後三条天皇
平安
律令崩壊期による後三条天皇が出した打開策。成功といって良い政策だった。
延久の荘園整理令と記録荘園券契所
『百錬抄』巻第五
元年己酉二月十日。依当梁年。今年不可作内裏之山被定之。諸道勘中。
延久元年(1069)。二月十日。今年、内裏の山を作らず、合議によって定められた。あらゆる専門的な役人の意見の上である。
二十三日。可停止寛徳以後新立庄園。縦雖彼年以往。立券不分明。於国務有妨者。同停止之由宣下。
二月十三日。後三条天皇より宣旨が下された。『寛徳二年(1045)以後、新しく成立した荘園を停止する。たとえ寛徳二年以前に成立した荘園であっても、立券(荘園を証明する正式文書)が無く、国務の妨げとなっている荘園は停止する。』と。
閏二月十一日。始置記録所庄園券契所。定寄人等。[於官朝所始行之。]
閏二月十一日。記録荘園券契所を設置する。その職員等を定めた(「上卿ー弁ー寄人」で構成)。初めは朝廷の管轄より行われる。
三月十五日。石情水御幸之間。於路頭御輿●折。[六月五日依此事奉幣二十一社。]
三月十五日。後三条天皇が石清水八幡宮に御幸された。路頭において、神輿が折れた。なお、この石清水八幡宮を始めとして、六月五日に二十一社に幣を奉納なさった。
四月二十八日。立第一親王貞仁(白河)為皇太子。
四月二十八日。第一親王、貞仁王が立太子された(次の天皇、白河天皇のこと)。
五月二十九日。始行平等院一切経會。
五月二十九日。平等院で一切経会が平等院で行われた。
六月二十一日。自大宮院遷御高陽院。件院者帝旧居也。今加造舎屋有御幸也。
六月二十一日。大宮院から高陽院へ遷都した。院は天皇のかつての居宅で、今、屋敷を増築して、御幸された。
七月二十二日。令御厨子所預。始令供精進御菜。
七月二十二日。御厨子を管理するよう命があり、御菜物を精進した。
記録荘園券契所を設置した理由
『愚管抄』巻第四
延久ノ記録所トテハジメテヲカレタリケルハ。諸国七道ノ所領ノ宣旨官符モナクテ公田ヲカスムル事。一天四海ノ巨害ナリトキコシメシツメテアリケルハ。スナハチ宇治殿ノ時一ノ所ノ所領トノミ云テ。庄園諸国ニミチテ受領ノツトメタヘガタシナド云フ。キコシメシモチタリタケリルニコソ。サテ宣旨ヲ下サレテ。諸人領知ノ庄園ノ文書ヲメサレケルニ。宇治殿ヘ仰ラレタリケル御返事ニ。皆サ心得ラレタリケルニヤ。五十余年君ノ御ウシロミヲツカウマツリテ候シ間。所領モチテ候者ノ強縁ニセンナンド思ヒツツヨセタビ候ヒシカバ。サニコソナンド申タルバカリニテマカリスギ候キ。ナンデウ文書カハ候ベキ。タゞソレガシガ領ト申候ハン所ノ。シカルベカラズタシカナラズ聞シメサレ候ハンヲバ。イサゝカノ御ハゞカリ候ベキ事ニモ候ハズ。カヤウノ事ハカクコソ申サタスベキ身ニテ候ヘバ。カズヲツクシテタヲサレ候ベキナリト。サハヤカニ申サレタリケレバ。アダニ御支度相違ノ事ニテ。ムコニ御案アリテ。別ニ宣旨ヲ下サレテ。コノ記録所ヘ文書ドモメスコトニハ。前大相国ノ領ヲバノゾクト云宣下アリテ中ゝゝツヤゝゝト御沙汰ナカリケリ。コノ御沙汰ヲバイミジキ事カナトコソ世ノ中ニ申ケレ。
延久年間に記録荘園券契所を設置した理由は、諸国七道、つまり日本全国の公領が宣旨や官符がなくても横領されているという現状があったためである。後三条天皇が、これが日本において甚大な害となっているとお考えになったためであろう。
宇治殿(藤原頼通)が実験を握っていた頃、『全国の荘園が、摂関家の所領しかないような状態ではないか。これでは、受領が国務を果たすことができない。』と仰ったという。こうお思いになっていたからこそ記録荘園券契所を設置したのであろう。
さて、天皇はまたこう宣旨を下された。『諸国の荘園領主は荘園を所有しているという旨の公的文書を提出せよ。』と。
これに宇治殿が奏上する。「皆がそのようなものは無いと認識していることでしょう。五十年あまり天皇の後見人として勤めて参りましたが、この間に、所領を持つ者から、何度も荘園の寄進を受けました。私と強引にでも繋がりを持とうと思ったのでしょう。
私は、「そうであるか。」とだけ言って受け取ってきました。どうして公的文書がありましょうか。「これは私の所領だ。」と言えば、それが正しいのです。所領であることは正しいのに、公的文書がないから確かではありません。天皇が『そうであってはならない。』『不明である。』と仰っていたのを耳にしましたので、ほんの僅か申し上げるのに憚りがありました。しかし、このようなことは申し上げておくべき身であると思いました。総体、述べた通りの現状ですので、全て計画を断念するべきであると申し上げます。」そうはっきりと答えた。
これによって天皇の計らいは全て無駄となってしまった。長く思案なさった天皇は別に宣旨を下された。『記録荘園券契所へ公的文書を提出する事に関して。前太政大臣、藤原頼通の所領の荘園については、公的文書の提出を無しとする。』と。せっかく厳密な調査のために設置したのに、かえってうやむやとなってしまった。