美濃部達吉昭和
『天皇機関説』について論理的に説明している。近代における天皇の立ち位置が分かる重要な史料。
天皇機関説とは何か
ここでは、『一身上の弁明』を理解しやすいように「天皇機関説」が何かを一言だけ端的に説明します。
天皇機関説とは
一言で言うと・・・
「天皇は、国益をもたらすという目的を達成させるために権力を行使することができる存在である。ただし、権力行使は憲法や法律の範囲内に限られる。」
という説。
ごちゃごちゃ説明しません。これを頭だけでも入れて『一身上の弁明』を読むと分かりやすいと思います。
要するに、「軍部よ!天皇の持つ権力は無限で何でもありじゃないからな!」という反論をしました。
「天皇機関説を詳しく知りたい!」「こうなった経緯やその後のことを知りたい!」という方は、『一身上の弁明』後に政府が出した『国体明徴声明』の現代語訳のほうで詳しく解説していますので、こちらをご一読ください。
現代語訳(前半)
美濃部達吉のいわゆる「一身上の弁明」演説
(貴族院本会議 1935〔昭和10〕年2月25日)
議長、公爵、近衛文麿
「美濃部達吉氏より、彼の言論について、先日この会議場にて議員より発言がありました問題について、一身上の弁明をしたいという申し出がありました。これを認めますことに、異議ございませんか。」
一同
「異議なし。」
美濃部達吉
「
去ること2月19日の本会議におきまして、菊池武夫男爵をはじめ、その他の方々から私の数々の著書についてご指摘がありました。これにより、ここにおいて一言、一身上の弁明をせざるを得ない状況となりましたこと、私は誠に遺憾でございます。
菊池武夫男爵は、昨年(1934)の第65回議会におきましても私の著書のことについて発言されました。「このような思想を抱いている者は文官口頭試験委員から追い払うべきだ。」。このような言葉で私を激しく非難されたのであります。
そして、「日本臣民における反逆者である。謀反人である。」と言われますのは、この上ない侮辱であると感じております。また、学問(憲法学)を専攻している者に対して、「学匪(がくひ)である。」と言われますことは、同様に耐え難い侮辱であると感じております。
このような言論が貴族院において、そして公の議場において公言されました。それが議長からの発言の取り消し命令もなく看過されたことが、貴族院の品位を考えると、果たして許されてよいものかどうか、疑うわたくしでございます。
それは兎も角として、貴族院において、そして貴族院のこの公の議場において、あのような侮辱を加えられましたことに関して、私としてはこのまま黙って過ごすことができないと感じました。
本議場において、答えが明白な問題を議論することは甚だ不適当だと存じます。また、貴重な時間をこのような事に費やしますことは甚だ恐縮でございますし、私としましても、この上なく不愉快なのでございます。そう思いながらも、弁明は止むを得ないということを各位に了承願いたいのであります。
私に限らず一般に、どのような学問を専攻しましても、その学問を専攻している者が展開する学説を批判し、その当否を論じるためには、批評者自身が対象の学問について相当の知識量と深さを持っており、かつ相当の批判能力を身につけていなければならないと思うのです。
例えば、私のような憲法学を専攻している者が軍学に口入れして、軍学者の専門的な著述を批判するというようなことがあるとすれば、それはただただ、もの笑いに終わるであろうと思うのです。
私は、菊池武夫男爵が憲法学についてどれほどの知識量があるかは存じ上げません。速記録から、菊池武夫男爵が私の著書に対して論じております箇所を拝見しました。見たところ、菊池武夫男爵が果たして私の著作を通読なさっているのか、仮にお読みになったとしましても、内容や意義をご理解なさっているのか、そう深く疑ってしまった。。。というのが私の所感です。
おそらくですが、他人から断片的に私の著作中のごく一部を聞いて、その前後の内容を見ることも考えることも無くちょっとした文章だけを見て、それをあらぬ意味に誤解なさり、軽々と「これは怪しい思想かもやしれない。」と、感じられたのではないかと想像します。
もし、菊池武夫男爵が本当に私の著書全体を精読し、正当にそれを理解しておりますならば、記録にあるような批判をする理由は一切生じてこない、と確信して思うのです。
菊池武夫男爵は、「美濃部達吉氏の著書は我が国の国体を否認するもので、かつ天皇主権を否定するものである。」
というように論じられておりますが、その論はかえって、私の著書をお読みになっていないか、または読んでも理解できていない明白な証拠となっているのです。
我が国の憲法上、『国家統治の大権』が天皇に属していることは、全国民一人として疑うことがない規則なのであります。
『大日本帝国憲法』の前書きには、『国家統治の大権は朕が先祖より承ったものであり、子孫に継承するものである。』と明言されてあります。また、第1条には、『大日本帝国は万世一系の天皇によって統治される。』とあります。更に第4条には、『天皇は国家元首として統治権を総覧し、憲法の条規に従いこれを行使する。』とあります。月日が明確に決まっているように、これも明確なことなのです。
もし、これを否定する者がいるとするならば、それこそ反逆思想の持ち主であると言われましても疑いの余地ありません。しかし、私の著書のどの文章を見ても、これを否定している場所は決してないどころか、かえって、日本国憲法の最も重要な基本原則であると繰り返し書いております。
例えば、菊池武夫男爵が「問題あり。」として挙げられました『逐条憲法精義』。これの15ページから16ページをご覧になれば、『日本ノ憲法ノ基本主義』という題があります。ここでは、『最も重要な基本主義は、日本の国体を基礎とした君主主権主義である。これに西洋文明から伝わった立憲主義の要素を加えたものが『大日本帝国憲法』の主要な原則となっている。すなわち、『大日本帝国憲法』の基本主義は、君主主権主義に西洋の立憲主義を加えて成立したものである。」と述べております。
また、『それは永久に揺るがしてはならないものであり、日本開闢以来一度も変動したことのない、そして将来も永遠に決して揺るがしてはならないものなのだ。』ということを言明しております。他の著作であります『憲法撮要』にも同じことを書いております。
菊池武夫男爵は挙げませんでしたが、私の憲法に関する著作はその他にもございます。明治39年(1906)には『日本国法学』を著しておりますし、大正10年(1921)には『日本憲法(第一巻)』を出版しております。
さらに、最近でいうと、昨年の昭和9年(1934)には『日本憲法ノ基本主義』と題した著作も出版いたしました。いずれの著書におきましても、『君主主権主義が日本の憲法に最も貴重な、そして最も根本的な原則である』ということは、詳細に言明しているのであります。どの著書を菊池武夫男爵がご覧になったとしましても、目に留まるはずなのです。
ただ、これは憲法上の法理論として問題になる点がございます。これは箇条に挙げることができます。
1点目は、『天皇の統治の大権は、天皇の御身ひとつに属する権利として認識されるものであるか。それとも天皇が国家元首という地位において総覧される権能であるか。』という問題であります。一言で申し上げますと、『天皇の統治の大権は、法律上の観念において権利としてみるべきか、権能とみるべきか』という問題に帰するのであります。
2点目は、『天皇の統治の大権は、絶対に無制限の万能の権力であるか。または憲法の条規内で行使されるもの、つまり制限がある権能であるか。』この二点であります。
私の著書において述べております見解は、2つでございます。
- 天皇の統治の大権は、法律上の観念としては権利としてみるべきものではなくて、権能であるとみる。
- 天皇の統治の大権は、万能無制限の権力ではなく、憲法の条規にしたがって行使される権能である。
①天皇の国家統治の大権は法律上の観念として天皇の御身に属する権利とみるべきか否か。という問題に関して。法律学の初歩を学んだ者の熟知しているところでありますが、法律学において、「権利」というのは「利益」を要素とするものであります。自己の利益のために、自己の目的のために何かしら行使する力を有している法律であれば、「権利」という観念には該当します。
つまり、ある人がある権利を持つということは、力をその人自身の利益のために、言い換えれば、その人自身の目的のために、力を行使することが認めらているということを意味するのです。すなわち、「権利主体」というのは、利益の主体、目的の主体に他ならないのです。
従って、国家統治の大権が天皇の御身の「権利」であるとすれば、統治権が天皇の御身の利益のため、御身の目的のために存在する力である。という結論に至るのです。そういう見解が果たして私が尊貴している国体に通じるでありましょうか。
また、国家統治の大権が、『我が国の古来の歴史において、いかなる時代においても、天皇が御身、御一族のために、御一族の利益のために統治を行っていたものであるという思想の現れである。』という主張はできません。
天皇は我が国の開闢以来、「あめのしたしろしめす大君」として仰がれてきた存在でありますが、「あめのしたしろしめす」とは決して天皇御身のためではなく、この国全体のためであったということは、古来において常に意識されてきたことでありますし、歴代の天皇の大詔の中においても、このことを明示されているものが少なくないのであります。
『日本書紀』にみられます第10代崇神天皇の詔に、「朕は思う。我が皇祖天照大御神は、諸々の天皇の天皇位に来訪なさっていた。どうして天皇位が私一人のために存在しようか。天照大御神が来訪なさるのは、この国の人や神を導き、天下の秩序を整えて治めるためであろう。」というのがあります。また、第16代仁徳天皇の詔には、「そもそも、最初に天皇という存在が立てられたのは、人民のためである。つまり、人民がいて初めて天皇の存在意義が生まれるのである。」とあります。西洋の古い思想では、国を支配した国王は、国をあたかも国王一家の財産のように考えて、一個人のための権利として財を所有する考え方が基本となっています。現在の西洋というのは、一家の財産として国土や国民を領有し支配した国王が、子孫に継承して形成されたものなのです。
一般に、このような思想を『家産国思想』なり、『Partrimonial Theory(世襲理論)』なり、『家財説』なりと呼んでおります。「国家というのは国王の一身、一家に属する権利である。」ということに帰着するのです。このような中世西洋の思想は、日本の歴史において現れなかった思想であり、もとより我が国の国体がそれを容認するはずがないのです。
伊藤博文公の著作『憲法義解(大日本帝国憲法及び皇室典範の解説書)』の第1条の注釈には、
『統治は天皇位に属し、国土及び臣民を治めるために、大権を行使するのである。・・・(中略)・・・思うに、明治天皇は皇祖の天職を尊重して、「君主の徳は日本国民を統治するために存在し、天皇御身、御一族が享受することのできる私権ではない。」ということを最初に示されたのでありましょう。これは、統治の大権が憲法に依存し、そして憲法を基礎としているためなのです。』とあります。
私は、これと同じ趣旨であります。第1条は、統治が決して天皇の御身のために存在する力ではなく、法律上の観念として、そして天皇の御身の私利としてみるべきものではない、ということを示しているのです。
『古事記』には、天照大御神が出雲の大国主命にこのように語りかけております。「お前の『ウシハク』である下界の国は、我が子が『シラス』する国である。」と。『ウシハク』という言葉と『シラス』という言葉とを書き分けているのです。
ある国学者の説によりますと、『ウシハク』というのは、「私領」という意味で、『シラス』というのは、「統治」という意味のようです。すなわち、天下のために土地・人民を統率し、治めるという意味であると唱えている人がいるのです。
言い換えると、「下界に降りたお前が私領としている日本は、我が天照大御神の子孫が統治する国なのだ。」ということです。
統治権が天皇御身に属するという意味になりますね。
この説が正しいか否かは私はよく承知しておりません。もし仮にこの説が正当であるとしますならば、『統治権は、天皇の御身の権利として保有されるものである』と理解することになります。そうであれば、「天皇は、国を『シラス(統治)』のではなく、国を『ウシハク(我が物)』にする。」と結論付けることになるのです。
これが我が国の国体に適当ではないことは明白であろうと思います。対して、私の主張である『統治権は、天皇の御身のために存在する力ではなく、また、天皇の御身に属する私的権利とみるべきものではない。』とするならば、その権利の主体は法律上の何であるとみるべきでしょうか。前にも申しました通り、権利の主体=目的の主体でありますから、統治権の主体と申せばすなわち、統治の目的主体であるということに他ならないのです。
ですので、天皇が天下を治めますことは、天下国家のためであるのです。「目的の主体」の帰属するところは、永遠恒久の国体である国家であると認識することができるのです。天皇は国家元首として、言い換えれば国の最高機関として、天下統治のために、この国家の一切の権利を総攬しております。国家の全ての活動は立法だろうが司法だろうが、総じて天皇にその最高の権限を発するものと認識されるのであります。
いわゆる『機関説』といいますのは、国家がひとつの生命であり、国家を目的とした恒久的な国体、すなわち、法律上の言葉を借りれば、『ひとつの法人』と認識することができます。天皇はこの『ひとつの法人』の国家元首たる地位におわしまし、国家を代表して国家の全ての権利を総攬します。つまり、天皇が憲法にしたがって行使するということがすなわち、国家の行為として効力を持つということを言い表すことになるのです。
法人とは、『法律によって「人」と定められているもの』です。「国家=生命」とするということは、「国家=人」とみるということ、転じて『ひとつの法人』と言えるのです。
天皇は、この『ひとつの法人』の最高の地位にいるため、「天皇が統治権を行使する=国家の行為として効力を持つ」となるのです。