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国民之友【現代語訳】徳富蘇峰の語る「田舎紳士」とは?分かりやすく解説!

目次

現代語訳

他人から「お前は私よりも力が無いな」と思われ、そして自分自身でも「自分には力は無いのではないか。」と思う勢力(後述の田舎紳士)が次第に政治に影響を及ぼしてくる、この勢力というのは、ただの田舎紳士ではないか。

田舎紳士とは何か。それは、イギリスでいう「カントリー・ジェントルマン」である。すなわち、地方に根付いた紳士のことだ。

彼らは多少の土地を持っている。土地を持っているがゆえに、土地を耕作する農夫を抱え、その農夫がいることで村落は成り立っている。彼らはその村落で最も重要な地位にいる。生活には余裕があるというわけではないが、不足しているわけではない。

貴族ほど尊大な存在ではないが、水呑百姓のように憐れでもない。大きな楽しみもないが、大きな悩みもない。大きな栄誉もないが、大きな恥辱もない。村人たちからは愛され、親しまれ、敬われている存在である。

彼らは村の総理大臣と言ってもよく、全ての出来事は彼らの指揮によって決定される。彼らの家の前庭は村の公園と言ってよく、朝夕には村の子供たちが遊びに来る。

また、彼らの居間は村の集会所とも言ってよく、春の祝いや秋の祭りには村の長老たちが集まり会合する。家を囲む鬱蒼とした高木はまるで村社の神木のようであり、土地上においても、家柄上においても、習慣上においても、言葉では言い表せない一種の勢力をその地方に持っている、これが田舎紳士である。

これらの人々が、なぜその勢力を今日の国家規模の政治に反映させようとする傾向がみられるのか。それは、彼らは、己の経済活動に専念している純粋な商工人よりも、昨今の政治体制に最も適応できる資格を昔から養っているからである。

いわゆる「士族根性」というものは、一個人のためにあるのではなく、公共のために存在している。つまり、主人のため、一藩のため、士族仲間のため、先祖代々のため、士族としての名誉を失わないようにすることが、「士族根性」の行動の大きな動機となっている。

そのため、士族というのは、封建的な世襲社会においては、実際にその社会を運営するのに最も相応しい資格を有する者たちであった。

とらちゃ
とらちゃ

世襲制の旧社会体制は、家を重要視する社会でした。そのため、士族の道理というのは、家に関係する人たちに帰属していました。

しかし、今日のような自立、自活、自治の社会においては、士族は実に行き詰まっていると感じる。士族の命もまた尽きたといえよう。自ら行き詰まりに行ったといえよう。

自ら行き詰まったような者が、上手く天下を救うというのは稀な話である。よって、政治における士族の勢力が減少することは不思議ではない。

とらちゃ
とらちゃ

士族は行き詰まりました。そのような人に、天下の運営を先導する力はありません。新社会体制になって士族の勢力は自然と落ちていくといえます。

これに反して、純粋な商工人は、その考えが一身一家に留まる。商売上の駆け引きにおいては活発で抜け目がないが、社会や公共の事柄に関しては感覚が鈍く、特に、社会や公共に対する考えが貧弱であることが際立つ。

かつて聞いた話である。ある人が哲学者に話しかけた。「あなたの家が今にも火事になりそうです。」と。これを聞いた哲学者は静かに返した。「それは私の関心事ではありません。それは私の妻に伝えてください。」と。同様に、商工人に対して政治について話すと、商工人はこう答えるだろう。「それは私の関心事ではありません。それは政治家に伝えてください。」と。

とらちゃ
とらちゃ

人というのは、自分に関心のある事柄以外には興味がないということを言っています

つまり、純粋に己の利益を追求してきた商工人は以下のように言わざるを得ない。『「国家の決め事の責任は国民が分担してとる」という今日の社会に、適応するために必要な資格を持っていない者たちである』と。

今、このような平等社会となったが、かつて統治者であった士族は依然として統治者としての資格を持ち、被統治者であった商工人は依然として統治者の資格を持っていない。

社会の変化により、士族階級は春の氷が陽光に照らされて溶けるように日々消えている。そして商人階級は、春の雪に圧される芳草が植物としての力を温存しているように、今はまだその勢力を発展させる時とはいえない。

天下国家の事を考えなければならない社会となり、国民は我が身や我が家のことを第一に考えつつも、天下国家のことを無視しくなった。そのため、このように新しくなった日本人民は、個人・家族と国家・公共との均衡を保つことを田舎紳士に求めざるを得なくなったのである。

なぜ田舎紳士がこのように政治の運営に適した資格を持つか。これを知るのは難しくない。その理由は、彼らは従来より半士半商の性質を養ってきた者たちだからである。士族は純粋な消費者にすぎないのだ。

士族は、生産者を常に自分を支配者の位置に置き、生産者が生産したものを自由に消費している。対して商工業者は純粋な生産者で、その仕事は士族に物を供給することである。その位置付けは常に被支配者にあたる。

一方で田舎紳士は、自分で生産したものを自分で消費しているため、純粋な被支配者でもなければ純粋な支配者でもない。ちょうど士族と商工業者の中間の位置を占めていたが故に、知らず知らずのうちに士族と商工業者の二つの性質を混ぜ合わせた習慣ができあがり、それが日常となった。

田舎紳士は商売の専門書を読むだけでなく、論語を読むこともある。剣術を学ぶだけでなく、算盤も学ぶことがある。単に馬といっても、農事の忙しい時期には農馬として使い、閑散期には乗馬として使う。

そして、農民や地方の人々に接する時には支配者のように振る舞い、地方の役人に接する時には被支配者のように振る舞う。

全体として論じると、封建社会の平民としての辛さを経験しても卑屈にならず、封建社会の武士としての甘さを味わっても高慢にならず、十分ではないにしても社会全体の情味を理解し、社会の一部分の境遇に圧迫されることがない存在というのは、まさしくこの田舎紳士であると言わざるを得ない。

彼らがこの世界で養い得たものが左に述べたようなものであるならば、今日、新しい環境にこれを応用して適応することに何の難しさがあるだろうか。

彼らは封建社会が崩壊したからといって、国家政治に参与する用意を急いでする必要もなかったし、さらには境遇の変化に一挙手一投足の労力をかける必要もなかった。こうして彼らは、容易に今日の環境に適応していったのである。

試しに、『今日の政治において、実際に勢力を持っている者らはどの階級に属しているでしょうか?』と人々に問えば、おそらくこの階級の外に答えは出ないでしょう。今日、地方の県会議員となっている者たちは、いったいどのような人々なのか。

それは、身元を調査すれば、必ず知ることができよう。彼らの多くはこの田舎紳士の仲間から出てきた者なのだ。つまり、一県内の経済に関する事項を発案し議決する権利は、今やすでにこの田舎紳士の手に落ちているということなのだ。人々はこの事実を知るべきである。

さらに下って一郡一村のことを考えてみよう。おおよそ一郡一村において、産業振興、土木、衛生、学校などの分野に最も尽力している人は誰なのか?郡の共有金を取り扱うのは誰なのか?小学校の寄付金を多く募り、または自ら寄付するのは誰なのか?

私たちは全ての項目において、この田舎紳士の存在を確認することができる。彼らの勢力は、一村から一郡へ、一郡から一県へ、一県から一国へ及ぶ。今日の県会開設おいて、彼らは議員となった。彼らがその努力によって生み出した効果をもとに考えれば、国会開設の際に議員になった場合の勢力(=影響力)もまた十分に察することができる。

現在、地方で重要な政党員となった者を見ると、その多くが田舎紳士であることが分かる。我々民友社は、『その政党を構成している政党員の主要な階級はどこか?』という質問書をかつて各地方の有名な人士に送ったことがある。そして以下のような回答を得た。

石川・宮城・宮崎・岩手・青森 5
士及農 群馬・愛媛・高知・愛知・福島・岡山・大分・熊本 8
三重・秋田・山梨・京都・徳島・福岡・栃木・奈良・千葉・鳥取・岐阜・和歌山・長野・埼玉・富山・広島 16
農及商 山形・大阪 2

※本表に府県名が無い分は、まだ回答が届いていない

この表の中で「農」とあるものに関しては、純粋な水呑百姓(貧しい農民)ではなく、田舎紳士であることが分かる。すでに彼らは今日において政治的な思想を持っているのだ。そして、勢力が大きい分、商工業者や士族の階級に比べて、その思想を実行するための適切な資格も持っているといえる。

明治23年(1890)の時点で、選挙に立候補する資格を持っているのは誰か?政治勢力のうち、選挙人に最も影響を与えるのは誰か?政治に奔走し尽力する余裕と、生計と、個人の趣味をこなすことのできるのは誰か?もしそれが田舎紳士であるとすれば、その勢力が次第に膨張するのは疑いようもない。

イギリスの諺に「土地の所有者は即ち政権の所有者である。」というのがある。もしそれが製造貿易国イギリスで真実として語られているのであれば、我が国のような純粋な農業国においては、土地の所有者が即ち政権の所有者であるということはなおさら真実であると言える。

とらちゃ
とらちゃ

先進的なイギリスの諺が正ならば、それに後れを取っている日本はなおさら正だと言っています。

総じて論じれば、日本は都市によって成り立っている国ではなく、村落によって成り立っている国なのだ。故に、日本が将来生産面で著しく進歩した場合は別として、東京・京都・大阪などの都会を除き、ほとんどの全国で村落の勢力が圧倒している状態なのだ。田舎紳士の勢力が広大であることは決して無意味でないといえる。

私たちはかつて、マシュー・アーノルド氏の説を聞いたことがある。彼は言った。

『フランスにおいて「人民」とは、まさしく農民のことを指す。私が見る限りフランスの農民は、ヨーロッパの他の人民と比較しても社会体制において最も重要で、最も強く、剛健な要素だと言える。この農民の存在のおかげで、フランスは1871年の大敗北(普仏戦争)後に驚くべき速さで回復できた。フランスの農夫の生活環境、品行、性質が、フランスの復興を大きく支えた主な原因であることは間違いない。パリ市民は軽率で浮ついており、信頼性が乏しいと天下に名高い。しかし、フランスが今日、強大な敵の中心国としての立ち位置にありながらも、依然として輝かしい地位を保っているのは何故か?それは地方の農夫に依るところが大きいのだ。ああ、フランスという国は、地方農民から受けている恩恵もまた大きい国なのだ。』と。

我々田舎紳士は日本の農民を先導する立場にある。日本は将来、彼らに依存する部分が大きくなるだろう。今や士族の勢力は消え去り、夢のような存在となった。これに取って代わって、一国の精神となり、活力となり、運動力となり、政治上の重要な勢力となり、日本の平和と、栄光と、幸福とを永遠に発揚し、永久に維持するのは、まさに田舎紳士なのだ。彼ら以外、誰に望むことができようか。

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