる場所。ここでは大学。 |
凍餒(とうたい) | 凍え飢えること |
歯(よわい) | 仲間として付き合う |
鞠(きくス) | 行き詰まる様子 |
闃(しずカ) | 人気が無く、静まり返っていること |
貢挙(こうきょ) | 地方の有能な文官を抜擢し、中央に登用すること。 |
労逸 | 苦労と楽しさ |
請託(せいたく) | 上の者に個人的な計らいを頼むこと |
濫吹(らんすい) | 無能なのに、才能があるように見せかけること |
権門 | 世襲勢力のこと |
余唾(よだ) | 舐め回すこと |
闕里(けつり) | 孔子が没したとされる地 |
遺蹤(いしょう) | 遺跡 |
子衿(しきん) | 漢詩のひとつ |
黌舎(こうしゃ) | 学び舎 |
陵遅 | 丘陵が次第に平面地形になること |
丘墟 | 小高い地形にある廃墟 |
本穎(ほんえい) | 出挙稲のこと。出挙稲やその他正税などの総称として使われることもある。 |
田租穀 | 口分田に課された税(田租)として納める穀物のこと |
縁海国 | 海に面している国 |
坂東国 | 現在の中部地方から関東地方域を指す。この場合、縁海国に対して内陸国の意味。 |
冑 | 跡継ぎ |
皇矣(こうい) | 偉大である様。『詩経』を引用か。 |